東条玲香の悩みとは
9月下旬。
ここは彗が通う望が丘高校の武道場。
剣道部員たちは活気ある稽古をしており、パンパンと竹刀で打ち合う音と、床に足で踏み込む音、そして部員たちの威勢の良い掛け声が響いている。
「ヤー、メーンッ!!」
部員の1人であり、この夏から女子部の主将を務めている東条玲香が稽古相手の中村水に果敢に打ち込んだ。
しかし彗は20センチほど後ろに退いて玲香の竹刀を紙一重でかわした。その目にはしっかりと玲香の竹刀の先端が映っており、彗は相手の動きを完全に見切っていた。
そして彗は打ち込みが空振りとなって体勢を崩した玲香の小手を1回、面を2回、胴を1回打ち込んだあと、玲香の首元の防具を竹刀の先端を突き、玲香を1メートルほど吹っ飛ばした。
「あ、やばっ!」
彗は吹っ飛ぶ玲香よりも速く彼女の後ろに回り、友人を受け止めた。
「大丈夫?怪我してない?」
彗が面越しに玲香の顔を覗き込むと、彼女は唇をプルプルと振るわせながら彗を見上げていた。
「わ、わたし、いま何されたの……?なんか、パン、パパン、パーンッ!てされた後に首をズンッ!って……」
「ごめんごめん、やり過ぎちゃった。でも、さっきの玲香の『面』、すごい鋭かったよ!」
「説得力ないよ……スイ……」
これは望が丘高校剣道部の日常。
エース選手の中村水の実力が頭抜けており、周囲の部員は彼女の人間離れした動きに驚きながら毎日を過ごしている。
現在は3年生が引退しているため部員は2年生と1年生のみ。
3年生引退時に新主将が任命されることが恒例だが、前主将が「スイちゃんは強いだけで他が全部終わってるから、次の主将は玲香ちゃんね」と言い残していった為、彼女は主将を請け負うことになってしまった。
「はぁ……」
稽古終了後、武道場の更衣室で着替えながら玲香は深いため息をついていた。
彼女はため息をつきながらも一点を強く見つめており、その視線の先には彗がいた。
「どうしたの、玲香」
自分が見られていることに気がついた彗が声をかけると、玲香は「ううん、なんでもない」と言ってそそくさと着替えを終えて更衣室を出て行ってしまった。
「ち、ちょっと、どうしたの?」
彗は慌てて着替えて玲香の後を追い、帰り道を歩き始めていた彼女の横に並んだ。
「ねえ、もしかして主将が嫌なの?それか私が何かした?今日の五連撃が痛かったの?」
「スイ、違うよ!もう私のことはほっといて!お願い!さもないと私───」
玲香は目に涙を浮かべながら彗のことをしっかりと見つめ、言った。
「───スイと、もう一緒にいられないかもしれない……!!」
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「ということがあってさぁ……やっぱ私が何かしちゃったかな」
アパートに帰った彗は、夕食時にこのことを兄である宵に説明した。
「うーん、あれだよな。玲香さんって……あの、インターハイで俺にビンタしたり転んで鼻血出してた子だよな?」
「そうそう。なんか最近ずっとおかしくてさ」
「悩み多き年頃だからなぁ……あっ、インターハイの後に『相談に乗ってやれよ』って俺が言った後は何かしてあげたのか?彗」
「んー、色々あって忙しかったから何もできてなかったんだよねぇ……」
彗はそう言いながら、背もたれにしているソファに向かってそり返るようにして体を伸ばした。その動きだけで、宵は妹の体に疲労が溜まっているのがよくわかった。
「まあ、確かに忙しかったが……」
宵の言う通り、二人は8月から忙しかった。
ヴェルサイユ・ロゼでアルバイトをしながら潜入調査、冬子から満月鏡を奪取、魔法の練習、怪盗として刀やダイヤモンドを盗んで回る日々。
「先週は変な探偵まで現れちゃったりしたし……そうだね、玲香とちゃんと話す暇なんてなかったよ。私、授業中も休み時間もほとんど寝てたもん」
「うーん、その子はお前を見てため息をついてたんだよな?どんなときにため息をついてるんだ?」
彗は「うーん」と首を傾げ、しばらく考え込んだ。
「あ、なんとなくだけど……体育とか部活の、着替えのときにこっちを見てため息をついてた気がする……」
「なんだ?それ。着替え?」
「うん。なんかジロジロ見られてた」
あっけからんと語る妹の顔を見ても、宵には何もわからなかった。
結局兄妹に結論は出ないまま二人は夕飯の後片付けを済まし、車に乗り込んだ。
今日は隣県にある美術館に、刀を盗みにいくことになっている。
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「……むら……かむら……中村ァ!!」
スパァーン!!
「いだあっ!!」
彗は頭に衝撃を受け、痛みで目を覚ました。
慌てて顔を上げると、そこには担任教師の柊克美が立っており、手には日誌を持っている。
どうやらその日誌で自分の頭を叩いたのだな、と彗は推理した。
「柊先生、今どき生徒を叩く先生なんていませんよ。ネットに晒されて炎上しちゃいますよ?」
「お前には常識が通じんからな。こっちも常識外で対応する。しかし私のホームルーム中に爆睡なんて、いい御身分じゃないか」
(昨日、帰ってきたの3時だから眠いんだよ!)
昨晩は怪盗Witch Phantomとして刀を盗みに行っていた。結局それは神器ではなかったが、帰りは随分と遅くなってしまった。
「あー、えへへ、へへ……すいません」
だがそんなことが説明できるわけもなく、彗は笑って誤魔化した。
「それより、今日東条が休みだろ。家まで行ってプリント届けてきてくれ。住所はここだ」
「はぁーい」
(もし玲香が元気だったら、最近悩んでる理由でも聞いてみようかな)
彗はそういえば玲香の家には行ったことがないな、と思いながら柊からプリントを受け取った。
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「ここかぁ…….」
望が丘高校から歩いて20分ほどのところに、東条玲香の家はあった。
それなりに大きな家と庭で、駐車スペースにはファミリーカーが1台停まっている。
彗は「東条」と書かれた表札の横のインターフォンを押すと、10秒ほどしたあとに玄関のドアがガチャリと開いた。
「はい」
ドアを開けて出てきた男性を見て彗は驚愕した。
「と、と、と、東条刑事!?」
彗は驚き、目を剥いた。
いつも自分を怪盗Witch Phantomとして追いかけ回してくる刑事が、友人の家から出てきたのだ。
(東条刑事って、玲香のお父さんだったの!?)
「ん?確かに私は刑事だが……君は?」
「あ、あ、あのっ!わたし、玲香の……玲香さんの、友人です!プリントを持ってきて……」
彗はいつも逃げ回っている、もとい満月鏡で揶揄っている刑事を目の前にして緊張してしまった。
今日は満月鏡を持っていない。仮にいま飛びかかられたら確実に捕まってしまう。
「ああ、それはご苦労だったね。ありがとう。ん?君はもしかして……」
「ヒッ!?」
彗は、とつぜん自分の顔をジッと見つめてきた東条に思わずたじろいだ。
(ば、バレた!?そうだよね!?ここ最近毎週会ってるもんね!?私たち!)
彗が汗をダラダラと垂らしながら考えていると、東条は「もしかして君は、中村……中村水さん、か?」と尋ねてきた。
彗は怪盗であることがバレたわけではないことに安心しつつも、まだ緊張で顔を引き攣らせながら「はい……」と答えた。
彗の返事を聞いて東条の顔はパァ、と明るくなり笑顔になった。
「そうか、君が『スイちゃん』か!娘から話は聞いているぞ!まあ上がっていきなさい。ほら!」
東条は目の前にいる娘の友人が怪盗だとは夢にも思っていない。
優しい笑顔を浮かべながら彗の背中を叩き、ドアの方へと誘導してくる。
「えっ?あ、いや、私は……その、アッ!」
「いいからいいから。ちょうどお茶を入れたところなんだ」
彗は東条に腕を掴まれ、強引に家の中へと連れ込まれた。




