計算外、それは怪盗の戦闘力
「たった1発入れただけで、随分と余裕そうじゃあないか。怪盗」
「なっ……!」
石灰が舞い上がった白い煙の中から探偵の声を聞き、怪盗少女の頬には一筋の汗が流れた。
確かに手応えはあった。相手を一撃で気絶させるつもりで蹴り込んだ。しかし、確かに探偵は立ちあがろうとしている。
『いや、あんなドロップキックを食らって無事なはずがない。骨折、内臓損傷もあり得る。恐らく今は横隔膜の痙攣で呼吸すら難しいはずだぞ!?』
医学部生の宵としても、ここから立ち上がるのはあり得ないことだと思われた。
しかし確かに彗が胸につけているカメラには立ち上がろうとしている人影が映っており、マイクは彼の声を拾っている。
「怪盗、もう一度訊くぞ───」
明智江戸川金田一の声と共に、舞い上がった石灰による白い煙が晴れていき彼の姿が鮮明になっていく。
「───もう、勝ったつもりか……?」
白煙が晴れ、再び姿を現した探偵はヨロヨロとよろめき、ふらついており、真っ青な顔を浮かべながらコヒュ、コヒュ、と小刻みに苦しそうな呼吸をしていた。
どうやら横隔膜が痙攣しているらしく、目には涙も浮かんでいる。
「えっとぉ……はい、その……勝ったつもりです……」
彗は立っているのもやっとな明智江戸川金田一を見て哀れに思い、なるべく丁寧に自分の思いを口にした。
「私はまだ、負けていない……!探偵が怪盗に敗れるなど、あってはいけないのだ……!勝負はまだついていな……ゲホッ!ゲホッ!!オエエエエッ!!」
探偵は誇り高く立ち上がったが、口から吐瀉物を吐き出している。
「……そうですか。じゃ、もう1発ね」
彗は再び構えた。先ほどと同様、腹へのドロップキックを繰り出そうとしている。
「ヒイイイイイイイ!!!やめてくれ!!もうそれだけは食らいたくない!!お願いだアアアアア!!!」
探偵は激しく狼狽し、地面に両膝をついて自分の腹を両手で押さえながら涙を流してブンブンと首を振った。
『鬼か!お前は!』
宵は探偵の姿を見て、もし自分が妹からあれを食らったら……と想像してしまい少し同情していた。
「だって、まだ戦うって……」
『明らかに無理だろ!もう1発いれたらそいつ死ぬぞ!?なんとか気絶だけさせられないか?ダメージは少なめで……』
「えー、そんなこと言われても……」
彗は戦闘能力が高いので相手を叩きのめすことはできるが、ダメージをなるべく与えずに気絶、という高度な技術は持っていない。
「あ、じゃあクビをトンッ!て叩いて気絶させるやつやってみるよ。漫画とかでよくあるやつ。あれやってみたかったんだよね」
『やめろ!!あれは現実でやろうとすると頸動脈や頚椎が損傷して、最悪即死か、半身不随になるから!!』
「えー、やってみたかったなぁ」
医学部に行ってよかったと宵は心から思った。妹にとんでもない罪を背負わせるところだった、と胸を撫で下ろした。
「じゃ、やっぱりドロップキックね。探偵さん痛いけど我慢してね。もう1発入れたらたぶん気絶するっしょ?」
「ひいいいいいいいいいい!?!?」
明智江戸川金田一は、怪盗少女から「ドロップキック」という単語を聞いて恐怖から地面にへたり込み、泣き叫びながら後退りした。
『だからやめろ!!鬼か!!お前は!!!』
「んー、じゃあもうこの石で頭を殴るぐらいしか……」
『やめろ!!あとそれ盗んだダイヤだろ!!盗んだ獲物を凶器にする怪盗なんて聞いたことないぞ!!』
「じゃあもう、どうすればいいのさ!」
怪盗が無線で仲間と言い合いを始めたとき、探偵は確かにそこに勝機を見出した。
まだ自分には逆転の一手が残っている──
「油断したな怪盗!!食らえ!この『ライフル型麻酔銃』で……!!」
明智江戸川金田一はトレンチコートの中に隠していた麻酔銃の銃口を怪盗に定め、引き金を引こうとした。
しかしトレンチコートから麻酔銃を取り出し、狙いを定め、引き金を引くという動作は彗にとってはあまりにも悠長で遅い動きであった。
探偵は怪盗に一瞬で間合いを詰められ、銃身を掴まれ、撃つ前に麻酔銃を取り上げられた。
「ライフル型麻酔銃だって、お兄ちゃん」
『麻酔銃は普通、ライフル型だけどな。わざわざ『〇〇型麻酔銃』って言いたかったのか?』
「これ、ちょうど良くない?」
『ああ、渡りに船だな。よろしく頼む。あっ、腕とかに撃てよ』
宵は妹が「麻酔銃といえばここに撃ち込むはずだ」と、探偵のうなじに撃ち込もうとしているような気がして忠告を入れた。
ポスッ!
彗が引き金を引くと麻酔銃の銃口から小型の注射器のような弾が発射され、それは探偵の服を貫通して腕に刺さった。
「いたっ!な、何をする!!銃を返せ!怪盗!!」
「あれ?寝ないよ?」
『そんな一瞬で効く麻酔があるわけないだろ。麻酔の量にもよるが、その体格なら5分程度か……効きにくい体質なら10分はかかるかな』
「ふーん……じゃあ探偵さん。5分か10分、大人しくしてて。もし勝手に動いたらドロップキックね」
「ヒイイイイイイイ!!!わかりました!わかりましたぁ!!」
最後の頼みの綱であった麻酔銃を奪われた明智江戸川金田一は怪盗少女に怯え、泣きながら何度も頷いた。
『だからその脅しやめろって!!可哀想だろ!!』
宵は、同じ女から理不尽な暴力を受ける同志としてその探偵に同情せずにはいられなかった。
「く、くそおおおおお!!新都大学ミステリーサークル研究会部長、この名探偵明智江戸川金田一が、怪盗に敗れるとはなんたる汚辱!!」
探偵が薄れていく意識の中で発した最後の言葉を聞いて、彗は「おじょくってなんだろう」と思ったが、宵は頭を抑えて深いため息をついた。
『新都大って……俺が通ってる大学じゃねえか……』
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5分後、探偵は完全に眠りについた。
それを見た彗が「寝たよ」と言うと宵は車から降りて、妹とその足元で眠っている探偵のそばまで歩いてきた。
「なんだったんだろうねこの人」
「俺と同じ大学に通っている奇人だということだけはわかった」
「なんかこの人、探偵キャラに憧れすぎて色々混じってたよね」
「ああ、だが探偵としての力は本物だ。動画の解析、ここに俺たちが現れるという推理、満月鏡の対策、麻酔銃の準備……全てにおいて万全だった」
宵は明智江戸川金田一のトレンチコートの中を手探りで探り、危険物がないことを確認した後に周辺を調べた。
どうやら彼は石灰はきちんと片付けるつもりだったらしく、空気を放出して粉を掃除するためのブロワーという道具が近くに置いてあった。
宵は「ちょうどいい。これで俺たちの足跡と車の車輪跡を消していこう」と言って、ブロワーを起動して石灰の掃除を始めた。
彗は手伝おうとしたが、宵は「いいよ、お前は疲れただろ。車で休んでな」と言って1人で掃除を始めた。
だが彗は車に戻ることはなく、掃除をする宵のそばを一緒に歩いた。
「ね、ね、お兄ちゃん。さっき、この人が『全てにおいて万全だった』って言ったけど、なんでこの人こんなになっちゃったのかな?」
宵は掃除をしながら、彗の質問に即答した。
「そりゃ怪盗が思ってた100倍強かったからだよ。まさかドロップキックで5メートルも吹っ飛ばされるとは思ってなかったんだろ」




