スイ・ツクヨミと満月の鏡
満月鏡の奪取に成功したその翌日、二人は休息日としてアパートの部屋で休むことにしていた。
「へんっ……しんっ!!!!」
しかし彗は朝からやかましく騒いでおり、宵はその顔に焦りの色を浮かべながら妹の様子を見ている。
「ムーンプリズムパワー!メイクアップ!」
彗は満月鏡を右手に持って謎の呪文を叫んだり、ポーズを決めている。
しかし昨晩、美しい月光色の魔力光を発して彗の姿を変えた満月鏡は何の反応もなく、ただの古ぼけた鏡のまま。
「どうしようお兄ちゃん。やっぱり私……魔法、使えなくなっちゃった……」
彗は朝起きると、魔法が全く使えなくなっていた。
朝早くに目覚めた彗は、布団の中で恐ろしい怪物に変身して宵への寝起きドッキリを敢行しようとしたが、彼女が使おうとしても全く満月鏡は反応しなかった。
焦った彗は泣きながら布団から飛び出し、寝ている宵の腹に飛び乗るように突っ込み、状況を説明した。
結果、寝起きドッキリは成功したが魔法が使えなくなったという状況は何も変わらなかった。
「私、本当は『月詠の魔女』どころか魔女ですらなかったのかな……」
月詠家の本家に生まれた娘は、例外なく魔力を持って生まれる。
その中でも、月光色の魔力を宿す娘だけが、家の相続権を与えられる。
月光色以外の魔力を持つ娘の血筋からは、魔法を使える子供は生まれない。
そのため月詠家は、代々月光色の魔力を持つ娘を後継者として選び、彼女たちを「月詠の魔女」と呼んできた。
「いや、確かに昨日の彗は月光色の魔力光を放っていた。動画だって残っている」
「で、でも!!私、実際に魔法が使えなくなっちゃって……!」
彗の焦りは大きく、狼狽している。
「落ち着け、彗。昨日の感覚とか……覚えていることはないのか?」
しかし宵には良い案が出せるはずもない。
自分は魔女どころか、女ですらない。
魔法に関する感覚は皆無なのだ。
「わ、わかんないよ。昨日は無我夢中で、でも帰ってきたらお母さんに変身するのは何故かできて……」
月詠家の魔法は、次の三段階で成り立っている。
第一段階は、魔女自身が魔力を「解放」すること。
第二段階は、解放した魔力を使いたい神器へ「付与」すること。
第三段階は、魔力を付与した神器から魔法を「出力」することだ。
しかし今の彗は最初の段階である「解放」ができていない。
そのため、神器にどれだけ意識を向けても魔法は発動しない。
魔力の「解放」は、魔女が心に強い目的意識を宿した状態になることで可能となる。
「うーん……魔力の光!!出ろぉ!!!……ダメ、全然出ない……」
これは月詠家に生まれた娘が、10歳になると母親や祖母から「修行」として教わるものだった。
だが彗は、7歳の時にその両方を失っている。
魔法を何も知らないまま神器だけを手にしてしまった魔女──それが、今の彗の状態なのだ。
「うーん……昨日は何で使えたんだ……?」
昨日の彗は、舞台から落下する際に「こんな格好で死ぬのだけは嫌だ!」と叫び、「綺麗な服に着替えたい」という強い目的意識を爆発させた。
その結果、満月鏡を使うために必要な量を遥かに超えた魔力を「解放」し、公演会場の全てを埋め尽くすような魔力光で周囲を照らしたのだ。
「わかんないよ!よく考えたら私、魔法のこと何も知らないもん!お母さんが使ってたのを見てた記憶がぼんやりあるだけで……」
彗が言う通り、兄妹は魔法のことを何も知らない。
神器は取り返したものの、魔法を使うノウハウが彗には無いのだ。
「あーあー、今すぐ私のところにフクロウが飛んできて、魔法学校への入学の招待状を持ってきてくれないかなー!!」
「なんだそれ魔法学校?どこにあるんだ?」
彗は半ばやけになったようにぶんぶんと満月鏡を振り回した。
「呪文とかがいるのかな?エクスペクト・パトローナム!!」
彗は満月鏡を振りながら謎の呪文を唱えたが、当然何も起こらない。
「いや、母さんもばあちゃんも呪文なんか唱えてなかったぞ。要らないと思う」
宵の指摘に彗は「むー」と言いながら満月鏡を杖のように持ち、宵にその先端を向けた。
「アバダ・ゲダブラッ!!」
「彗、もしかしていま俺のことを殺そうとした?」
先ほどと同じく謎の呪文だが、宵はもし自分がここではないどこか違う世界線にいた場合は、この呪文で即死したのではないかという不気味な感覚があった。
「……魔法の使い方、かぁ」
宵はため息をついたあとに小さく唸った。
10歳までの記憶、特に母や祖母が魔法を使っていた際のことを思い出そうと頭を捻る。
そして数十秒ほど考え込んだ宵は、「何かヒントがあるかもしれないな」と呟いたあと、口を開いた。
「戻ってみるか、実家に」
─────────────────
「久しぶりだね、実家」
「そうだな」
宵は、10年前のクリスマスに小さな妹を背負ってこの街まで歩いてきたときの道を、大きくなった妹と並んで歩いていた。
あの頃の宵は随分と長い距離を歩いたように感じていたが、10歳の少年が辿り着いていたのは一つ隣の街だった。
実家までは歩けば30分ほどかかる道のりで、電車やバスで行けば半分以下の時間で行けるが、二人は実家に帰るときはいつもこうして歩いて帰り、同じく歩いて戻ってきていた。
「…………」
二人は実家に辿り着いたが、口を噤んでいた。
二人がいまいる場所は、何もない広大な土地。彼らはずっとこの何もない場所を『実家』と呼んでいる。
何もない更地を撫でるように風が吹き、少し灰が混ざったような土の匂いが二人の鼻をくすぐった。
ここはかつて、月詠家が建っていた場所。
医院と住まいに建物が分かれており大きな家だったが、10年前のクリスマスイブに全て焼き払われ、今は土地だけが残っている。
数年前に宵がこの土地の現在の所有者を調べると、そこには「月詠春華」と書かれており、彼ははらわたが煮え繰り返るように思えた。
長女として土地を相続したのだろうが、宵にとってはこの場所を春華が所有しているのというのは許し難い現実であった。
「やっぱり、何にも無いね」
「……まあ、わかっていたことだがな」
二人は家があった場所をしばらくうろうろと歩いたが、当然魔法のヒントになるようなものは何も残されていなかった。
「……お墓、行こうよ」
「ああ」
彗に言われるがまま、宵は歩き始めた。
ここから少し離れた場所に月詠家の墓がある。それはかなり立派なもので、この家が平安時代から続いていたものだと示している象徴のようなものであった。
数え切れないほどの数の先祖の名前が刻まれた墓石の末尾には、「宵」と「彗」の名前もある。
自分たちは10年前の火事で死んだことになっているから当然のことではあるが、自分と妹の名前が書かれている墓を見ると宵はいつも嫌な気分になった。
「お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん。ただいま」
大きな墓石に向かって彗は手を合わし、声を出しながら挨拶した。
「あのね。鏡……取り返したんだ。ほら」
彗は肩からかけていたカバンから満月鏡を取り出し、墓石に向けて見せた。
「冬子が持ってたよ。なんかこれを取り返すときに私、舞台の上で怪盗に大変身しちゃってさぁ……」
彗はまるで家族がそこにいるかのように、あの家でダイニングテーブルを囲んで夕飯を食べながら学校であったことを話していたあの頃のように、今回の出来事を話し始めた。
彗がそうやって墓に直接話しかけて報告するのはいつものことなので、宵は黙って聞いていた。
「……お兄ちゃんったらずっと『危ないから俺がやる!』とか言っててさ。でも結局私がやって、昨日の夜は私の胸に顔を埋めて大号泣したんだよ?5時間も」
「おい、盛るな話を」
彗は宵の方をチラリと見て「へへ」と笑い、再び墓の方に向き直った。
「でも私一人だったら絶対無理だった。お兄ちゃんがいたからできたんだよ」
彼女は満月鏡を握りしめたまま言葉を続けた。
「神器はあと2つもあるけど、ご先祖さま一同で応援しててね。私たち、絶対全部取り返すから!」
彗がそう言って満月鏡を握りしめている手を墓石の前に突き出すと、突如満月鏡は月光色の光を放ち始めた。
「わっ!なんだ!?」
宵が声をあげると、彗は少し口をあけて驚いたような顔をしながらゆっくりと兄の方に振り向いた。
「わ、わかんない……でも、『取り返すぞ!』って強く思ったら、急に魔力が……」
墓に向かって誓いを立てたとき、彗は「目的意識」を強く持った。
それは魔女が魔力を「解放」するために必要な心であり、彗は条件を満たしたのだ。
「……その、『取り返すぞ』って気持ちを満月鏡に込めれば……使えるってことか?」
「そう、なのかな……?」
宵の言葉を試すように、彗は目を瞑ったまま「神器を取り返す」という気持ちを強くした。
するとその気持ちの強さを反映するように、満月鏡から溢れる月光色の光は大きくなったり、小さくなったりした。
「……そうみたい。ちょっとこのままやってみるね」
彗はそのまま満月鏡に意識を集中し、神器に魔力を「付与」し、自身が周囲に同化していくようなイメージを作り、神器から魔法を「出力」する。
「お、おお!彗!姿が消えているぞ!」
宵は喜びの声をあげた。昨日と同様に、妹の体が消え始めたからだ。
彗は「えへへ」と笑いながら姿を現し、二人は手を取り合って喜んだ。
この満月鏡が使えるかどうかで、今後の神器を取り返せる可能性は大きく変わってくる。
魔法の発動条件が分かったことで、二人は残りの神器の奪還に大きく近づいた感覚になった。
二人は最後にもう一度墓に手を合わせ、その場を後にした。
また神器を取り返したら報告に来る、と誓いを立てて。
───二人とも、頑張ってね。
「「えっ?」」
二人は誰かの声が聞こえたような気がして一瞬振り向いた。
しかし当然誰もいなかったので、不思議そうな顔を見合わせたあとに笑顔を浮かべ、帰路についた。




