スパイ
「陽奈さんには……俺たちのスパイになってもらう」
「スパイ?」
宵の言葉に彗が聞き返し、陽奈自身も不思議そうな顔をした。
「ああ。神器も回収せず、このまま鳥峰家に──魔族同盟に戻ってもらう。そして『Witch Phantomとは引き分けた』とでも報告してもらう」
「え?それのとこがスパイなの?」
「スパイとしてはここからだ。それ以降、陽奈さんには同盟の動きをキャッチしてもらって全て俺たちに報告してもらうんだ」
「…………なるほど!」
そこまで聞いて彗は理解した。
そして陽奈がその「スパイ」を引き受けてくれるなら、敵の情報がほとんどない自分たちがどれほど助かるかも想像できた。
「…………」
そして、陽奈自身もそれを理解した。
魔族同盟を捨て、この人たちの仲間となる。
そうすれば自分は父親から処罰されることもなく、看護学生を続けられるだろう。
再び、「強い人間」を目指して歩き始められる。
陽奈はそれが嬉しかった。
「ただ、これは陽奈さんが完全に俺たちの仲間になってくれることが前提だ。もし途中でこの子に裏切られたら……俺たちはひとたまりもない」
この役割を任せた後に、陽奈が魔族同盟に再び寝返った場合、嘘の情報を流して月詠兄妹を罠にかけることは容易い。
「だから、三日月ノ玉で念入りに洗脳しよう」
「──えっ!?」
陽奈は声をあげた。
「わ、私!裏切りません!ちゃんと、お二人のお力になれるように頑張ります!」
陽奈は宵の方を見て、懇願するように声をあげた。
「……家族を裏切って、他人につくんだ。今はそう思っていても、いつまでも心変わりしない保証はないだろう」
宵は、陽奈を信用していなかった。
そして洗脳は、家族を裏切る罪悪感を彼女の中から消してやりたいという宵なりの優しさでもあった。
「ほ、本当です!私、気づいたんです!魔族同盟なんかより、月詠家の方が大きく、まっすぐな存在だって!そして月詠先輩は、私が理想とする『人間』なんです!」
「だから、今の感情と未来の感情は違うかもしれないだろう。家族と共に夕食を食べているとき、『自分はこの人たちを裏切っている』と思いながら自然と過ごせるか?」
「そ、それは、辛いけど頑張りますから!」
「洗脳を受ければ、その辛さもないんだ。仮に家族に裏切りに気付かれたとしても『敵に洗脳されていた』と言えば咎められる可能性も低い」
自分たちにとってのリスク排除と、陽奈のメンタルケア、そして気付かれた際に陽奈に逃げ道を与えられる。
宵の提案はとても合理的と言える。
この状況で陽奈をどうするかを100人に答えさせれば、99人が洗脳すると答える──
「いや、洗脳は無しで」
──が、彗は残りの1人だ。
「彗!どれほど危険か分かっているのか!?」
「いや、危険は無いよ。だって、陽奈ちゃんは裏切らないから。ねっ!」
彗はそう言って陽奈に笑いかけ、未だ「おすわり」の姿勢で固定されている陽奈の頭を優しく撫でた。
「私はこの子を信じる。洗脳は使わない」
「月詠先輩……!」
陽奈は自分を撫でるその手の暖かさが、自分に向けられたその笑顔が、自分の心を優しくほぐしていくのを感じた。
戦闘ではあわや殺されるのではないかという恐怖を与えられたあとに、こうしていきなり優しくされると、「この人に従いたい」という気持ちにさせられてしまう。
一部の専門家によると、Witch Phantom様は「鞭」と「飴」のバランスが最高らしい。
「ご主人様と呼ばせてくださいぃ……!!」
「え?」
彗が目を丸くしていると、陽奈が持つ狼霊骨が少しだけ灰色に光り、陽奈の体の一部を狼化させ、彼女の尻に尻尾を生えさせた。
そして陽奈はその尻尾を、千切れんばかりに振り回している。
(一部だけ狼になれるのか)
宵が冷静にそれを見ていると、陽奈は「おすわり」の姿勢で尻尾を振り回しながら、言葉を続けた。
「ああ、いま気づきました。私……月詠先輩にご主人様になってほしかったんです……!」
病院の倉庫の中で初めて彗と出会い、陽奈はその人生観に強烈な衝撃を受けた。
そして敵として出会って戦い、敗れ、月詠彗は壮絶な過去を持ち、一族の使命を背負って戦うヒーローだと知った。
そして敵であった自分を深く信頼すると言ってくれた。
「ご主人様ぁ……信じてくれて、ありがとうございますぅ……!!」
陽奈は頬を赤く染めて、口から「はっ、はっ、」と息を吐き、尻尾をぶんぶんと振っている。
「…………」
彗は陽奈のその様子を見て「何か違う」と思ったが、宵の方に向き直った。
「えっと……ね?裏切らなさそうでしょ?」
「……確かにな」
宵は陽奈のその様子見て深く考えることはやめ、とりあえず信用することにした。
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そのまま二人は陽奈を連れて家に帰り、陽奈に今後どう動いてもらって魔族同盟から情報を引き出すか、などを打ち合わせすることにした。
「私、いったんお風呂入ってくるよ。あとこのパーカーは切り裂かれたし、めっちゃ血ついてるから捨てる」
「あ、捨てるならそのパーカーいただいていいですか?ご主人様の体臭と血の匂いをいっぱい嗅ぎたいので」
「いや真顔で何言ってんの?普通に捨てるから絶対に触んないでね?あと破れてんのも血がついてんのもあんたのせいだからね?」
「彗、いいから風呂に行ってこい。陽奈さんは俺が見ておくから」
宵はそう言いながらテレビを付けた。
彗が風呂を上がるまでの暇つぶしのためだ。
テレビには、ニュース番組が映った。
『こちら新都大学病院です!先ほどまで動物の大群が押し寄せていましたが、今はほとんどの動物が病院を離れ、ようやく静かな環境に戻りつつあります』
「あー、やっぱニュースになってるね」
彗はパーカーを脱ぎながら足を止め、画面を見た。宵も無言のままテレビを見つめており、陽奈は気まずそうにしている。
『そしてこちらが、なんと単身で!木の棒一本で動物たちを追い払い続けた……月詠玲香さんです!!』
「「あっ」」
彗と宵は、顔を見合わせた。
テレビ画面には、泣きそうな顔の玲香が映っている。
『わ、わたしぃ……ネズミとかカラスとか、苦手なんですけどぉ……必死に、頑張って、なんとか追い払って……ううう……!!!』
玲香はテレビ画面の向こうで、そう言って泣き崩れた。
「「…………」」
宵と彗は顔を見合わせた。
そして気が付いた。
玲香を大学病院に忘れてきたことに。




