おすわり
「でもお兄ちゃんちょっと遅くない?今回は流石に作戦の前に殺されるかと思ったよ」
彗は言葉では怒りながらも、顔には笑顔を浮かべ、宵の作戦を聞くために──そして敵に作戦を聞かれないために、さらに高い場所に足場を作りながら移動した。
何度も死線を潜り抜けてきたWitch Phantomの反撃は、いつだって宵の「作戦を思いついた」という言葉から始まる。
『すまんすまん。相手が特殊だからな。作戦は──』
宵は彗に作戦を授ける。
『──やれそうか?』
「ま、なんとかやってみるよ」
空中に作り出した足場の上で、彗は宵の作戦を聞いた。
彗はいつも通り「よく思いつくなぁ」と兄の頭脳に感心しつつ、いつも通り兄の作戦に命を賭けることにした。
「アオオオオオオオオーーーーーーン!!!」
人狼の手が届かない、かつこちらの声も下に聞こえないほどの高さで作戦会議をしていると、敵は遠吠えを始めた。
すぐにカラスの大群が集まってきて、彗の体を突き始める。
「いだっ!いたたっ!分かったって!降りるから!!」
彗はそう言って影の足場から飛び降り、屋上の床に着地した。
「誰と話していたんですか?せっかく、私と二人っきりで戦っていたのに……!」
「あれ、陽奈ちゃん嫉妬深いタイプ?でもだからってカラスをけしかけるのはやめてくんない?」
「…………」
陽奈は以前恋人に「重い女」と呼ばれ、振られたことを思い出して不快な気分になった。
「いいです。あなたのことを殺して食べちゃえば……お腹の中でずっと一緒にいられますもんね」
鳥峰家の者は、本気で命を懸けて戦った相手に勝利したあと、相手を食べるというしきたりがある。
動物の力を借りて戦う彼らには、戦いの作法を野生の形に合わせるという考え方が強い。
陽奈はこれまで、修練の一環で戦った野生の猪や熊を、この人狼の姿で食べてきたのだ。
「いや怖すぎるんだけど?『食べてきたのだ』じゃないよ。ナチュラルに激ヤバ設定ぶっ込んでくんのやめてくんない?」
「でも人間はあなたが初めてです。初めてがあなたで良かったです。中村先輩、あなたがどんな味なのか教えてください……!」
「なんか私の周り、人の話を全く聞かないパワー系メンヘラ多いよなぁ……」
彗は陽奈の言動にドン引きしながらも、「まあ──」と、小さく笑った。
「──負けないから、大丈夫だけど」
彗がそう言ったとき、満月鏡を包んでいた月光色の魔力光が消えた。
それと同時に彗が身を包んでいたWitch Phantomの衣装は消え、彗はジーンズとパーカー、そしてウエストポーチという私服姿となった。
パーカーは先ほど人狼に爪で引き裂かれたせいで腹の部分が斜めに破れ、彗の体から出たと考えられる血がこびりついている。
「……?」
陽奈は意味がわからない。
正体を知っていたので元より意味がない変装ではあったが、わざわざ解除する意味もわからない。
『おすわり』
彗がそう言うと、ウエストポーチの中に入っている何かが月光色に強く輝いた。
そしてその光は、まっすぐに陽奈の頭めがけて飛んでいく。
陽奈はそれがなんなのかは分からなかったが、慌ててそれを爪で切り裂こうと腕を振るった──が、その光は陽奈の爪をすり抜け、彼女の頭の中に入っていった。
「!?」
その瞬間体が突然重くなり、床に手と足を揃えて付けるのが、自分の中の「真実」に思えた。
(──いけないっ!!!!)
陽奈がそう思ったのは当然。
刀を持った中村水がこちらに向かって猛然とダッシュして来ている。
このまま「おすわり」していれば、殺される。
毛皮に刃は通らなかったものの、喉に突き刺されでもしたら致命傷になってしまうだろう。
「グルッ……グルアアアアアアアアゥッッッ!!!」
大声で唸りながら、狼霊骨に全力で魔素を込める。
すると少し体が軽くなり、動けるようになった。
陽奈は知らないが、三日月ノ玉の魔法は魔力──彼女らにとっては魔素で中和できる。
ギィン!!!
陽奈は首に向けて迫ってきた刀を、なんとか爪で受けることに成功した。
「チッ……これで決まってくれれば楽だったのに」
彗はそう毒づき、数回バックステップをして陽奈と距離を取った。
「ッ…………!!!」
陽奈は全身から汗が吹き出したように感じた。
(聞いてない──)
大山から聞いていたWitch Phantomの異能は、変身や身体能力強化。魔具は二つ。
(でも…….!)
今のは、明らかに「三つ目の魔具」から出て来た異能。
(魔具を……三つ!?)
「魔族」の定義は、魔素を体に宿すこと。そして、その家に伝わる魔具を一つ扱えること。
それは鳥峰家も、花哭家も、風天家も、他のどの魔族も同じ。
花哭詩音は中村水──Witch Phantomを、「魔具を二つ扱える特殊な魔族」と報告したが、違った。
彼女が持つ魔具は三つ。
そして一つの魔具から出る異能も一種類ではない。
変身、黒い煙、異能解除、身体能力強化、空中歩行、洗脳。
風天家のように、一つの魔具から複数の異能を出すような例外はあるが──彼女が操る異能は多すぎる。
「中村先輩、あなたはいったい……何者なんですか……?」
「人間だけど?」
そんなはずがない。
彼女は、ただの魔族ではない。
もっと恐ろしい何か──自分たちとは違う、別種の存在。
陽奈は、そう思った。
───────────────────
「戻れ!」
彗がそう言うと、満月鏡から出た月光色の光が人狼の体を包み、陽奈の体を人間の姿へと戻していった。
「……ッ!!」
陽奈は慌てて狼霊骨に魔素を込め、再び人狼の姿へと戻る。
人間の姿に戻りたくない。
これは、弱かったときの自分の姿だ。
私は今、弱い人間じゃない。強い魔族なんだ。
『おすわり!!』
しかしすぐに別の月光色の光が飛んできて、陽奈の頭へと入っていく。
「あっ……がっ……グルアアアアアアアアゥッッッ!!!」
陽奈は再び狼霊骨に魔素を込め、洗脳を解く。
そして彗に向かって走り、爪を振るう。
「おっと」
しかし彗はそれをひらりと躱し、陽奈の手が届かない高さまでひょいひょいと空中を跳ねて飛んでいく。
「ぐっ……ずるい!!」
そう叫ぶ陽奈に向かって、彗は再び満月鏡から「解除」の光を放つ。
その光を浴びた陽奈はまた人間の姿に戻り──
「がはっ……げほっ…………!!!」
──ついに、人狼へと変身できなくなった。
「お、魔力が尽きたみたいだね」
彗はそう言って、床に這いつくばる陽奈に向かってゆっくりと歩く。
『おすわり』
「うう……」
もはや体内に魔素の残っていない陽奈は、洗脳に抵抗することもできず、その場に犬のように「おすわり」することしかできなかった。
「ぐっ……ぐううう……!!」
動けなくなった自分。
目の前には刀を持った敵。
相手がその気になればいつでも自分を殺せる状況となり、陽奈はとてつもない恐怖を感じた。
『……よし、勝ったな』
「しっかしお兄ちゃん、よくこんな卑怯なこと思いつくね」
宵は、陽奈の戦いを見て二つの点に気がついた。
一つは、人狼は空中への攻撃手段が乏しいこと。
鳥を操って攻撃させる程度ならば、彗にダメージは入らない。
そしてもう一つは、人狼への「変身」は大幅に魔力を使うであろうということ。
体に大きな変化をもたらし、遠吠えで動物を操れるようになる──これらの能力を一気に得るということは、変身時に大幅に魔力を消費していると宵は考えた。
それなら、敵の攻撃が届かないところから徹底的に魔力を消費させればよい。
『卑怯とはなんだ。ただの合理的な戦略だろう。それより──』
宵は彗に確認する。
『まだ魔力は残ってるな?』
「うん。まだ四割ぐらいあるよ」
『三日月ノ玉はまだ使えるな?』
「うん」
『よし。俺も今からそっちに行く』
宵はニヤリと笑った。
ここまで謎が多かった「魔族」だが、ついに情報が手に入る。
目の前には無抵抗の魔族。
そしてこちらには洗脳魔法が使える魔女。
『情報収集の時間だ』




