怪盗からの予告状
「…………暑い」
初老の女が一人、一棟のタワーマンションの前で呟いた。
マンションのエントランスに入り、訪れる予定の部屋の番号を押し、「私よ」と伝えると自動ドアが開いた。
エレベーターで50階まで上り、廊下を歩く。
廊下には派手な装飾が目立っていた。
目的のドアの前に辿り着き、彼女は呼び鈴を押す。
10秒後にドアが開くと、ドアの向こうには満月の様に丸く太り、クレーターの様に肌が荒れている女性が立っており、「ありがとう、来てくれて」と迎え入れられた。
部屋に入ると、まずは臭いが気になった。
碌に片付けられておらず、食べ残したゴミが腐った様な臭いが漂っている。
しかしそのくせやたら強い香水臭もするので、それらが混ざっていてより嫌な臭いに感じられた。
「あんた、少しは片付けなさいよ。臭いんだけど」
「ご、ごめん……」
この部屋の主である太った女性は、初老の女性に謝った後に彼女をダイニングに通した。
二人がダイニングに入るとそこには一人の女性が椅子に座り、その隣に若い男が一人立っていた。
若い男は長い棒状のものを入れるためのケースを背負っており、部屋に入ってきた初老の女性に向けて鋭く暗い眼差しを向けた。
「お、久しぶりじゃん春姉。元気だった?」
「久しぶりね夏波。そっちの彼は?」
先に来て座っていた夏波に手を振られ、春華が挨拶を返しながら男のことを聞くと、夏波は「ふふっ」と不敵に笑い、口を開いた。
「私の下僕♡」
「あら、そう。てっきりボディーガードが何かかと思ったけど」
「ええ、ボディーガードももちろんやらせてるわ。私、ちょっとだけ敵が多いからね」
夏波がそう言って笑いながら髪を手で弄ると、彼女の服の袖が少し捲れ、手首の辺りにまで彫られた刺青が見えた。
「ヤクザ稼業は相変わらずのようね」
「ええ。私の旦那、すっかり次期組長候補よ?ま、私が邪魔者を魔法で消してあげていってるからね」
「あらあら、相変わらず悪い子ね」
「何言ってるの。春姉が裏でやってることに比べたら、私なんて一般人も同然よぉ」
「まあ人聞きの悪い。私がやっているのは人々の『救済』よ?」
春華と夏波が楽しそうに笑っていると、「あの……お姉ちゃん達……?」と冬子がおずおずと二人に声をかけた。
それを見て夏波は、面倒臭そうに冬子の方に振り返った。
「わかってるわよ。なんか変なDMが来たんだって。ブー子のイソスタに。ほら、春姉にも見せてやりな」
「あら、あんた達先に話してたのね。なに、私にも見せなさいよ」
ここは大女優の「彩光寺麗子」が住んでいるマンション。しかしそれは芸名であり、実際の契約者は「月詠冬子」であった。
先日、冬子が彩光寺麗子の名前でやっているSNSに妙なメッセージが届いた。
それを見て慌てた冬子は「大変なことになった、例の件。今すぐ集まりたい」と二人の姉にグループメッセージを使って同時に連絡した。
3人の中で「例の件」とは「神器に関する非常事態」という合言葉で、その件に関して何かが起きた際には必ず3人が直接会って話し合う、というルールにしていた。
「春姉、これ。見て……」
冬子が春華にスマートフォンを渡すと、それはSNSのダイレクトメッセージの画面であった。
『彩光寺麗子へ
私は亡霊。
あなたが過去にその宝を不当な手段で手に入れたことを、私は知っている。
それは元々私のものであるべき宝だ。
その宝をいただきに近日中に参上する。
怪盗 Witch Phantom』
「ふ、ふふ、あははははははっっ!!」
読み終えた春華は、思わず笑い出してしまった。
「か、かいとう、ウィッチファントムって……あはははっ!!」
「なんで笑うの!春姉!私は、本当に怖くて……」
「ほらぁブー子、こんなの笑うなって方が無理よ。妹に怪盗から予告状が来たなんて話、面白すぎるもん」
「夏姉まで!」
春華は「ああー、くるしぃ……」と机に手をつきながらもう一度その「予告状」を読んだ。
「だってさぁ、普通の怪盗って……いや普通は怪盗なんかいないんだけどね……なんか、『何月何日何時何分にいただきに参上する』とか言うじゃない。それなのに、『近日中』って……雑すぎ……!!」
春華の指摘に、夏波も吹き出した。
「でも二人とも!よく見て、私が『不当に手に入れた宝』って……絶対に満月鏡のこと!この、神器のことじゃない!」
冬子は首から下げている紐に通してある満月鏡をスルスルと引き上げ、懐から取り出して二人に見せた。
冬子は昨日までは満月鏡をカバンに入れて持ち歩いていたが、この予告状を見てからは不安になり、紐に通して首から下げるようになった。
「私、嫌よ!これを失うのだけは……絶対に、嫌ぁ!」
冬子がそう叫ぶと、満月鏡と冬子の体は、冬子の魔力光に包まれた。
その光は深海のヘドロの様に青と黒が入り混じった色であり、二人はその光の眩しさに少し目を細めた。
「ッ……!!」
満月鏡が青黒く光った瞬間、夏波の背後に立っていた男の手が一瞬だけ背中の棒状のケースに伸びたが、夏波が「いいから」と制すると男は手を下げ、再び直立不動となった。
青黒い光が消えると、春華と夏波の前には、美しく長い黒髪と綺麗に整った顔、完璧なスタイルを持った美女、「彩光寺麗子」が座っている。
「あら、相変わらず綺麗ね。さいほうじれいか……みたいな名前だっけ?」
夏波が尋ねると冬子は「彩光寺!麗子!夏姉、茶化さないで!」と怒り、唇を噛んで満月鏡を握る指に力を込めた。
「まあ一応、詳しく話を聞きましょうか。最近のブー子はどんな活動をしてたか教えくれる?まあ神器のことも月詠家のことも書かれてないし、正直私はあんたのファンかアンチのイタズラだと私は思うけどね……」
春華はそう言って脚と腕を組み、冬子の話を聞き始めた。
春華と夏波はその後も笑いながら冬子の話を聞いたが、冬子だけは一度も笑えなかった。
満月鏡を失うということは、冬子にとっては全てを失うと言っても過言ではないからだ。
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「春華と夏波があの予告状をまともに信じなければ、俺達の作戦の一つ目は成功だったと言えるな」
ここは宵と彗が暮らすアパート。
今日は、二人が彩光寺麗子のSNSに『予告状』を送りつけてから数日が経過していた。
「うん……うまくいくといいなぁ。冬子だけが信じてくれればいいんだよね?」
「そうだ」
宵が送りつけた予告状には大きな目的があった。
「これで冬子は、神器を肌身離さず持つはずだ。仮に彩光寺が冬子だったら、だがな」
予告状を出された冬子は焦る。
満月鏡を絶対に手放したくない。今の美貌を失いたくない。そうやって必死になった冬子の行動は読みやすい。
「まあ絶対に鏡を手放さないよね。家に置いといたら泥棒に入られちゃうかもだし、カバンとかに入れといたら、誰かにひったくられるかもしれないもんね」
「ああ、あとは銀行の貸金庫とかに入れられてもアウトだが、魔法を日常的に使うならそれはないと考えられる。今後、あの予告状を警戒して肌身離さず鏡を持つようなら……俺達にも勝機はある」
宵は続ける。
「あとは、さっきも言った通り春華と夏波だ。もしあいつらが冬子のサポートに入るなら、それも俺達にとってまずい状況だ」
宵が作り出したかった状況、それは「警戒した冬子が満月鏡を肌身離さず持つ」ことと「二人の姉が協力しない」こと。
それを両立する為に、敢えて子供っぽい内容の「予告状」を送りつけたのだ。
精神的に幼い冬子は真に受けるだろうが、姉二人は相手にしない、そんな絶妙なラインの文章を宵は考えた。
「だが『怪盗Witch Phantom』はなぁ……どうかと思ったが」
「は?お兄ちゃん私のスペシャルなネーミングセンスにケチ付ける気?おばあちゃん、お母さん、歴代の月詠の魔女達の無念を晴らす私達は『魔女の亡霊』でしょ。だから怪盗ウィッチファントム。素敵でしょ?私達のチーム名はこれに決まり!」
宵は怪盗と名乗るつもりはなく、予告状とは言いつつもただの脅迫文のようなものを考えていた。
しかし横からそれを覗き込んだ彗が「怪盗!怪盗にしようよ!」と強引に決めたのだ。
「必要だったかな?怪盗の要素……」
その言葉を聞いた彗は青ざめ、本気で驚いた顔で兄に言った。
「なに言ってるの、お兄ちゃん。私達に怪盗要素がなかったらとんでもないタイトル詐欺になっちゃうでしょ!」
「ん?何の話だ?」
「ごめん、なんでもない。忘れて」




