約束の日は、こなかった
朝食を終えたあと宵は大学へ、彗は高校へとそれぞれ登校した。
二人は昨晩「神器を取り返す」ということに合意はしたが、神器も叔母達もどこにいるかわからないという状況には変わりないので朝食時に話し合った通り、当面は日常生活を送りながら情報収集ということになった。
「情報って言ってもなぁ……」
どうしたものか、と考えながら歩いているうちに彗は学校に着いてしまった。
彗が教室に入って「おはよー」と玲香に挨拶をした瞬間、玲香は顔をみるみるうちに赤らめて「あっ、スイ、おは、おはよっ!昨晩は、あのっ、どうだった……いや、キャーッ!」と叫び、トイレの方向へと走っていってしまった。
「?」
お腹でも痛いのかな、と彗は友人の挙動不審を心の中で流し、教室の後ろにある黒板を見て今日の時間割を確認した。
午前中は数学や英語等の彗が嫌いな科目が並んでいる。
「あれ?今日の午後……」
黒板には「芸術鑑賞会」と大きく書いてある。
「スイ、先週の先生の話聞いてなかったの?『ヴェルサイユ・ロゼ』がいまこの町に来てて、うちの高校でも公演してくれるんだよ!?」
「あ、玲香。お腹はもういいの?」
「さっきはごめんね。でも私はあなたがどんな選択をしても、大切な友達である事には変わらない。だからこれまで通り接することにするね」
「……?うん、よろしくね。それで、ベルサ…なんとかってのは?」
玲香は少し驚き、その後怒った様な表情で彗に話し始めた。
「『ヴェルサイユ・ロゼ』!今や日本を代表する歌劇団じゃん!スイ、本当に知らないの!?」
彗は玲香の剣幕に驚き、「恥ずかしながら全く……」と苦笑いを浮かべた。
「花形女優の『彩光寺 麗子』がすんごい人気なの!超美人で、どんな役でも完璧に演じられて、もう最高なんだからっ!それでそれで……」
(そういえば、玲香はそういうの好きだったなあ……)
彗は歌劇好きの友人の熱弁に対して適当に「ほえー」と相槌を打ちながらぼんやりと聞き流し、午後の芸術鑑賞の時間は睡眠に充てようと考えていた。
彗は朝4時からスーパーを回って卵を買い集めたので、とても眠いのだ。
「……というわけでヴェルサイユ・ロゼはマジで最高なんだけど、唯一最悪なのは公演が終わった後に感謝の花束を渡す役があなたってことだよね。スイ」
「ほえー………」
彗は相槌を打ったが、聞き捨てならなかった言葉があることに気付き、「えっ!?」と意識をこちらに戻した。
「玲香、今なんて言ったの!?『花束を渡す役があなた』って聞こえたんだけど…」
「『花束を渡す役があなた』って言ったよ。私」
「なんで!?そ、そういうのって普通は生徒会長さんとかがやるんじゃあ……」
玲香は「スイ、あなたは本っっっ当に、人の話を何一つ聞いていないのね」と深いため息をつき、言った。
「我らが望が丘高校、略してノゾ高は歴史は長いくせに誇れるものは何一つありません。偏差値は並。卒業生に芸能人は無し。部活も全部弱い」
玲香は「でも……」と続ける。
「去年、なんと我が校にスーパースターが入学しました。授業中はお絵描きかお昼寝、人の話は聞かない、遅刻常習犯、テストはほぼ最下位で留年スレスレの彼女ですが……」
「え、そんな人がいるんだ?」
彗は誰のことだろうと思って質問したが、玲香は彗をひと睨みだけして無視し、続けた。
「ひとたび竹刀を握ればまあ〜大変。なんということでしょう、ノゾ高の弱小剣道部員達は誰も彼女には敵いません。なんと天才剣士だった彼女は他校の剣士もバッタバッタと薙ぎ倒し続けて無敗で予選を勝ち抜き、なんと一年生でインターハイベスト16!二年生の今も無事地方大会を勝ち抜いており、来月のインターハイに出場予定!」
彗は話の流れを察し、玲香の歌劇がかった語り口の説明を苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。
早く終わらないかなと彗は心の中で願うが、玲香は大きく息を吸っている。どうやらここからもう一度大きく盛り上がりそうだ。
「そんな我が校始まって以来のスーパースターにして希望の星!それが、中村水!あ・な・た・な・の・で・す!!」
玲香は最後の自分の言葉に合わせながら、彗の頬を指先で7回つついた。
その指先には歌劇団のスターに花束を渡せることに対する嫉妬と、それを彗が聞いていなかったことに対する怒りが詰まっており、彗は頬が痛かった。
「でも、60年前ぐらいにノゾ高剣道部でインターハイ優勝した人がいるって田中先生が……」
「そんな大昔の話なんていまやノーカウントでしょ!とにかく、あなたは今やノゾ高の顔なんだから!!ヴェルサイユ・ロゼの人に花束を渡せる幸せを私の代わりにしっかりと噛み締めて渡しなさい!」
「はぁーい……」
彗は午後の睡眠を諦めた。
もしも花束を渡すタイミングに自分が眠っていたら、教師に大目玉を食らう上に玲香に酷い目に遭わされそうだと思ったからだ。
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歌劇というものは、あまりにも彗にとって退屈な時間であった。
情熱の恋愛劇を、役者達が大袈裟な動きで演じる。何より彗が理解できないのは、話の途中で突然歌とダンスが始まることだ。
彗は芸術の素養がないせいで歌劇を全く楽しむことができなかったが、隣の席の玲香は違うようだった。
「はぁー……至高。最にして高。生きててよかった……」
劇が終盤なのか、途中だが感極まったのか、玲香は涙を流していた。
ついに劇が終わり、彗はパチパチと拍手をした。
劇は自分には理解ができないものだが、今日来ているあの人達は劇に命を賭けて取り組んでいる人達。リスペクトは忘れてはいけない、と考えて彗は眠気に耐えながら大きな拍手を送った。
「ちょっと、あなた何してるの!?早く行きなさいよ!!」
「あ、ああっ!ごめん、忘れてたっ!」
劇が終わった瞬間、担任教師から花束を受け取ってそれを舞台女優に渡す。
この実に単純な流れを担任から2回、玲香から15回説明を受けていた彗だが、なんと忘れていた。
彗が慌てて走り出して担任教師の柊克美から花束を受け取ると、「中村、お前マジでいい加減にしろよ。後で職員室来い」と柊の声が聞こえたが、彗は聞こえなかったフリをした。
「それでは望が丘高校を代表して、2年A組の中村水さんから、歌劇団ヴェルサイユ・ロゼの彩光寺 麗子さんに、我が校に公演に来ていただいたお礼として花束をお渡しします。ヴェルサイユ・ロゼの皆様、今日は本当にありがとうございました!」
ナレーション担当の生徒がそう言い終わったところで改めて全校生徒が拍手を始めたので彗は舞台に上がり、彩光寺麗子に花束を渡す為に歩み寄った。
彩光寺麗子は派手な顔立ち、派手な化粧、派手な髪型と、派手尽くしの美人だったが、そのどれもが悪目立ちすることはなく、むしろ不自然なほど調和が取れていた。
「ありがとう。素敵な花束ね、いただくわ」
「アッ、ハイ」
麗子に声をかけられ、少し緊張しながら彗は花束を渡した。
こんな目に遭うなら試合なんて勝ち抜くもんじゃないな、と彗は心の中で毒づいた。
(やっぱ舞台女優さんだからかな、香水の香りがすごいや)
彗は麗子から、強めの香りを感じ取った。強く鼻に来る香りたが、決して不快ではない。
むしろ、彗にとってはかなり好きな香りだった。薔薇と柑橘系の香りを、綺麗に混ぜたような香りだ。
(あれ?この香り……)
── いい匂い!その香水どこに売ってるの?私、おんなじのつけたい!
── あー、これは私が自分でブレンドしてるやつだから……大きくなったら彗ちゃんにもつけてあげる
── うん、やくそく!
「…………えっ!?」
彗は驚愕した。
鼻に流れ込んできた麗子の香水の香りは、幼い頃の彗の記憶を脳内に蘇らせた。
彗は記憶が突然蘇ったことにあまりにも驚き、思わず目を剥いて麗子の顔を見た。
「………違う」
「………?」
そう、違う。
目の前にいるのは、『彩光寺麗子』。
ずば抜けた美貌と、美しいスタイルを誇っている舞台女優。今も笑顔を崩すこともないまま、彗の顔を見て「どうしたの?」と優しく微笑んでいる。
同じ香りを漂わせていた「彼女」とは、到底似ても似つかない。
幼い頃にあの家で共に暮らしていて、太っていて、ろくに働いていなくて、いつも家族を困らせていて、いつか同じ香水を付けてもらうと約束した──
「いえ、何でもないです、ごめんなさい……」
彗はそそくさと舞台を下りて、客席に戻った。
玲香に「どうだった!?ねえ!彩光寺麗子さん、どうだった!?」と肩を掴まれて体を激しく揺すられたが、彗は何も頭に入らなかった。
(そうだ、全然違う。『彩光寺麗子』は……)
──『月詠冬子』とは、似ても似つかない。




