8.やはり平和には暮らせない
「まだ昼間なのに、どうされたのですか?」
牢の入り口を開けると、筋トレに励んでいたモイーズが驚いたようにこちらを見た。
「エヴラールと会って、とても怖かったの。それで、何時までこんな思いをするのだろうと悲しくなって、もう死んでやろうと思った」
「何てことをおっしゃるのです!」
モイーズは慌てて私の方へやって来た。すると、鎖が伸び切って彼の足を止めた。勢いがついていたので、モイーズは前につんのめるように膝をつきながら、それでも気遣わしそうに私を見ていた。
「死んだりしては駄目です。お願いです。そんなことは考えないでください」
必死にそう言うモイーズを見ていると、私は馬鹿なことをしたと思ってしまった。
「侍女長に助けてもらったから大丈夫。もう自分で死んだりしないから。あのね、エヴラールに襲われて怪我をしたことにして、休職扱いにしてくれるって侍女長が言ってくれたの。だから、しばらく昼間もここにいることにする。よろしくね」
私は無理にでも笑おうとした。
エヴラールの顔を見た途端、もう全てが嫌になって突発的に死のうと思ってしまったけれど、侍女長だって、モイーズだって私のことを心配してくれているのだった。それが、神の怒りへの恐れや罪悪感からであっとしても、あの二人は私が生きていることを望んでくれている。
「ミキ様、怪我をされたのですか? エヴラールの奴、今度会ったら殴り倒してやる! 悔しいことに、奴はここに入れないし、俺はここから出られないので、そんな機会はないと思うが」
「違うの。エヴラールは近寄って来ただけ。呪ってやるって脅したら怯んで何もしなかった。あいつ、本当に顔だけで聖騎士に選ばれたんじゃないの?」
エヴラールは特にカナコのお気に入りだった。顔が良いからに決まっている。他に取り柄があるとは思えない。
モイーズは精悍な感じだけど、エヴラールはもう少し甘い。
「エヴラールは俺の四歳下なので、まだ二十一歳のはずだ。その年で聖騎士に選ばれたのだから、無能なはずはないと思うが」
何とエヴラールは三歳も年下だった。あんな男のことは興味がないからどうでもいいけど。
そんな訳で、私は牢の中で生活することになった。食事は牢番が運んでくれるので困らない。牢番は相変わらずしゃべらないし、姿も怪しさ満載だけど、慣れとは怖いもので、何時しか普通になっていた。
食事は小さなテーブルでモイーズと向かい合って食べている。
「私の両親も事故で死んでしまったの。でも、私には優しい兄がいるのよ。心配性なところはモイーズと似ているかもしれない」
私は少しずつ日本でのことを話せるようになってきていた。
思い出すとあまりにも辛くて、今まで口にすることができなかった。でもようやく吐き出せたような気がする。
そうすると止まらなくなった。涙と一緒に日本での思い出をしゃべり倒した。
モイーズは泣きじゃくる私の話を根気よく聞いてくれていた。
次の日には、モイーズが両親の思い出を語り出す。
日中に牢の周りを散歩するくらいで、ほぼ閉じこもっている生活はそれなりにストレスを感じてしまうけれど、もうカナコやエヴラールに会うこともないと思うと、死にたくなるようなことはなかった。
このままカナコたちが魔王討伐に出かけてしまえば、少しは自由を得られるのではないかと期待もしていた。
しかし、ある日突然やってきた神官長の言葉に、そんな甘い期待は打ち砕かれる。
「聖女様の侍女として、魔王討伐に同行していただきたい。これは聖女様の望みでもある」
牢番に命じて淹れさせた茶を優雅に飲みながら、神官長は私に微笑みかけている。しかし、内容はとても笑えるものではなかった。
「そんな馬鹿な! 過去の魔王討伐に侍女が同行した記録はないはずだ」
モイーズが掴みかからん勢いで文句を言っているが、彼の足に繋がれた鎖のせいで、神官長まで微妙に届かない。
それを知っているのか、神官長は慌てもしなかった。
「過去はそうであったとしても、聖女様の望みなのですから。ミキ、お願いできませんか?」
神官長はお願いだと言うけれど、断ることができるとは思えなかった。ここの結界を張ったのは神官長なので、自由に出入りできる。いくら体を鍛えようが、鎖に拘束されているモイーズでは私を護ることができないだろう。
「死んでも嫌だと言ったら、どうしますか? 無理強いするなら、この世界を呪って死ぬかもしれませんよ」
エヴラールには効いた脅しだが、神官長にはどうだろうか。私はドキドキしながら答えを待った。
「私たち高位神官は魅了魔法が使えます。禁忌扱いになっていますので、あまり使いたくはないのですが。どうか、ご自分でご同行を申し出ていただけませんか?」
私は唇を噛むしかなかった。魅了魔法まで出されては、対抗できるはずもない。
「神官長殿。それはいくら何でも、無慈悲すぎる」
モイーズも怒ってくれているが、先ほどまでの勢いはない。魅了には勝てないとわかっているのだろう。
それでも簡単に頷くことはできなかった。あの聖騎士たちが私を護ってくれるとは思えない。護るどころか、私は盾にされるのではないだろうか。
まだ見たこともない魔物に、無残に喰われてしまう未来しか思い浮かばない。
こんなことになるならば、あの時、井戸に身を投げておいた方が良かったと後悔しそうだ。
返事もできず黙ったままでいると、神官長が真剣な眼差しで私を見つめていた。
「一つお伺いしたいのですが、聖女の力に魅了が含まれますか? 聖騎士は聖女に魅了された状態なのでしょうか?」
断罪される可能性もあると知っていながら、執拗に私を狙うエヴラールが気持ち悪かった。カナコに魅了されている可能性もあると思ったのだ。とにかく、聖騎士がどこまで自分の意思で動けるのか、はっきりと知っておきたい。
「聖女様の力に魅了は含まれていません。聖騎士は聖女様に剣と忠誠を捧げますので、ある程度聖女様の御心を汲もうとするでしょうが、絶対服従するようなことはありません。なので、聖女様が貴女を害するように命じたとしても、聖騎士が従うとも思えません」
やはりあれはエヴラールの意思だったのか。水をかけられるくらいならまだしも、犯されるのは絶対に嫌だ。
「聖騎士たちは私を性欲解消に使うつもりではないでしょうか?」
純潔を失うと聖女の力を失ってしまう以上、彼らはカナコに手を出せない。手近に適当な女がいれば、それで済まそうとするのではないか。ここでさえ、夜に出歩くのは危険だと言われているのだ。一緒に旅に出るなんて、危険すぎると思う。
「それは、聖騎士を信じてもらうしかないですね」
神官長はそう言うが、あいつらのどこを信じたらいいのだろうか?
でも悔しいことに、私に許された答えは、魅了されて連れていかれるか、自分の意思でついていくかの二択だった。
「どうせ殺されるのならば、魅了されている方が怖くないと思うのよ。でもね。そうなれば、この世界を呪えないじゃない。だから、私は自分の意思で行くことにする。そして、死ぬようなことがあれば、私は神官長を含めて、この世界ごと呪うわよ。覚悟しておきなさい」
私はそう言って人差し指を神官長に向けてやった。私の呪いがどれほどの効力があるのかわからないけれど、絶対に負けないとの決意を込めて、神官長を睨みつける。
そんな私を見て、神官長は微笑みながら大きく頷いた。
「ミキ、決断をしていただきありがとうございます。第一級罪人モイーズをミキの護衛として同行させます。モイーズ、必ずやミキを護りなさい。モイーズは只今より一時的にこの牢から出ることを許可します。出立まで訓練に励みなさい。鈍った体ではミキを護れませんよ」
神官長はモイーズに顔を向ける。
「へっ、俺が、ですか?」
モイーズはいきなりのことで驚いたのか、かなり間抜けな声を出した。
「私を護ってくれると言ったのに、あれは嘘だったの?」
あれは筋トレをする言い訳だったのだろうか。ちょっと悔しい。そして、あの言葉にトキメキそうになった自分が情けない。
「いいえ、ミキ様を護ることができるのならば、俺はこれほど嬉しいことはありません。この牢から出ることができると思わなかったので、驚いただけです」
モイーズは慌てて否定したけれど、私を護衛するのは不本意だと思っているのではないかと疑ってしまう。
ここに来てから、性格が段々悪くなっていくような気がして、私はため息をついた。
モイーズはちょっと困ったような顔をしたけれど、神官長は表情を変えない。
「それでは、モイーズにはさっそく訓練場に行ってもらいます。ミキも同行する聖騎士に慣れるために、ついて行きなさい」
またエヴラールに会うかもしれないと思うと気が重い。またため息をついてしまう。
何時の間にかどこかに行っていた牢番が再び現れて、モイーズの足枷を外していた。自由になったモイーズは上の服を着ることも許されたようだ。彼の罪の証である背中の大きな焼印が隠れてしまう。それが、まるで私たちの絆が切れたように感じてしまった。
訓練場には予想通りエヴラールがいた。やはり追放もされず罪にも問われなかったらしい。
モイーズの大きな背中に隠れたけれど、エヴラールは私を見つけたらしく、大股でこちらにやって来る。
「この大馬鹿者が! ミキ様に何ということをしたんだ。ミキ様の腕にはおまえの指の形が痣になって残っていたのだぞ。どれほどの力で掴んだ! 女の命である髪も引っ張ったそうだな」
いきなりエヴラールの胸倉を掴んだモイーズは、そう言いながらエヴラールの顔に鉄拳をぶち込んだ。
まるで漫画のように吹き飛んだエヴラールは、鼻と口から血を流しながら倒れていく。
「さあ、膝をついてミキ様に謝れ! 謝って済むことではないが、とにかく謝れ」
モイーズは倒れたエヴラールの髪を掴み、無理やり跪かせる。
「もうし、ふぁけ、ありません」
盛大に鼻血を流しながら、エヴラールが頭を下げる。土の上には血だまりができていた。
あまりのことに返事ができないでいると、モイーズはエヴラールの腹を蹴った。
「ウッ!」
エヴラールは腹を抱えて蹲ってしまった。
さすがに止めようと思っていると、どこからかカナコが走り出てきた。
「何ということをするのです。誰かこの者を捕まえなさい」
「そんなことを言っても無駄だ。俺は第一級の罪人だからな。俺を断罪できるのはミキ様だけだ。それは聖女だとしても同じだ」
どういう理屈かと思うが、モイーズはカナコに従わなくてもいいらしい。とにかく他の聖騎士は全く動こうとしない。
「何をしているのよ。私の命令が聞けないの?」
カナコは聖騎士たちを睨みつけたが、やはり聖騎士は動かない。
「もういいわよ。エヴラール、聖女の私が癒してあげるわ。感謝しなさい。エヴラールの顔を狙うなんて、あの薄汚い罪人の嫉妬かしらね」
カナコはエヴラールの側に行き、手をかざした。すると、エヴラールの体が金色に輝き、その光が失せた時には、殴られた痕はすっかり消えていた。
「これが聖女の力よ」
カナコは私を見下すようにそう言った。聖女の訓練が上手くいっていないと思っていたが、力を使えるようになっているようだ。
旅の同行者としては喜ばしいことだと思う。