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6.初めての夜

 牢番はすぐに戻ってきた。腕には大きめの毛布を二枚抱えている。

「一枚は私に。もう一枚はあの男に渡して」

「俺には必要ないので、ミキ様がお使いください」

 男は毛布を断るけれど、自分だけ毛布に寝るのは気が引ける。

「悔しいけど、私はあなたに死なれると困るの。そんな格好で直接床に寝ていて、うっかり凍死でもしたらどうするの? とにかく毛布を使って」

「わかりました」

 そう言うと男は素直に牢番から毛布を受け取った。


 男に毛布を渡し終えた牢番は、まだ用事かあるかというように私を見ている。

「浄化魔法を私にかけてもらえませんか?」

 お風呂に入ったのは最初の日だけだったけれど、侍女棟には魔力を持たない私でも使うことができるシャワー室があり、毎日体を洗うことができた。でも、今日はまだシャワーを使っていない。本当は湯を浴びてさっぱりしたかったけれど、今夜はここから出る勇気がない。

 もし、牢番が浄化魔法を使えないのならば、とても嫌だけどあの男に頼むしかないのかと思っていると、牢番は大きく頷く。すると、私の体が淡く輝くような気がした。

 しばらくすると、全力で走ったため汗でべとついた体が、まるで風呂上がりのようにさっぱりとしていた。


「ありがとうございます。もう用はありません」

 そう言うと、牢番は静かに部屋を出て行った。

 そして、私を無理やり抱いた男と二人きりになってしまった。


 毛布はかなり大きかったので、二つ折りにして床に敷き、私はその中に潜り込んだ。床は不思議な素材でできていて、思ったより硬くはない。部屋はぼんやりと明るいが、眠りを妨げるほどでもなかった。

 これならば眠ることも可能だと思ったが、男が同じ部屋にいるためか、エヴラールに襲われた恐怖のためか、目を閉じても眠ることができなかった。


「まだ起きている」

 私は小さな声で男に訊いてみた。

 ここには時間を潰すような物が何もない。だから、男と話でもしようと思ってしまったのだ。私はあまりにも寂しかったのかもしれない。

 この世界に来てから、私は誰かと殆ど会話を交わしたことがない。侍女たちは私を仕事仲間として扱ってくれるが、年が離れていることもあり、気安く話をする仲ではなかった。

 聖騎士たちは私を無視するか、蔑むかのどちらかだ。その他の人も必要な時以外は私に話しかけることはない。


「はいミキ様」

 男もまだ眠っていなかったようだ。

「あなたの名前は何というの?」

 神官長に聞いたような記憶があるが、すっかり忘れてしまっていた。別に男の名など興味はないけれど、会話の相手の名くらいは知っていてもいいかなと思う。

「俺の名はモイーズです」

「年は?」

「二十五歳」

 思った以上に若い。もう少し年上だと思っていた。

「家族は?」

 会話というよりは尋問のようだ。でも、私を犯した男と楽しそうに談笑するのも変だ。これでいいような気もする。

「父と母は八年前、魔物に襲われ死んでしまいました。妹と俺は留守番をしていて無事でした。その妹も二年前に結婚しました」

 私と似たような境遇か。私の両親を殺したのは魔物ではなく車だけど。そして、私の面倒をみてくれていた兄は結婚して、私は一人になった。


 家族のことはお互い辛い記憶のようだから、私は話題を変えようとした。

「カレンって、あなたの恋人なの?」

 モイーズは蕩けるような目でカレンの名を呼んでいた。  

 恋人が魅了されて他の女を抱き、罪人となってしまって投獄されているとしたら、カレンという女性は嘆き悲しんでいるはずだ。

 それとも、モイーズを魅了したのがカレンなのだろうか。それならば、モイーズはあれほど愛していた相手に裏切られたことになる。同情はしないが、哀れだとは思う。


「カレンという名の女はいない。魅了されてそんな女がいると思わされていただけだ」

 カレンという女性の気持ちはわからないが、モイーズはカレンのことを恋人だと信じていると思っていた。

「あなたを魅了した相手でもないの?」

「俺を魅了したのは町の踊り子だ。あいつらは春も売っている。あの日の二日前、俺は休みだったので町へ行った。翌日から四日間、俺は召喚の間を護るため夜に立ち番をすることが決まっていた。それを他の聖騎士から聞いていたのだろう。だから、俺が狙われた。もし、ミキ様の降臨が五日後だったら、他の聖騎士が寝ずの立ち番をしていた」

「後悔しているのよね」

 私が違う日にこの世界に来ていたら、モイーズは罪人になることもなかった。今頃エヴラールのように、カナコに媚びを売って、私をいびっていたかもしれないのだ。

「当然だろう」

 モイーズの声は悔しそうだった。


「私が選んであの日に来たわけじゃないわよ。むしろ、こんなところへ来たくはなかったのに。女を買ってまんまと魅了されてしまうモイーズが間抜けなだけじゃない。私のせいみたいに言わないでよ」

「ミキ様のせいなどとは思ってもいない。後悔しているのは魅了されてミキ様を襲ってしまったことだ。本当に申し訳ないと思っている」

 モイーズは慌てて否定したけれど、本心はわからない。わかるのは私を抱いたことを後悔していることだけ。


「あの時のこと、覚えていないの?」

「詳しくは覚えていないが、とても気持ち良くて幸せな気分だった。俺はミキ様を酷く扱ったのだろうか?」

「そうね。泣いて止めてと言ったけれど、モイーズは容赦なかった。それなのに、他の女の名を呼びながら愛しているって言うのよ。酷い話よね」

 あの時のことを思い出すだけで泣けてくる。

「本当に申し訳ない」

「謝ったって、絶対に許せないわよ」

「わかっています。許されるとは思っていません。俺はこの命をもってミキ様に贖うつもりでした。俺の命が不要になれば、どうか、償いをさせてください」

 私は本当に辛かった。でも、命をもらわなければならない程の罪なのか、私にはわからない。



「その足首の鎖、ここまで届かないわよね」

 反対側の壁に固定されている鎖は、私のところまで届くほど長くないように見える。しかし、やはり不安だった。やつれたとはいえ元聖騎士。襲われたとしても私に抵抗する術はない。

「はい。そこまでは行くことはできません。しかし、届いたとしても、ミキ様を傷つけるようなことは絶対にいたしません。安心してください」

 確かに魅了されていなければ、モイーズは私を襲ったりしなかっただろう。

 

「もう寝るわ。疲れたから」

 まだ目は冴えていたけれど、これ以上あの時の話をしたくなかった。

「ミキ様、いい眠りを」

 モイーズはそう言うと、横になって毛布を被った。

「お休みなさい」

 こんな風に寝る前の挨拶をしたのは久し振りだ。少し嬉しいと感じてしまう。

 やがてモイーズの小さな寝息が聞こえてきた。

 私も目を閉じた。朝まで眠ることができないのではないかと思ったけれど、私はいつしか眠りに落ちていたらしい。



 コンコンとノックする音で目が覚めた。

「侍女長のロゼールです。ミキさんはそこにいますか?」

「はい。います」

 私は慌てて飛び起きてドアを開けた。眩しい朝の光が飛び込んでくる。

 ドアの前には侍女長が立っていた。


 硬い表情だった侍女長は、私を見てほっとしたように少し柔らかい雰囲気になった。

「良かったわ。部屋にいなかったから、心配していたのよ」

「申し訳ありません。昨夜、外で空を見ていると聖騎士のエヴラールに襲われかけて、ここまで逃げてきたのです。怖くてとても外へ出ていけませんでした。あの男は痣ができるくらいに私を掴んで、髪を強く引っ張ったのです。捕まれば殺されそうで、とても怖くて」

 私は薄っすらと指の形に青くなっている腕を見せた。髪の毛だって、何本かは抜けているはずだ。


 私の腕を見ると、侍女長は眉間に皺を寄せた。

「聖騎士エヴラールから昨夜のことは聞きました。彼は今夜から夜勤と変わります。もう、聖女様の側にはいませんので安心しなさい」

「どうせ、エヴラールは自分に都合の良いように報告したのでしょう。そして、勤務を夜勤に変えるだけ済むのですか。この世界の女性は随分と蔑視されているのですね」

 エヴラールが何を言ったか知らないが、女性を襲っておいて夜勤に変えるだけって、ありえない。


「ミキが怒るのはわかります。でも、ここにいるのは侍女以外殆ど若い男性なのです。夜に一人で外へ出たミキも不用意だったと思います」

「私が夜に外へ出ていたから、襲われても仕方がないとおっしゃるのですか? 襲った男には罪はないと!」

 モイーズが罪人となったのは、私が聖女だったから。普通の女ならば何の罪にも問われないらしい。


「申し訳ありません。聖騎士に関しては、私にはどうしようもできなくて。本日から夜はここで過ごしてもらえますか。もし、聖騎士がミキを本気で襲おうとすれば、私たち侍女では止めることができないのです。でも、この牢獄ならば、聖騎士といえども立ち入れません。この中をなるべくミキが過ごしやすいよう改装するように私からお願いしておきますから」

「わかりました」

 私も襲われるかと恐れながら侍女棟で暮らすより、この牢獄にいる方がいくらか気が楽だ。



 カナコの部屋へ行くと、カナコに侍っていた聖騎士のメンバーがすっかり変わっていた。新しくカナコに侍ることになった五人の聖騎士は、私を無視することに決めているらしい。


「昨夜は男のところで泊まったのですって。さすが、召喚されてすぐに聖騎士を誘惑した女ね。恥知らずだわ。あなたたち、こんな女に惑わされては駄目よ」

 思い切り蔑んだようにカナコが私に言ったけれど、周りにいる聖騎士は私を見もしなかった。

「カナコ様、庭を散歩されてはいかがですか? 朝しか咲かない花があるのですが」

 一人の聖騎士がカナコを誘う。

「そうね。外は空気も美味しそうだから。あの女と一緒の部屋にいると、淫靡(いんび)な空気に染まりそうだもの。庭へ行きましょう」

 カナコは私を指差したが、五人の聖騎士はやはり私の方を見ることはなかった。まるで私など見えていないようで、あまりにも無視が徹底していて気持ち悪いけれど、暴言を吐かれたり直接暴力を振るわれたりするよりは随分とマシだ。

 カナコと聖騎士が出て行ってから、私はベッドのシーツを取り換えることにした。

 いびられたからって、仕事を放り出すようなことはしたくない。



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