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5.安全な場所

「聖女様、どうされたのですか?」

 部屋の奥から弱々しい声がした。そちらに目を向けると、私を汚した男は上半身裸で壁にもたれかかって座っている。相変わらず足首には鎖がついた枷がはめられていた。

 あれからもう一か月以上は経っている。男はずっとここに囚われていたらしい。


「私は聖女じゃない! 私はミキ。あなたのせいで処女を失って聖女ではなくなったのよ。それなのに聖女と呼ぶなんて、それは嫌がらせなの?」

 新しく聖女として呼ばれたカナコのせいでこんな目に遭っているのだ。聖女なんて今一番聞きたくない言葉だった。


「申し訳ありません。ミキ様」

 謝ってもらっても、許せる筈はない。

「私が聖騎士に襲われたのも、全部あなたのせいなのよ。聖騎士たちは処女を失った聖女なんて、娼婦のように扱ってもいいと思っているのでしょう? 馬鹿にしないで! 聖騎士なんて名乗るんじゃないわよ。ただの強姦魔のくせに!」

 私に力がないのが悔しかった。あんな奴らでも魔法も剣も使えるエリートだから、私では到底敵わない。

「誰がそんなことを」

 私がそう怒鳴っていると、更に弱々しく男が訊いてきた。


「エヴラールとかいう最低の男よ」

 あんな奴のことなんて思い出したくもなかった。それでも、強く握られた腕と髪を引っ張られた頭の痛みが、先ほどのことを忘れさせてくれそうにもない。

「まさか。あの男がそんなことを」

「新入りだと聞いたけれど、知り合いなの?」

 あいつは新たな聖女召喚の直前に聖騎士となったらしい。


「エヴラールは騎士訓練所の後輩だ。王都の騎士団にいたはずだが、俺が罪を犯して聖騎士を辞めたので、補充のため新たに聖騎士に叙任されたのだろう。あいつはかなり優秀な騎士だった」

「あの男が優秀なんて、聞いて呆れるわ。今日の昼間はね、水がいっぱいに入った重い桶を持っている私にわざとぶつかり、マントに水がかかったと難癖をつけて私に桶の水をぶっかけたのよ。そして、さっきはいきなり私の腕を掴んで慰めてやるって。振りほどこうと思ってあいつの手に噛みついてやったら、髪を思い切り引っ張られたのよ。本当に酷い男だよね。私の世界では騎士とは騎士道を重んじる立派な人たちだとされているけれど、この世界では違うのね。あなたもあの男も女なんて無理やり犯せばいいと思っているのでしょう」

「ミキ様、それは違います」

 男の声は少し大きくなった。


「私の言うことが嘘だと思うなら、これを見なさいよ」

 私は男に近づき、痣になっている腕を見せた。その痛みを思い出すと、怖くて悔しくて涙が出てしまう。


 夜だけどこの部屋は明るい。男には私の腕の痣がはっきりと見えたはずだ。そして、私も男を間近で見ることになる。

 記憶の中の男よりかなりやつれていた。頬はこけ、目がやけに大きく感じる。筋肉も落ちたらしく、腹にはあばら骨が浮いていた。


「ちゃんと食べているの」

 思わずそう訊くと、男は頷いた。

「勝手に死ぬことなど俺には許されないから」

「量が少ないのではないの?」

 明らかに食事量が足りていないと思う。

「最低限生命が維持できるくらいは与えられている」

 これが死なない最低限の量だと言うのか。一か月でここまで体重が落ちるのならば、そのうち死んでしまうのではないだろうか?



 私は唇を噛んで入り口付近に戻った。もっと男を(ののし)って責めてやろうと思っていたが、それはただの憂さ晴らしで、私を虐めてストレスを発散しているカナコと同じだと気がついた。そんなことをすれば神官長の思う壺だ。

 悪いのは実行犯のエヴラールなのだ。そして、あんなことを命じたのはカナコに違いない。

 

「外に出るのが怖い。あいつが待っているかもしれないもの。あいつに捕まったら、私は犯されて殺されるのよね。だから、朝までここにいるから」

 ここは私のための牢獄だと神官長は言った。だから、私にはここにいる権利がある。男の足首につけられた鎖は入り口側の隅までは届かない。悲しいけれど、私にはここが一番安全な場所だった。


 ここには本当に何もない。ベッドも毛布さえもなかった。男は床に直接横になっているようだ。風呂も入っているようには見えないが、思った以上に臭いはしない。おそらく浄化魔法を使っているのだろう。


「朝までここにいるのならば、牢番に毛布でも頼めばいい。ここはミキ様だけの場所だから、ここにいる限りあいつはミキ様の命令に従うから」

「牢番って、あの仮面をつけた不気味な人よね」

 あの人も十分に怖い。以前会った時は一言も発していなかった。ゆったりとした黒いローブを着ていて、年齢どころか性別もわからない。とても会いたいと思うような人物ではない。


 私が悩んでいると、ノックの音がして牢番が静かに部屋へと入って来た。そして、無言で立っている。

「毛布を二枚用意してくれますか? それとあの男の食事量をもう少し増やして。彼が死んでしまったら、私の居場所がなくなるもの」

 ここはあの男を捕えておくための牢獄だから、男が死ねば不要になる。私はそれが怖かった。

 牢番は黙って頷いた。そして、部屋を出ていく。


「まだ俺を生かしておくつもりなのか?」

 牢番が出ていくと、男が不満そうにそう言った。確かにここの生活は辛いだろうけれど、ここがなくなれば私は逃げ場を失ってしまうのだ。

「だって、私には安全な場所はここしかないのよ。私のために生きるくらいしてもいいでしょう。こんな目に遭わせたのはあなただし。私を襲おうとしたのは聖騎士なのよ。さっきは何とか逃げられたけれど、次は無理かもしれないから。あなたの時だって、あれほど抵抗したのに無駄だったから」

「本当に申し訳ない」

 男は何度目かの謝罪の言葉を口にしたけれど、もちろん私は許すことなどできなかった。


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