3.侍女となる
小さな牢獄を出て、走って館の玄関に入ると、神官長に追いつくことができた。
「私は侍女になります」
荒い息のまま私は神官長にお願いする。
あの男が囚われている牢獄を見て、私は本当に怖くなった。これ以上神官長に逆らえば、私もあの男のような目に遭うのではないか。そう思うと、神官長の申し出を断ることができなかった。
「それは良かったです。力を失ったからといって聖女を外に放り出すことはできませんからね」
それは私をここから逃がさないという意味かもしれない。神官長には不信しか感じないが、私は頑張って笑顔を見せた。
「はい。お世話になります」
ここに勤める以上、神官長は雇い主的な立場になるのだろう。挨拶くらいした方がいいと思い、私な無理して愛想笑いを浮かべる。引きつった笑顔になっているかもしれないが、神官長は気にした様子もなく、表情を変えることはなかった。
「侍女といっても、それほど仕事があるわけではありません。突然この世界に召喚されて、心細い思いをされるだろう聖女様をお慰めしてくれればいいのです。詳しいことは侍女長に訊いてください。それでは、頑張ってくださいね。私は次の召喚の準備をしなければならないので失礼します」
そう言って神官長は足早に去って行った。
玄関ホールに取り残された私は誰が侍女長かもわからず、どうすればいいのかと悩んでいると、見知った二人の侍女が現われた。
「私が侍女長を務めているロゼールです。こちらが侍女のウラリーです。よろしくね」
先ほど会った年配の女性が侍女長だった。ロゼールさんは四十歳くらいで、ウラリーさんは三十歳半ばの女性だ。どちらも優しそうな人なので安心した。
その後、他の侍女たちも紹介された。この館に勤める侍女はたった五人。私を含めても六人だ。
厨房には男性の調理人がおり、掃除や洗濯という作業は下働きの男性が行うので、侍女は聖女の身の回りの世話だけを行うらしい。
聖騎士も含めて男性は若い人が多いらしいが、侍女に若い人はいない。ウラリーさんは若い方で、殆どが未亡人らしい。二十四歳で未婚の私は明らかに浮いていた。それでも、皆は優しく仕事を教えてくれた。
今は聖女が不在なので、それほど仕事はない。私はお茶の入れ方を習ったり、聖女の部屋の家具を磨いたりして過ごしていた。
侍女は朝から夕食までの勤務で、夜勤はしない。夜は侍女だけが住む別棟で過ごすのだ。私は三畳くらいの部屋を使わせてもらうことになった。かなり狭いが個室なのが嬉しかった。
食事は三食賄われた。かなり広い食堂で、時間内ならば自由に食事ができる。メニューは日替わりで選べないが、味は悪くなかった。
聖女の館が建つ敷地内は自由に移動できたが、予想通り敷地外には出ることができなかった。広い敷地は高い塀で囲まれ、外への出口は聖騎士が守っている。逃亡はとてもできそうにない。
敷地内には聖女の館以外に、神官が住んでいる神殿や聖騎士が住む棟があるが、そこへは入ることは許されなかった。用もないので行くつもりもない。特に聖騎士にはなるべく顔を合わせないように気をつけていた。
こうして十日ほどが過ぎていく。
その間、あの男のことは極力考えないようにしていた。もちろん、あの物置のような牢獄には立ち入ったことはない。
あの男がまだ生きているのか気になる時があるが、慌てて頭から追い出した。焼印を押され、脚を壁に繋がれているのは可哀想だとは思うけれど、こんなところに連れて来られて帰ることができないのは、あの男のせいだと思うと助ける気にもならない。
そんなことをぼんやりと考えていると、私が処女を失った召喚に間のドアが青く光る。
私はその隣の控室を掃除していたので、すぐに異変に気がついた。
「聖女様が降臨されました。ミキさん、行きますよ」
同じく控室にいたウラリーさんがそう言うと、光るドアを開けた。
私の時と同じように、聖女召喚の間にはベッド以外のものは置かれていない。そのベッドには魔力が込められていて、聖女を導くようにできているのだそうだ。違う世界から召喚できるのは聖女の体だけ。服や身の回りのものは一切持ち込めない。
神官たちは別棟の神殿で召喚の儀式を行うが、真っ裸でこの世界にやって来る聖女を慮って、聖女は無人のこの部屋に現れるようになっている。
全裸でベッドに眠っている黒髪の女性は、私よりは少し若く見える。東洋人のようで、もしかしたら日本人かもしれないと私は期待した。ここには同年代の女性がいないので少し寂しい思いをしていた。新しい聖女が話し相手になってくれると嬉しいと思っていたのだ。
「とにかくガウンを着せましょう。聖女様が眠りから目覚めましたら、湯あみをして、神官長と会っていただくことになっております。ミキの時も昼間なら、あんなことにならなかったのに」
ウラリーさんは悲痛な表情を浮かべた。
私がこの部屋に現れたのは早朝だった。
神官たちは聖女を召喚する場所の指定はするが、いつ召喚されるかはわからないらしい。ただ、召喚の間は結界で守られているし、魔法で温度調節もされている。聖騎士が寝ずの番をしていることもあり、過去には何も問題がなかったとのこと。
私の時の教訓から、聖女召喚の間には魅了を感知して解く魔法が新たに加えられている。私の時にもそんな魔法があれば、あんな目に遭わなかったのにとちょっと悔しい。
しばらくすると、召喚の間に侍女長もやって来た。
「ミキは聖女の部屋を調えておいて」
「わかりました」
目覚めた聖女に変なことを言うのではないかと心配したのか、侍女長は私を部屋から出した。
聖女の部屋はとても豪華だ。ゆったりとした居間と天蓋付きのベッドがある寝室に別れていて、サンルームもある。全てを合わせると百畳ほどもありそうだ。
私の狭い部屋とは段違いだけど、そんなことを思っても仕方がないと諦める。とにかく部屋の掃除をして、ベッドにシーツをかけた。チェストに入っている下着と服を確認して、庭から花を切ってきて花瓶に生ける。
そして、居間の隅に置かれた侍女用の椅子に座って待つことにする。聖女が部屋にいる時は、許可がなければ座っては駄目らしい。最悪一日中立ちっぱなしになる。夜勤がないのが有難い。
『気が合う人ならいいな』
そう思っていた私は、ここが聖女のための館だと忘れてしまっていた。
「貴女がミキね。貴女はここへ来てすぐに処女を失ったのですって。だから私がこんなところに呼ばれてしまったのよね。本当に迷惑な話だわ」
神官長との面談を終えて部屋にやって来た聖女は、名前も名乗らず私を責めた。
「でも、それは魅了されていた聖騎士に無理やりに」
「ミキは私の侍女なのよ。神官長でさえ聖女様と呼んでくれるのに、ミキはタメ口ってどうなの? 侍女長の教育がなっていないと思うけど」
私の言い訳は聖女に邪魔をされた。随分と高飛車な物言いだ。
「大変申し訳ありません。ミキには良く言い聞かせておきますので」
侍女長が頭を下げると、聖女はようやく気が済んだようだ。