2.未希だけの場所
「帰ることができないと言うのであれば、一生私の面倒をみてくれるのですか? 賠償金は払っていただけますか?」
私は神官長に訊いた。
彼の言葉を信じるならば、ここは地球とは違う世界らしい。それが本当なら、聖女の力を失ったからとこのまま放り出されても困る。もしここが日本ならば、警察に駆け込めばいいと思うが、場所もわからないまま無一文で外に出る勇気もない。
「申し訳ないが、聖女ではなくなった貴女の面倒をみることはできない。ここは聖女のための場所なのだ。ここの主は新たに召喚した聖女となる。聖騎士も侍女たちも、ここにいる者は皆聖女に仕えるために集められている。貴女の世話をする余裕はない。また、予算は全て聖女のものだ。貴女には使えない」
「それでは、どうしろと! 勝手に拉致をして、帰らせてももらえず、役に立たないからと、ここにも置いてくれないのですか?」
何と言う非道な行いだろう。
私が望んだわけではない。ここへ来ることも、いきなり処女を奪われることも。
それなのにこの仕打ち。私がいったい何をしたと言うのだろうか。
「聖女の侍女になるのならば、雇い入れることは可能だ。聖女が帰還したとしても、この館の管理に何人か必要なので、その中に加えることにしよう」
勝手に連れて来られて、見知らぬ女性に仕えさせられる。それはとても理不尽だと思うけれど、賠償金も払ってもらえないとなると、職がなければ生きていくことすら難しい。でも、唯々諾々と従うのも悔しい。
「少し考えさせてください」
神官長の語る話はあまりに奇想天外すぎる。その話が本当なのか、ここはどこなのか私は知りたい。そして、外には警察があり、拉致被害者である私を保護してもらえるのか、見極めなければならない。
「いいだろう。次の聖女召喚まではしばらく時間が必要だ。それまで決めればいい。それよりも見せたいものがある」
そう言うと、神官長はおもむろに立ち上がった。私もゆっくりと席を立つ。
神官長に続いて私は館の外へと出た。振り返って見るととても豪華な建物だ。庭も美しく整えられている。その一画に倉庫のように粗末な建物が見えた。窓は一つもないようだ。さっきまでいた館の豪華さとはあまりにも違い、装飾の一つも施されていない。
「あれは貴女だけの場所だ。ここに住まう者でも自由に立ち入ることはできない。貴女以外はね。それは聖女だとしても例外ではない」
「ここに住めというの」
力を失った聖女には物置が相応しいとでも言うのだろうか。
「いいえ。これは牢獄なのです」
まさか、私を投獄しようと思っているの。神官長に怒鳴ったから?
逃げなければ。そう思い後ろを振り返ると、少し離れた場所に大柄な男が数人立っていた。彼らが身に着けている紺色のマントがあの男を思い出させる。おそらく聖騎士と言われる人たちなのだろう。
とても逃げられそうになかった。あいつらに近寄るのも怖い。
「どうぞ」
神官長が小さなドアを開けると、中に入れと私に手で示す。
ビクビクしながら中に入ると、そこは二十畳ほどの部屋だった。油が焦げるような嫌な臭いが充満している。
窓がなく、明かりもついていないが、壁自体がぼんやり光っているようで、それほど暗くはない。
目が慣れてくると、部屋の奥の方に、上半身裸の男がうつ伏せに倒れているのが見えた。男の右足首には鎖がついた枷がはめられていて、その鎖の端は壁に固定されている。
この部屋の嫌な臭いはその男から漂ってきていた。原因は背中に押された大きな焼き印だった。男はピクリとも動かない。
あまりのことに私は男から目を離し、横に立っている神官長に目を向けた。
「し、死んでいるの?」
「いいえ、第一級罪人の印を刻んだだけです。おい、牢番、その男に水をかけて目覚めさせろ。そして、謝罪をさせるのだ」
神官長が声をかけると、ドアが開きフード付きの黒いローブを着た人物が現われた。その人物は不気味な仮面をつけていて、男か女かすらわからない。
部屋の隅には洗い場があり、牢番は大きなバケツを水で満たした。そして、横たわっている男にその水を思い切りぶちまける。
床は緩やかに傾斜しているらしく、水は奥の方に流れて隅の排水溝に消えていく。その水には血が混じっていた。
一杯、二杯とバケツの水をかけられると、男が唸り声を上げた。
「これくらいの焼印を押しただけで気を失うとは、聖騎士として鍛え方が足らないのではないか。本当に情けない」
神官長は呆れたように言うが、男の背中の焼き印は直径二十センチほどもあった。見ているだけで痛々しい。
仮面をつけた牢番が男の上半身を無理やり持ち上げると、男の顔が確認できた。予想通り私を無理やり抱いた男だ。
「さあ、おまえが汚したこの女性に謝罪をしなさい」
そう神官長が命じると、男はゆっくり身を起こし、片膝をついた。そして、床にこすりつけるほどに頭を下げる。
「うう、聖女様。誠に申し訳、ありませんでした」
呻き声が混じる掠れたその声は、あの時聞いた艶のある甘い声とは全く違っていた。
「いきなり加害者に会わせるなんて、酷いです」
私を犯した男と会ったためか、男の焼き印があまりに痛々しいからか、私の呼吸は乱れ動悸も激しくなっている。
「あの男の殺生権は貴女にあると伝えたかったのです。煮るなり焼くなり好きにしてください」
男の苦痛に歪む顔を見ても、神官長は何も感じないらしく、口調も全く変わっていない。それが却って不気味だった。
「でも、あの人は魅了されていたのでしょう?」
あれは彼の意思ではなかった。私を認識さえしていなかったのだ。悔しいけれど、悪いのは彼を魅了して操った奴だ。
「聖女を汚した。それは何よりも罪が重いのです。どんな理由があろうとも許されることではない。貴女には本当に申し訳ないことをしました。どうか、あの男を殺すことで、怒りを収めていただけませんか?」
「あの人を殺したからって、私は家へ帰ることができるの? 体だって元には戻らないでしょう。あの人が死んだって、なかったことにはできない」
神職にあるはずの神官長は、私に人を殺して憂さを晴らせとでも言うのだろうか。
「それは重々わかっています。しかし、私にはこの世界を守る使命がある。新たな聖女を召喚しなければならないのです。これ以上汚された聖女の貴女に拘わることはできません。あの男を含めて、この場所だけは貴女の自由にできます。この場所にいる限り、あの牢番は貴女の命令を聞きます。直接手を汚したくないのであれば、牢番に命じなさい。あの者は処刑人も兼ねていますから。拷問にも慣れています」
そう言い残して、神官長は部屋を出て行った。
「聖女様、お許しください」
荒い息を繰り返しながら、私に謝罪を繰り返す男。
そして、不気味な仮面の人物。
神官長に置いて行かれ一人になった私は、恐怖で顔を背けることもできず、後ろ向きに下がってドアまでたどり着いた。
そして、慌ててドアを開け部屋を出た。
館の方に向かって走りながら、あの部屋で見たことは忘れようと思っていた。