13.聖女覚醒
「このまま外へ押し出すから、悲鳴を上げてくれ」
エヴラールの顔が近づいてきたと思うと、私の耳元でそんなことを囁いた。
思わず彼の顔を見るが、無表情のままだ。
言葉はわかるけれど、彼の意図がわからない。
首筋が凍りそうなほどに冷たい。悲鳴を上げろと言われても体が言うことを聞かなかった。できるものならとっくにやっている。
剣が首の近くにある状態では、声が出せないと首を振ることもできない。
「ちっ!」
エヴラールが小さく舌打ちをした。
と同時に、背中に熱を感じる。
「危ない!」
エヴラールは私を抱えるようにして横に跳んだ。剣が首から離れたので振り返って見ると、テントの入り口が燃え上がっている。そして、まるで悪鬼のような表情を浮かべたモイーズが立っていた。
モイーズは炎を纏わりつかせたような真っ赤な剣をこちらに向け、ゆっくりと歩いてくる。
「エヴラール、何をしている! ミキ様を今すぐ放せ!」
「先輩こそ、ミキ様が火傷でもしたらどうするつもりなんですか!」
更に私を抱える腕の力を込めるエヴラールは、どうみてもモイーズの剣から私を護っているようだった。
「とにかく、ミキ様を放せ」
「先輩! 剣をしまってください」
「その隙にミキ様を殺そうと思っているのだろう! ミキ様は俺が絶対に護る」
モイーズは熱く語るが、剣もとにかく熱い。その剣から私を護るように構えられたエヴラールの剣からは、冷気が出ていて気持ちがいいくらいだ。
「エヴラール、ミキ様をこちらに」
睨み合う二人に気を取られていると、すぐ傍に隊長が来ていた。
それを見たエヴラールが腕の力を緩めたので、脚に力が入らなくなっていた私は、立っていることができなくて崩れ降りそうになる。すると、隊長が軽々と私をお姫様抱っこしてしまったのだ。
他の聖騎士よりも小柄だと思っていたが、隊長は私を抱えても普通に歩いていた。その揺れが少し怖くて、私は隊長の首に手をまわす。
まだ小学校の時、脚を怪我してお父さんに抱っこされて以来の経験なので、やはり緊張してしまう。
横を見ると、カナコも他の聖騎士にお姫様抱っこをされていた。
「あの女がいなくなれば、私は完全な聖女になるのよ。あの女が私から聖女の力を奪ったのよ」
泣きながら叫んでいるカナコを、まるで子どもをあやすようにしながら聖騎士はテントを出て行った。イケメンの彼は私にきつく当たっていたカナコの取り巻きの一人だ。
嫌な奴だったけど、カナコには優しいのだなと思いながら、隊長に抱かれて外に出る。
それと同時にテントが盛大に燃え上がった。一瞬で大きくなった炎は辺りオレンジ色に染めて、やがて瞬くように消えていく。
火が消えても暗くなることはなかった。テントが張られていた場所に、モイーズとエヴラールが対峙していたのだ。彼らが手にした剣はそれぞれ赤と青に光り輝いていて、二人の姿をくっきりと浮かび上がらせていた。
戦いの始まりは突然だった。
「よくもミキ様に剣を向けたな! 約束通りぶっ殺してやる」
モイーズの怒りは、少し離れたところで見ている私にもわかるようだ。彼の剣に纏わりついた炎は、荒ぶるように舞っていた。その剣をモイーズが振り下ろす。エヴラールの剣が止め、甲高い金属音が響き渡った。
「先輩、待ってください。これには訳が。隊長の命令で」
エヴラールはそう叫んでいるが、モイーズの剣は止まらない。エヴラールは何とか剣で防いでいる状態だ。剣がぶつかり会う度に、赤い炎と青い光が飛び散っている。
何とも派手な戦いは、ゲーム画面のようで現実感がまるでなかった。
「エヴラール、とにかくモイーズを止めろ! あんな女でも聖女様だ。殺させるわけにはいかない」
呆然とそんな戦いを見ていると、隊長の胸が大きく動いて、思った以上に大きな声で怒鳴っていた。
そうだった。ぼうっと見ている場合じゃない。モイーズを止めなければ、エヴラールとカナコが殺されてしまう。
二人とも憎い相手だけど、それでも、目の前で殺されていい気味なんてとても思えない。
モイーズが私のために人を殺すなんて嫌だった。私はそんな彼の罪を受け止めきれない。
「モイーズ、もう止めて、お願い」
そう叫んだけれど、闘っている彼に声は届いていない。
「降ろしてください。もっとモイーズの近くに行かなければ」
私は隊長の腕から降りようとした。
「駄目です。とても危険ですから、しばらくここにいてください。エヴラールが何とかしてくれるはずですから」
隊長は私を縦抱きにして、背中をぎゅっと抱え込んだ。まるで子どものような抱っこで羞恥心が更に増す。私の顔面は赤く染まっていると思うが、そんなことに構ってはいられない。
カナコは数人の聖騎士に護られているが、エヴラールは本当に余裕がなさそうだ。
「放してください。お願いです。モイーズを止めないと」
そうお願いしても、隊長は首を横に振るだけだった。その顔が苦しそうなので、エヴラールの死を覚悟しているのかもしれない。
「許してください。モイーズもエヴラールも貴女の罪人ですから、その生死を決められるのは貴女だけなのに。でも、剣技だけならともかく、魔法剣で戦っている今は我々でも近づけない。とても貴女を近くに行かせることはできません」
「何を言っているの?」
モイーズが罪人で、私が彼の生死の決定権を持っているというのは知っている。でも、エヴラールは何の罪にも問われなかったのではないの?
「エヴラールは貴女への暴行の罪で第二級罪人となりました。本人は貴女の裁定を受けて死ぬつもりだったようですが、私が止めたのです。貴女を聖女様から護るためにね」
『第二級罪人って何?』
そんな疑問を口にする間はなかった。
炎が一段と大きくなり、辺りを夕方のように赤く染めた。そして、ゆっくりと倒れていくエヴラールの胸に、モイーズの剣が深々と突き刺さっていく。
それから、モイーズが剣を引き抜いた。真っ赤な血が飛び散るように流れ出てエヴラールの体を染めていく。
「もう止めて。お願い、誰も死なないで」
私は声の限り叫んでいた。
体が燃えるように熱い。何かが私の中を通り過ぎていくような未知の感覚があった。
気がつくと周りが金色に光り輝いている。
「聖女様が覚醒された!」
隊長がそんなことを叫んでいたので、この光はカナコから出ているのかと思ったが、彼女は呆然と私を見ているだけだった。
「よろしければ、エヴラールを治療していただけないでしょうか? もちろん、あいつの死を望むならば、無理にとは言いませんが」
隊長が私は降ろしながら、縋るように私を見ていた。
「エヴラールの死を願ったりはしませんが、私には治療なんてできないのです」
「貴女は聖女様です。そして、たった今覚醒されました。貴女ならばあの状態のエヴラールでさえ治せるでしょう」
迷っている暇はなかった。私は全力で走る。金の光が私についてきていて、二人の剣の光が消えても暗闇ではない。
「ミキ様、も、申し訳、ありません」
エヴラールの出血は本当に酷かった。まるで蛇口を開けたように流れている。それでも彼は死んでいない。薄目を開けていて、走り寄ったのが私だとわかったようだ。
私は治療魔法の方法など習っていない。心臓や肺が傷ついているだろうエヴラールの傷を、手足を怪我した時と同じような治療で治るはずはない。そんなことはわかっているけれど、それしか私にはできなかった。
血が溢れ出ている深い傷を寄せて強く押さえる。
「血が止まって。傷が治って。お願い」
そう言うと、一層光が強くなったような気がした。
そのまま押さえていると、弱かったエヴラールの鼓動が強さを増してきた。眠ってしまいたいような疲労感を覚えるが、それでも私は願い続ける。
「もう手を離して大丈夫ですよ」
私の肩にそっと手を置いたのは隊長だった。
私は小さく頷き、エヴラールの傷から手を離す。すると、あれほど深かった傷が盛り上がっていた。
「血がかなり出たので、しばらく動けないと思いますが、エヴラールは若いのですぐに元気になるでしょう。心配いりません。それよりまた手が血で汚れてしまいましたね。私が浄化魔法をかけましょうね」
そう言って隊長は私に浄化魔法を使った。ピリッと全身を刺激していくようなその浄化魔法に、私は覚えがあった。モイーズのものと微妙に違うのだ。
「牢番さん?」
「見破られましたか。詳しいことは後ほど。今はとにかく野営の用意をしなければなりません。おい、モイーズ、何を惚けている。おまえも手伝え、とにかく、明かりを確保しろ」
「隊長?」
モイーズはただ茫然と私を見ていた。
それでも隊長に叱咤されたモイーズは何とか動き出し、地面に立てられたいくつかの松明に火をつけ、明かりを確保した。もうすっかり日は落ちて、私の周りにあった眩しいほどの金の光も消えていたので、松明の光だけが頼りだ。
それから、聖騎士たちは遅い夕食の用意を始める。大きな鍋に水を入れ、干し肉と根菜を入れた簡単なスープだが、美味しそうな匂いが漂ってきた。
こうして、火をみんなで囲みながら食事をすることになった。私を殺そうとしたカナコは暴れすぎて疲れたのか、眠ってしまっていた。




