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正道ウカガイ

 白宮のウカガイ様こと松本千春はじっと画面を見つめ、背もたれに体重を預けた。


「良く分かんないけど、菊池くんってモテるんだね」

「そういうつもりで見せたんじゃなありません」


 良太は薄っすらと頬を染めつつ、スマホの液晶に指を滑らせ過去のやりとりを映す。


「覚えていませんか。六年二組のこと。……たぶん松本さんがイジメられていたときのこと」

「イジメ。イジメね……あったね、色々」

「中村由佳さんから色々と聞きました。覚えていますか?」

「中村由佳……?」


 千春はしばし虚空を睨み、やがて、ああ、と頷いた。


「あの、たぬきの子ね。由香って言うんだ。そっか……覚えてるよ。めっちゃくちゃ嬉しかった。泣いちゃったくらい。あのころね」


 言って、千春はポケットをまさぐり、テーブルに黒く薄汚れたぬいぐるみのストラップを置いた。たぬきのぬいぐるみだった。見覚えのある造形は、どこかで見たかといえば一つしかない。


「いつだったかな、水ぶっかけられてさ。そのあと殴られて。――ゴミ箱かぶせられて蹴られて。生ごみで顔中ぐっちゃぐちゃでさ。トイレで顔を洗ってたら、後からわざわざ入ってきた子がいて。私、びびって動けなくて……そしたら、その大人しそうな子、手だけ洗って、忘れたフリしてタオルと一緒に置いてってくれたんだ。――でも、どう返せばいいのか分かんないし、下手に返すと巻き込んじゃうと思って、そのまんまになってる。ずっと同じ学校なのにさ、まだ返せてないんだね」


 懐かしそうに小さなたぬきの頭を撫で、千春は言った。


「――で、久我硝子ってのは誰? 菊池くんの彼女とか?」

「違いますよ」


 良太は投げやりな挑発に乗らなかった。


「松本さんが六年二組に在籍していたころ、同じクラスに所属していたはずです」

「……へえ。そうなんだ? あんまりよく覚えてないかも」

「白宮の、僕の隣の席に座っていた人です」

「ああ、あの――」

「そうです。()()()()()。その人が、もしかしたら、松本さんが六年生の頃、クラスの誰かを焚きつけて追いつめようとしたのかもしれません」

「……そうなんだ。暇な奴だね、そいつ」


 千春は機械的にハンバーガーをかじった。


「腹は立つよ。むかつく。あいつかよって思った。でも、だから何? そんなこと今さら教えられても、分かんないって。もう全部どうでもいいし」

「分かりませんか」

「なにが」


 突き刺すような視線を受け止め、良太は言った。


「久我さんが何で松本さんを狙ったか」

「……私っていうか、ウカガイ様でしょ? 小学校でも中学校でも、何回も言われたから分かってる。貧乏人のくせにとか、裏技がどうとか、どうでもいいよ」

「よくないんです。これで、明らかになったんです」

「なにが?」


 似たような問いかけに、良太は顔を暗くしたまま答えた。


「この久我硝子が、小学校の頃、松本さんを追い込んだ張本人だってことです」


 直接的な証拠ではない。いくつもの状況証拠が積みあがっているだけだ。

 けれど、久我硝子の言動は松本千春への――ウカガイ様への嫉妬に由来している。


「彼女は小学校の六年間ずっと、世界の中心にいると思っていたはずです。でも白宮に進学すると状況は一変した。同じ学校から二人も、三人も同窓生がいたから」


 萩原沙織についてはノーマークだっただろう。別のクラスだったからだ。

 中村由佳については、腹を立てたかもしれない。クラスで空気のような存在だったからだ。

 けれど、もっとも許しがたかったのは――。


「私、ってこと? なんもしてないのに、ウカガイ様だから進学できたって?」

「彼女はそう考えたはずです。――というより、そう思っていたからこそ、六年生のときにクラスメイトを焚きつけて松本さんを追い込んだのだと思います。松本さんがウカガイ様になる前、同じクラスになったこともありますから」

「ウカガイ様になる前? 同じクラスって……小学校のときにってこと?」


 訝しげな千春に良太が頷き返すと、彼女はたぬきのぬいぐるみを指先で撫でながら誰に言うでもなく呟いた。


 「世の中の人がみんな、あんたみたいに優しかったら良かったのにね」


 フッと鼻を鳴らして千春は顔をあげた。


「久我硝子め、ざまあみろ――って言いたいけど、だったら、私の負けだね」

「……負け、ですか?」

「ウカガイ様、クビになったからね。学費の免除も打ち切り。お母さんも死んじゃったし、私ほかに家族いないし、たぶん成人するまで施設行きだよ。都内の私立なんて絶対に通えません。おしまい。残念でした。その久我って子の思い通りになったじゃん。――ほら、これ見てよ」


 千春は鞄をあさり、茶褐色の染みに汚れた便箋を良太に突き出した。


「あの人の残した遺書。マジでもう呪いだよ、ウカガイって。中身はね、この六年どんだけ悩んで耐えてきたかって話。私を良い学校に行かせるためにあんなにウカガイ様に仕えてきたのに、娘――私が全部ダメにしたんだってさ。ウケるよね。私はそんなんどうでもよかったのになーんにも分かってなかったんだよ、あの人」


 千春は頬杖をついて寂しげに窓の外を眺めた。行きかう雑踏のなかに、並び歩く母娘らしき姿があった。千春の瞳は母娘を追い続け、やがて見えなくなるとポツリと涙を落とした。

 やば、と苦笑しながら目元を拭い、もう一度、血で汚れた遺書を良太に押し出す。


「菊池くんにあげる。――っていうか、キミには受け取る義務と責任がある」

「義務と、責任……」

「そう」


 千春は背もたれに肘をかけるようにして胸を張り、潤み、赤くなった瞳で良太を見据えた。


「助け出してくれてありがとうって言えばいい? 救ってくれてありがとう? 半分はそう思ってるけど、もう半分は、あのとき、空雛で目ん玉えぐってやれば良かったって思ってる。私はもうウカガイ様じゃないからできないけど、だから代わりに、その呪いの手紙を渡す。最後のほうね、ウカガイ様の祟りなんだって書いてあった。中途半端に手を出した報いで死んじゃっうんだってさ。命と血で贖うんだって。見たときは意味わかんなかったけど、久我さんとかいう人のこと聞いた今なら分かる。その手紙、私じゃなくて、菊池くんに宛てて書いたんだよ」


 返す言葉が見つからなかった。良太は震える手で遺書を受け取り、開封せずにポケットに押し込んだ。見れば、怯んでしまう。同情にせよ、憐れみにせよ、贖罪にせよ、松本千春の母が揺さぶりにむざむざと乗るわけにはいかなかった。


 なぜならそれは、命を賭して行われた、決して叶うことのない望みだからだ。

 松本千春をウカガイ様でいさせ続けて欲しいという、本人を無視した願いであるからだ。


 ウカガイ講の決定は覆らない。システムを正しい方向に正さなくてはならない。

 忌まわしき因習ではなく、無害な風習と、利のあるルールに作り替えなければならない。


「僕、ずっと迷ってましたけど、ウカガイぎょう、受けようと思います」


 自分のせいで人がひとり死んだ。松本千春の人生が大きく変わった。その義務と責任は負わなくてはならない。流血を望んだのなら、血に報いるためにも成し遂げなければならない。


「やる意味あんの? 思ってるほど楽しくないよ? ウカガイ様」

「僕が変えようとしたからこんなことになったんです。断るわけには――」

「そういうの、因習って言うんだよ。知ってた? 悪しき風習。私のこと救ったわけだし、あとはもう知らんぷりでいいじゃん。義務とか責任とかってのは私の理屈でしかないし。むかつくのはむかつくけど、私のせいにされたらのろいになっちゃう」


 千春は吐き捨てるように言った。

 良太は目頭に熱を感じた。視界が潤む。けれど、涙だけは零すまいと歯を食いしばる。


「受けなかったら、投票で久我さんが選ばれますよね? それは許せません」

「バカじゃない? 投票なんて意味ないよ。あんなのね、最初っから誰がやるのか決まってる出来レースなの。目録の上から順に選んでくだけ。今回はキミの名前が横から滑り込んできたから、キミが断れば次の名前が呼ばれて終わり。受けなくてもいいんじゃない?」


 良太は首を左右に振った。


「僕はあの久我って人が許せません。自分の嫉妬と欲望のままに、人をいいように操ろうとする彼女のことが許せません。ウカガイ様は本来、ああいう人の悪行を封じて正すために学校に置かれたはずなんです」

「……まあ、私は次の祭祀でクビだし、好きにすればとしか言えないけどね」


 呆れたように鼻を鳴らし、松本千春はハンバーガーの残り口に放り込んだ。

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