松本千春
真智は黙したまま良太の話を聞き終え、一度、二度と頷きながら答えた。
「よくぞそこまでお調べになった、と申すに留めておきましょう」
ほとんど答えてしまったようなものだが、講から外れた菊池家を思っての言葉なのだろう。
真智はパチンと膝を叩いて睨みを利かせた。
「――して、菊池家はどうされたいと言うのでしょう?」
「当家としましては」
良太が口を挟む間もなく直幸が言った。
「息子の願いを聞き届けようと思ったまでです。元を正せば僕の誤りが遠因ですが、罰として三十年あまり東京を離れわけです。罪に応じた罰は受けたはずです。けれど、結果としては良太の言う通り、僕の行動が生んだ歪が現れている。現状は、父としても名目上の覚者としても受け入れがたいものがあります。これがまかり通るなら、僕が受けた罰の道理はどうなるのかという話になる。僕にとっては終わったことでも、良太にとっては今のことです。で、あるならば、良太の話を聞くのがそちらの筋ではないかと、僕はそう思うのです」
真智は小さく枯れた手を握り固めて膝に置いた。しばしそのまま思案し、良太に尋ねる。
「菊池良太さんは、我々に何をお望みですか」
良太は助力を求めて直幸を見たが、言いたいように言えとばかりに顎を振られただけだった。
仕方ない――というよりも、際で逃げるのは許されないのだろう。
良太は尻の下でつま先を組み換え、背筋を伸ばした。
「いまのウカガイ様の在り方を正してもらいたいと思っています。父がしたような、僕が受けたような、暴力で解決せよと言っているのではありません。そうではなく、不正を暴き、道を正すシステムだけを残すべきです。すべての原因は無抵抗を是としたからこそであり、また十に満たない子どもに将来の利得を勘案して選択しろと迫るところにあるんです」
良太の言葉に、伏せていた松本千春の肩が震えた。
真智が言う。
「――と、言いますと?」
「ここにいるウカガイ様たちのうち、何人が将来の艱難辛苦を理解しているとお思いですか」
良太は居並ぶウカガイ様らを見まわした。ずらずらと並ぶ瞳は様々な色を宿す。特に今年の始めに任されたであろう小学生たちは退屈な話や眠気と格闘している。
「十歳に満たない子どもがウカガイ様に選ばれたとして、未を理解して受けたと思いますか」
松本千春が面を上げた。いまにも泣きそうでもあり、困惑しているようでもあった。
良太は言う。
「僕の調べた限り、白宮のウカガイ様――松本千春さんは、小学三年生の頃に手酷いイジメにあっています。僕の知る限り、ウカガイ様のルールに従えば誰に訴えることもできません。それを苦行と称し受け容れるなら、当人が理解していなければ許されないことでしょう。戦い方は教えましたか? 告発の仕方は? 役割上ウカガイ様が当然、有していたはずの権力について教えたことはありますか? 遠因はたしかに父にあるかもしれません。でも、彼女が受けた苦難は、ウカガイ講の在り方に問題があったとは思えませんか?」
「……講は、それに見合う利を用意しておりますが」
光る真智の視線を受け止め、良太は答えた。
「それに見合うかどうか、小学三年生に理解できるのかと、そう聞いているんです。僕としては、松本千春さんの本音を聞きたいんです」
今日に至るまでに、怜音と組み上げてきた戦い方だった。良太の意を汲み、疑問と推論から最優先に問い質すべき内容だ。
――そもそも、松本千春は自ら望んでウカガイ様になったのか。
良太は続けて問うた。
「小学三年生の千春さんは、将来の苦悩を理解したうえでウカガイ様になったのですか?」
誰もが黙った。だが、眠気を堪えていた幼いウカガイ様らは顔をあげ、互いを見合う。いま何が起きているのか、何が話し合われているのかも分からぬままに、
一掬の希望――ウカガイを辞することができるのかという疑問を確認し合っていた。
じりじりと時が過ぎ、焚かれた香の煙が一条、一段と早く伸び、消えた。すぐに警策らしき棒を携えていた僧が近づき、一つまみ加えた。新たな煙が立ち上がり、
「――私は」
松本千春が躰を起こした。いまにも泣き出しそうな顔をしていた。
「私は、訳も分からないまま、ウカガイ様になりました。教えられたのはそこに存在しないことになるという話だけ。学校に入るとき教えられたのとそう変わらなかった。友だちなんてはじめからいなかったけど、誰も話を聞いてくれなくなるとは思っていませんでした……」
必死にこらえているのだろう、眉間に細かな皺を刻んだ千春は、しかし涙を零した。
「六年に上がり、生徒の一人に殴られた日を覚えてます。知らんぷりです。水をかけられ、足をかけられ、ゴミ箱を頭から被せられたこともあった」
真智が睨むような目をして首を振った。
「そのような話は聞いておらなんだが」
「言って、何の意味があるんですか」
千春が即応した。良太のほうに向きなおり、もはや涙を止めようともせずに続けた。
「母さんは、ここの戒律に厳格だった。相談しようとしても、何も聞いてくれなかった。いまだってそう。この六年、私は母さんと一度も話したことない――! 先生に頼んでも無視されるだけ。同級生も聞いてくれない。私は、私は――抵抗もできなかった……!」
ウカガイ講の戒律は直幸の一件以来、ウカガイ行に臨む講員にこそ厳しくなっていた。路傍の石に同じく耐え忍ぶのが正道となっていた。
「中学に……あがったとき……何でか知らないけど、白宮学園にあがったとき……もっと、もっと……耐えられないことがあった」
これまで腹の底に溜めてきた澱を解き放つように千春は語り続けた。
「ここで話そうと思ったことなんてない。お母さんが、あの女が、ウカガイになった私に唯一いった言葉が、我慢しなさい、だった……! 私にできたのは怖がられることだけ。お金もないのにウィッグ買って、わざと顔を汚くして、とにかく嫌がられるようにするしかなかった! 私が、私がそうするしかなかったのは――」
松本千春は、泣きはらし充血した目で直幸を睨んだ。
「目録に名前がある菊池直幸のせいだと思った」
だから、追い込んで、潰してやろうと考えた。
直幸は――父は、恨みの籠る眼差しを受け止め、良太を見やった。
あるとき、憧憬の眼差しで白宮の生徒を眺めていた松本千春の姿が彼の脳裏に過った。
答えは決まっていた。
「ウカガイ様を解放してくれませんか。ご自身が望むべくして選ばれてしまった松本千春さんをウカガイ様から解放してあげてくれませんか。ウカガイ様の理念も、理屈も、何も教えられてこなかった人が担える行ではありません」
うん、と直幸が頷き言葉を継いだ。
「講の理屈は僕も息子も理解しています。苦行に応じた報を用意していることも。でも、それらはすべてを理解したうえで望むからこそ意味が生じるものでしょう。その点、僕は今のウカガイと違って分かって――理解していたからこそ、道を違えてしまった。いまいちど、あのときと同じように、ウカガイ行を見直すときが来たのではないでしょうか」
真智は、枯れ木のような僧侶は、幼きウカガイ様らを見やり、松本千春を、正当な理由をもって洋介に報復した若きウカガイを見やり、苦しげに答えた。
「少なくとも、ここに控える白宮のウカガイらは、不適と言うしかありますまい」
勝った――といっても、過言ではないだろう。積み重ねた理屈をぶつけ、望み通り松本千春をウカガイの呪縛から解き放ったのだ。白宮のウカガイ様が、松本千春が三つ指を揃えて頭を下げたことからも明らかだった――がしかし、真智は苦渋に満ちた瞳を良太に向けた。
「白宮で祭祀を執り行い、新たなウカガイ様を決めなければなりません。いま、このとき、最も適格と思われるのは菊池家の良太様と心得ておりますが、どうされますか?」
どうかと問われて即断できるはずがない。
良太は考える時間を求めるほかに、しようがなかった。




