決意
「……これだけは良太にもわかって……というか、知っておいてもらいたい」
そう前置いて、直幸は続けた。
「今になって思えば、父さんがやったことは許されない。いくらボコボコにやられたからって殴り返していいわけじゃない。特に父さんの場合はやりすぎだ。目的も意図もあったよ。そうすれば噂になってウカガイ様も復権すると本気で思ってた。講員仲間のためだと思ってもいた。でもダメだ。効果があったのか知らないけど、父さんは相応の罰を受けた。法的なものじゃないし、喧嘩両成敗みたいな、振り返ってみれば無理筋な論理だ。でも罰としてウカガイ様の任を解かれて地方に移ることになった。まあ、要するに実家に戻って大人しくしてろというわけだ」
直幸はそこで言葉を切り、缶ビールに口をつけゴクゴクと喉を鳴らした。ため息にも似た吐息をついて笑った。
「どう考えても飲みすぎなのにまったく酔えない。酷いもんだ」
「それを聞かされてる僕のほうが酷い気分だと思う」
良太はつい零していた。源泉の知れない反抗心のようでもあり、生まれてから今日までで初めて見た直幸の弱さに動揺していたようでもあった。もっと、それこそ悪役のように、あるいは直幸が目指した通りのダークヒーローのように虚勢を張って欲しかったのかもしれない。
わかるよ、とでも言いたげに頷く直幸に、良太は抱えていた思いを突きつける。
「父さんがやったことはわかったよ。でもそれだけじゃ足りない。白宮学園のウカガイ様が――松本さんが僕を狙ったのは父さんのせいかも。もしそうなら、ヨウくんが大怪我をさせられたのも父さんのせいってことになるのかもしれない。でも、僕は違うと思う。父さんは間違ったことをしたのかもしれないけど、そのあとウカガイ講の在り方を歪な形に変えてしまったことが本当の原因なんだ。なら、僕は――僕は巻き込んでしまったヨウくんのためにも、僕のためにも、間違った相手を恨んでる松本さんやウカガイ様たちのためにも、因習を断つか、正しい形に戻さないといけない」
おそらく――おそらくは、かつてのウカガイ様は、自分たちで全てに対処してきたわけではないはずだ。元の岡っ引きが結局は公的な役目を帯びた人々に情報を与え実効は任せたように、ウカガイ様が単体で対処してもよい線を引いていたはずだ。
その線を引きなおすのが、すべてを丸く納める最短の経路だ。
少なくとも、良太はそう決意していた。
「父さんが元ウカガイ様なら……ウカガイ講に連絡をつけられるはずだよね? 他のウカガイ様と話し合うことだってできるはずだ」
怜音に相談して導き出した数少ない勝算の一つ。はじめから父を糾弾するつもりはなかった。確認が取れたらそこを足掛かりに本体に立ち向かう。そのつもりだった。
「僕は抗議しなくちゃいけない。どう考えたってやりすぎてるのに、誰も何も言えない。そんなのフェアじゃない。実際に僕の友だちは怪我をさせられてる。父さんが罰を受けたっていうならなおさらだよ。なんで三十年も経ったいま、何も知らないウカガイ様に、松本さんに攻撃されなくちゃいけないの? もし松本さんがそう教えられてきたなら、それはウカガイ講が何かも父さんに押し付けたって証拠だよ。僕はその事実を、みんなの前でたしかめなくちゃいけない。――戦い始めたからには、僕には終わらせる責任だってある」
みんなのために。良太は最後の言葉を飲み込んだ。
自分のためであり、巻き込んでしまった洋介のためであり、ウカガイ様に選ばれてきた人々のためであり、またウカガイ講という組織に翻弄された父のためにもなろうとしていた。
父は、直幸は下唇を噛み込んでしばし沈黙し、やがて言った。
「向こうは組織で、強く、大きい。黙って引くべきだっていうのが本当だと思う」
「それは――」
反射的に言い返そうとした良太に、直幸は待てと言わんばかりに手の平を向けた。
「でも、俺はもう、父親だから」
勢いをつけるように缶ビールに口をつけ、一息に飲み干してくしゃりと握った。
「父親として、元ウカガイ様として見過ごすわけにいかない。良太の言い分は正しいと思う。罪を償えたと思ったことはないけどな。でも制度上の罰は受けた。三十年も経ってる。良太がいまさら不利益を受けるのは許せない。厳重に抗議しなくちゃならないし、良太にその場を用意する義務がある。――やれることをやるよ、父さんは。約束する。良太を、必ず、ウカガイ講の集まりに連れていく」
「……必ず?」
直幸が、父が必ずと――あるいは絶対と約束することは、これまでなかった。少なくとも良太の記憶にはない。それが、わざわざ口にしたのなら。
「信じるよ?」
「任せろ。そう見えないかもしれないけど、父さんはこれでも怒ってる。もちろん父さんが悪かったとは思うけど、同じようなことを未だにやってるウカガイ講にも怒ってる。だから、絶対に連れてく。たぶん次の日曜だ。父さんのころは、いつも日曜に集まりがあったから。夜になると思うから空けといてくれ」
そう言って、直幸は空き缶を片手に席を立った。
父は約束を守った――らしい。
数日に及ぶじれったい時間を過ごした日曜、いつもより少し早い五時ごろに、いつもより少しだけ豪勢な夕食を終えたあと、直幸が徐《重むろ》に口にした。
「良太、一応、制服に着替えてくれ」
「……ってことは」
「ああ。六時に迎えが来ることになってる。父さんも支度する」
直幸は気を引き締めるように一つ強く息を吐き、母の奈々子に向きなおった。
「奈々ちゃん。ごめん。良太と行ってくるから。そこから先は――」
「うん。わかった」
会話はそれだけだった。ただ奈々子が寂しげな、沈痛そうな面持ちでいたこと以外におかしなところはなかった。
良太は制服に着替えたのち、喪服のような黒いスーツに身を包んだ父とマンションの駐車場入り口に並んで、ウカガイ講の迎えを待った。五月も半ばを過ぎて都心の空気も湿り気を帯び始めていた。
「……あのさ、一つだけ聞いていい?」
緊張から開いた良太の口が、父の過去を聞いてからずっと疑問に思っていたことを紡いだ。
「僕さ、もしかして、ウカガイ講の講員だから白宮学園に入れたりしたの?」
ウカガイ講の講員が受け取ることができる利得。将来の約束。良太は自分の努力に不安を感じるようになっていた。
直幸はフッと鼻を鳴らした。
「いや、違う。良太が受かったのは実力。父さんは東京に戻るつもりはなかった――から、父さんが簡単に戻れたことのほうがウカガイ講のおかげかもしれない。頼んでないけどな」
可能性としては、そちらのほうが高いのかもしれない。
直幸と同期のウカガイ様は、いまや覚者として都内に散らばっている。本人が知らなくても向こうは知っているのだ。
そっか、と呟きながら夜空に散らばりだした弱々しい星を見上げると、二人の前に黒塗りの車が滑り込んできた。
降りたのは喪服のような黒いスーツを着た中年の男で、後部座席のドアを開いて言った。
「お二人とも、いまの目録には名前がありませんので、こちらをお召ください」
黒い覆面――頭巾というべきだろうか、直幸が車に乗り込みながらそれを被り、良太も早まる鼓動に手を当てながら倣った。
「大丈夫。落ち着け。父さんはどこに行くか知ってるから」
車が走り出すと同時に放たれた父の言葉に、運転席のほうから肩を揺するような気配があった。




