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因果応報

 学校へと流れる制服の列に混じって歩きつつ、良太はスマートフォンを覗き込んだ。

 

 良太:どうしたの?

    大丈夫?


 家を出る前に送った最後のメッセージである。まだ返信はない。それ以前にも七時ごろには二度ほど音声通話を試みたのだが取ってもらえなかった。


 昨夜、洋介から最後のメッセージが届いたのは二十三時二十五分。電話がかかってきていたのは十七分。たった七分のあいだに何があったというのだろう。


 警察には通報したのだろうか。

 したけれど、相手にしてもらえなかったのだろうか。

 考えるべきことが尽きないまま、良太は校門を通り抜けた。


 朝、コーヒーでむりやりトーストを流し込んだ胃が握り潰されているかのように傷んだ。


「――おはよう。大丈夫?」


 聞こえきた久我硝子の澄ました顔に、良太は少なからん怒りさえおぼえた。中村由佳に言われた、気を付けて、の意味が分かったような気もする。


――この人は……久我硝子は、僕を振り回して遊んでいるんだろうか。

 

 胸の内に尋ねながら、表情筋の運動だけで笑顔をつくり、良太は答えた。


「おはよう、久我さん。……あんまり大丈夫じゃないかも」


 その瞬間、二人の存在する空間が周囲から切り離されたようにも思えた。朝の喧騒は消え、生徒たちの気配も希薄になり、椅子に腰を下ろすまでの時間が異様に長くなった。座面へと滑らせる視線の端、視界の隅で捉える。


 久我硝子が、ほんの幽か揺れた。

 笑ったようにも思える。驚いていたようにも思える。

 十秒にも満たない魔の時間が過ぎ、気遣うような小さな声が切り取られた空間を現実に戻す。


「お、おはよう……菊池くん……」


 中村由佳。隣の萩原沙織は視線をくれただけで挨拶はなかった。

 けれど、少し――本当に少しだけ、やりにくそうな雰囲気を醸し出していた。

 挨拶を返し、朝のホームルームが始まる前に、もう一度だけスマートフォンを確認した。返信はなかった。


 洋介が教室に現れることなく一限が始まり、終わった。


 二限、三限、四限――もう学校を休んだのはあきらかだった。合間に送ったメッセージにも答えてくれない。時間を追うごとに良太の焦燥は募り、最悪の想像ばかりが過る。


 もしや、すでに神隠しに遭ったのでは。

 あるいは逆に、校内の監視カメラで暴行を加える姿を捉えられ警察を呼ばれたのだろうか。


――いや、それならあんな時間にメッセージを送ってこない。

 

 むしろ警察に通報する際にウカガイ様の名前を出したのではないか。そのせいで、まともに取り合ってもらえなかったのではないか。


 良太は自らの思考に衝撃を受け、息を飲んだ。

 もし警察に電話をかけ、ウカガイ様に襲われたと言った場合、どうなる。


 深夜、中高生から電話があり、ウカガイ様に追われていると叫ぶ。普通に考えればイタズラ電話の類と認識するはずだ。まともには取り合えってもらえない。応答するにしても疑いの目を向けながら居場所を尋ねるはずだ。埒が明かないと考え、別の知り合いに連絡する。


 ウカガイ様たちは洋介を捕まえ、スマートフォンを奪い取り、直前に連絡していた相手にもう心配いらないと送信する。警察が現場に来た頃には拉致は完成している――。


 良太の目に映るすべてのものが意味を成さなくなった。耳に届く音はすべて雑音に変じた。肩に触れた手の感触が、まるで冷たい刃のようだった。


「――うわっ!」


 と、思わず悲鳴をあげて振り向くと、萩原沙織が伸ばしただろう右手を肩の高さにあげていた。中村由佳の表情は硬く、久我硝子は泰然として氷のようにんでいた。


「……心配だね、小山こやまくん」


 硝子が言った。一瞬、良太はそれが誰を意味する名なのか分からなかった。彼女の視線が後ろの席に滑ったとき、久しぶりに洋介が小山洋介であることを思い出した。


 そしてまた、硝子がそう口にしたとき、その背後で眉を寄せる由佳の姿を見た。視線はあきらかな敵意を――もしくは不審を湛えて硝子を睨んでいた。


 しかし、彼女が振り向く前に由佳は視線を良太に移し、胸元で握る手に力を籠めた。


「あの、えと、たぶん、大丈夫だと、思うよ……」


 気休めのセリフ。けれど、ある種の確信を思わせる言葉。そうだ。由佳は知っているのだ。


 過去、六年二組でウカガイ様に暴力を振るった生徒がどうなったのか。


 由佳自身は洋介の身に何が起きたのか分からないかもしれないが、良太が何をしているのかは知っていた。三人が傍にいるときに休みの予定の話をし、休み明けに洋介が来なくなれば何かが起きたことくらいは想像がつく。それが、ウカガイ様がらみであることも。


「……良く分かんないけどさ、もう昼だよ」


 萩原沙織が素っ気なく言った。話は終わりだという風に。その背中を由佳が、なぜか叱りつけるような目で見ていた。


「えと、ボーっとしてたよ。ありがとう。教えてくれて」


 良太はやっとの思いでそれだけ答え、弁当箱を出して席を立った。廊下には穏やかな気配が流れている。洋介がいないことも、先日、白宮の常識では測れないことがあったことなど誰も知らない。


 良太は食堂に足を踏み入れ、ここにはいられないと思った。習慣とは恐ろしいものだ。気づけば洋介がいるときと同じように行動していた。けれど、たった一人、食堂で弁当を開いているような生徒はいない。教室にも戻れない。戻ったからといって何かあるとは思えないが、いれば巻き込んでしまうような気がしてならない。居場所はない。

 

――白宮に僕の居場所はない。

 

 どこか一人になれるところはないか、と良太はトボトボと校内を彷徨い、教室の喧騒を離れて屋上へつながる階段室に足を向けていた。味のしない食事をもそもそとつつき、飲み物を買い忘れたことに気づいて、戻るか迷っているときだった。

 

――チリン、ヂリン……


 と、わざわざ聞かせるようにして、鈴の音が階段室に反響した。


「――なんで、どうやってここ……!?」

 

 良太は首を巡らせ、屋上へとつながる階段に監視カメラがついているのに気づいた。


――どうする? どこに逃げる!?


 弁当を脇において屋上に繋がる扉を引いた。鍵がかかっており、大きな打音が反響した。鈴の音が止まり、また、鳴り出した。


 良太にできることは一つだけだった。

 信じること。

 ウカガイ様のルールを――自分から何もしなけれ何もされないというシステムを信じ、弁当箱を振るえる膝の上に乗せた。


 鈴の音を響かせ、ぺたぺたと靴音を立て、乱れ髪のウカガイ様が薄暗い踊り場に顕れた。


「鍵、閉まってたでしょ?」


 そう囁く声は、何度も聞いた底冷えのする声ではなく、迷う少女の声だった。

 驚きはしたが良太は顔をあげなかった。箸を動かそうとした。無論、躰は金縛りにあってしまったかのように指一本たりとも動きはしなかった。鈴の音がすぐ脇を抜け、良太の背後で、ガキン、と重い金属音が響いた。


「君のせいだよ。菊池、良太くん」


 扉が軋み、薄気味悪いほど生温い風が吹き込んできた。

 ドン、と重い音を立てて扉が閉まった。

 良太は弁当箱を包みなおし、一度、屋上へと振り向き、両目を固く瞑り階段を駆け下りた。


 洋介が学校に来たのは、それから三日後のことだった。

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