メグルくんを探しに
腫れ物あるいは動物園のパンダのように土曜日をやり過ごし、日曜の朝から良太はシャツに腕を通しネクタイを結んでいた。一か月と少しで慣れたつもりでいたが、やはり何度、結びなおしても根本が曲がっているような気がする。
諦め、ブレザーを着て居間に出ると、父の直幸が寝ぐせに手櫛を通しながら瞬いた。
「――また? 休みに制服を着こんでウチの一人息子は何してるのかな?」
茶化すようでいて本気で聞き込んでいるような、あまり耳慣れない口調だった。声を聞きつけキッチンから母の奈々子が顔を出し、あらあ、とボヤいた。
「もしかして、向こうで買った服だと恥ずかしいとか?」
奈々子にとって、良太の地元はすでに向こうになったらしい。尤も、両親にとって地元といえば東京で、田舎での暮らしは腰掛に過ぎなかったのだろうが。
「もし気になるなら今度いくつか服を買ってきてあげるけど」
「いやいや奈々ちゃん、年頃の男子高校生にとってママの選んだ服は目に見える地雷だから」
また辟易とするやりとりが始まった。ただでさえうんざりするのに、父の――直幸の疑惑に気づいてから、良太は薄ら寒いものすら感じるようになっていた。
そうとも知らずに、奈々子は楽し気に鼻を鳴らした。
「直くんの頃はね。今はそうでもないの。――っていうか、向こうだと選ぶ余地が――」
「制服のほうが楽なだけ。放っといてよ」
黙っていれば延々と続きそうな地元批判に嫌気が差し、良太は玄関に向かった。すぐに待ってと奈々子の声がし、パタパタとスリッパの音がついてきた。
「ちょっと良太、待ちなさい」
「まだ何かあるの? 僕もう出たいんだけど。遅れたら嫌だし」
「どこに行くかくらい言いなさい。東京は良太が思ってるほど――」
「大丈夫だよ。今日は同じクラスの友だちと一緒だし」
そう革靴に足をつっかけると、あらそう、と奈々子が声を和らげた。手にしていた白い財布を開いて数枚の札を差し出しながら付け加える。
「はいこれ。せっかくお友だちと一緒なら服も買ってきたら?」
「はいこれって――」
良太は差し出された札を受け取り数え始めた。一、二、三万円。思わず眉を寄せてしまった。
「こんなに? どういうこと? 何で?」
「全部つかっていいって言った? ――なんて。向こうとこっちじゃ物価が違うんだから当たり前じゃない。でも今回だけの特別だから、無駄遣いしないように。いい?」
「……分かった。ありがとう」
いったい、どういう風の吹き回しだろう。首を捻りつつ良太は家を出た。
予想外の収入に心の置き所を見失いつつ駅に向かうと、雑踏に混じって所在なさげにスマートフォンを見つめる洋介の姿があった。見慣れた制服やもちろんジャージ姿ではなく、グレーのパーカーに黒いデニム、真っ白のスニーカーを履いていた。
洋介は良太に気づくや妙に細い眉をぎゅっと寄せてうめいた。
「――おま、良太……制服かよ……」
「そうだけど……っていうか僕、先に学校によるって言ったよね?」
「いや、言ってたけどさ……日曜だし、中学校っしょ? マジ? まあ、いいけどさ……」
「気になる? なら、午後は服、買いに行こうよ。せっかくだしヨウくん選んで」
「――えあ!? だって午後は俺に任せるって……まあいいや。お前――良太ってマジでマイペースなのな」
言って、洋介はスマホをポケットに突っ込み、拳で良太の肩をつついた。
地元では想像もできないほど密度の高い人の流れに乗り、良太たちは地下へ地下へと潜り車窓の人となった。――といっても、地下鉄の窓から見えるのは黒い壁面ばかりで、時おり吹き込んでくる風は生暖かく、車内の半分は外国人で、旅情とは程遠かった。
くぐもった騒音とため息にも似たモーター音で傍らの洋介と会話するのもままならない。良太は通じているのかいないのか分からない相槌と適当な返答を繰り出しつつ、学校についてからの行動を脳内シミュレートする。
小学校での調査から学び、今回は事前にアポを取ってあった。日曜にも関わらず対応してくれた教職員たちには頭が下がるばかりだが、休日を選んだのにも理由がある。
ウカガイ様は学校の監視者であり守り神である。
言い換えれば、休みの日ならいないはず――そんな淡い期待をしていたのだ。
「なんっつーか……ちょい、田舎? みたいな?」
駅を降りた直後に発せられた洋介の言葉に、良太は口を曲げつつ応じる。
「たぶん、下町って言うんだと思うよ?」
川を渡れば都会の外だ。日曜のわりには寂れて見えるが、それは台東区あたりと比べるからで、外国人観光客と都心部とは少し趣の異なる――どことなく良太の地元の老人たちに似た雰囲気の老人たちで賑わっている。
「てか全っ然、危なそうじゃないんだけど?」
ジト目を向けられ、良太は肩を竦めた。
「ごめん。もっと怖い感じかと思ってたんだ」
父・直幸に、そのように教えられたから。
丸まりかけた良太の背中を洋介が叩いた。
「冗談だって。マジに取んなよ。ちゃちゃっと終わらせて、どっかでメシ食って、それから何だっけ、服? どこ行きゃいいんだろ、渋谷とか? 後で先輩に聞きゃいっか」
楽天的に笑う洋介につられて口元を緩めつつ、洋介たちは目当ての中学校まで歩いた。
どこにでもある――というより、白宮の周辺で見た小学校と違い古い印象を受けた。耐震のために入れられた筋交いの鉄骨は剥き出しで、外壁には罅と補修の跡が目立つ。周辺も古い建物が多く、消防設備の蓋はペンキが剥げて赤錆を見せつけている。さすがに敷地を取り巻く外壁には落書きされていないが、街頭や立て看板の裏にはスプレーで文字が描かれている。
二人が校舎に入ると違いはさらに増えた。あらゆる補修が足りていないのだ。もちろん私学の白宮と比べるのは誤りだろうが、東京というより、二人にとっては地元の校舎を思い出させた。
「――おお、君らかあ。へえ。本当に白宮の制服だね」
休日の来客対応を任された職員なのだろう、大柄な男が物珍しそうな目で良太と洋介を見まわし、面倒くさそうに入校届を挟んだクリップボードを差し出す。
「一応そこに必要事項を書いてもらって、それから――身分証……学生証とかあったらクリップボードに挟んでもらって」
わかりました、と二人で応じ、氏名と住所、電話番号を書き込み、訪問理由には図書館利用のためと記入した。
「図書館利用って。何か、古い卒業アルバムが見たいって話じゃなかった?」
洋介がギョっと良太に振り向き、彼は自分に任せるようにと目配せした。
「はい。父がこちらの卒業生らしいんですが、もう何年も前に引っ越しでアルバムを失くしちゃったそうで――父の誕生日も近いので、サプライズに見せてあげたら喜ぶかなと思いまして」
職員は不思議なものを見るような目を良太に向け、次いで呆れたように笑い、ついてくるよう手招きしながら歩き出した
「いや白宮の学生さんってのはすごいね。ウチとは大違いだよ。――まあでも、白宮に行かせられるようになったんなら、ここに通ってた頃のアルバムとかどうなの? って思うけどさ」
「ウケなさそうならやめときます」
そう流しつつ、余所からきた学生の要望にそんなこと言う? と良太は思った。傍らで洋介も眉を波打たせていた。
職員は息を漏らすように笑って言った。
「いやあ、借りてってくれてもいいよ。なんせほら、白宮の学生さんから連絡あったって、倉庫を引っ搔き回させられたんだから」
「すいません。お手数おかけしました」
良太が呼びかけると、職員は肩越しに一瞥くれて引き戸の前で止まった。図書室と書かれた光沢のある木札が下げられていた。
「――それじゃあまあ、ごゆっくり。出したものは元のダンボール箱に詰めておいてくれればいいから。帰りは受付に寄ってもらって、あとは――白宮の子なら知ってるか。そんじゃ」
引き戸の鍵を開けて立ち去る背中に気怠さがへばりついていた。




