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忌み名

 もし議論すら許されない紛糾というものがあるとすれば、いま一‐Cで繰り広げられているものを指すのだろう。


 ガラス片で切った頬と手の甲に絆創膏を貼って良太が教室に戻ってきたとき、一斉に注がれた様々な色と強度の視線が、事態の解釈に一定の結論が得られなかったことを示していた。


 保健室へ行っているあいだに洋介と由佳が片づけた机や床のガラス片。廊下側の窓を塞ぐダンボール紙。一人、彼を見ようともしない久我硝子。目が合うとすぐに逸らした萩原沙織。これが内部生一色の教室であれば、騒いだ当人が神隠しに遭う形で収まるのだろう。


 けれど、外部生が半数程度も混入している一‐Cでは異なる。


 ほとんどの外部生にとってウカガイ様は奇習でしかない。理不尽も極まる因習だ。それまで触れたことがないゆえ解釈にも幅が生まれる。


 怪しげな因習に敢然と刃向かった仲間の一人という解釈から、哀れにも内部生の用意した理不尽なふるいにかけられ脱落した生徒という幅だ。

内部生についてもエスカレータに乗る権利を有する生徒のうち下限ギリギリに属するために、解釈に幅が生まれた。


 細かいところでいえば、窓を割ったのはウカガイ様か菊池良太か、呟きは菊池良太の独り言かウカガイ様への呼びかけか――つまるところ、ウカガイ様と菊池良太の距離の問題だ。


 もし菊池良太を神隠しにすれば、ウカガイ様の存在を認めたことにならないか。

 もし菊池良太に関わり続ければ、ウカガイ様の存在を認めたことにならないか。

 自身の将来にとっては教員など権威の下した統一見解に従うのが最も安全だ。


 しかし、当の権威もまた解釈に困っている。

 なぜなら、ウカガイ様が関わる以上、議論することすらはばかられるのだから。


 昼休み、例によって洋介と食堂に来た良太は、それらの混乱が白宮学園全体に広がりつつあるのを背中に浴びる視線という形で知った。


 そこには上級生も下級生も存在しない。内部生と外部生という関係すら希薄だ。各々が抱く朧気おぼろげな信念と曖昧な解釈に依拠して、菊池良太という人間を測ろうとしている。


「――ヤッバ。良太、超有名人じゃん」


 そんなことは露知らず――いや、手元のスマートフォンと高速で流れるメッセージから察するに知りすぎるほど知ったうえでか、洋介が丼物に差し込んだ匙を動かす。


「おかげで俺も有名人っていうか、ちょい注目されすぎ?」

「……ごめん」


 良太は伏し目がちに呟き、弁同箱をつついた。巻き込むつもりはなかったけれど、常日頃から一緒にいるため、結果的にはヤバい奴の片割れという認識になる。その点に関しては失念していたというほかにない。

 洋介は楽し気にパタパタと手を振って笑った。


「いや別に。そういう意味で言ったんじゃねえからさ。俺としてもちょっと気持ちいいっていうか、どう答えたもんかなって」

「どう答えるって……何に?」


 問うと、洋介は指先でスマートフォンを叩いた。


「もち、外部生仲間。先輩とかからも何やったんか聞かれてるんだけど、なんかあんま……変なこと書けないじゃん? 良太が()()()()ことになっちゃうしさ」


 どうやら洋介は、菊池良太は授業中に独り言を呟いた、という解釈を採用したらしい。

 良太は鼻で小さなため息をついた。


「変なこと答えないのが一番だと思うよ」


 言いつつ、良太はふいに震えたスマートフォンを見やった。珍しい。koshokosho_3こと久我硝子からメッセージが届いていた。


 硝子:なに考えてるの?

    私ちゃんと言ったよね?

    学校で言うなんてどうかしてる。


 良太:分かってる。

    助けるために必要だったんだ。


 久我さんが嘘をついていないか確かめるためにも、と口の中で付け足した。

 相当に怒っているのだろう、返信はほとんど間を置かずにあった。

 

 硝子:どういうつもりか知らないけど

    松本さんの名前は意味が変わっちゃったよ。

    菊池くんのせいで。


 良太:どういう意味?


 捨て台詞のように謎の責を負わされ、良太は首を傾げた。名前の意味が変わるとはどういうことだろうか。湧いたばかりの疑問に洋介が鮮やかに答えを寄こした。


「すげえ。アレを追っ払う呪文だってさ」

「――えっ?」

「良太が言ってた奴。松本千春。三回つづけて唱えると追っ払えるんだとさ。くだらね」


 クックと肩を揺らす洋介に、良太は頭を抱えたくなった。

 松本千春という名前を確かめる意図はあった。

 それが最終的にウカガイ様というシステムを正すために必要になるのも本当だ。


 だが――子供じみた呪文と解釈されてしまうのは想像の外だった。高校生にもなって、という年寄り臭い感想が思い浮かぶ。と同時に、入学前の面談で母が漏らした過去の話も。


 あのとき母は、高校生の息子を横に、かつて囁かれた呪文の話をしていた。

 すでに失われた儀式だが、現代になって母・奈々子の息子が復活させたのだ。

 良いことか悪いことかは分からない。だが、少なくとも既存生徒にとってウカガイ様が不満の温床になっていたことは判明した。


 ならば、次に進む必要がある。

 良太は待てども返信のない久我硝子を諦め、洋介に尋ねた。


「ヨウくん、週末の話なんだけど」

「あ? ああ! 週末! 日曜! どこ行く? やっぱ台場? まだ行ったことねえけど、二人だとキチぃかな? てか渋谷のが近いから――」


 先ほどまでとはまた異なる喜色ばんだ洋介の様子にたじたじとしながら、良太は悪感情を持たせずに軌道修正を図った。


「あの、僕まだ全然、東京のこと分からないから、後ろはヨウくんに任せたいんだけどさ」

「んあ? 後ろ? 午後から現地集合じゃないん? 午前中は用事があるって――」

「そうなんだけど、もし良かったら付き合ってもらえないかなって」

「俺に? マジ?」


 そう自分の顔を指差してしばらく呆けた後、洋介はニマっと口角をあげた。テーブルに身を乗り出すようにして拳を突き出し、良太の肩を突いて言った。


「うぇい。うぇーい。いいじゃん。やっとじゃん。ずっと仲間外れだったもんなあ」

「仲間外れにしたわけじゃ……」


 そう苦笑いする裏で、良太はかつての自分と怜音の関係を思い出した。似ているようにも思えるし、少し違うような気もする。どことなく懐かしく感じながら良太は言った。


「えっと、ちょっと川の向こうの中学校に調べものに行きたいんだけど……その……」

「川の向こうって、どの川――てか、何? 中坊が怖いってこと?」

「まあ……簡単に言うと……そういうことになる、かな……」


 良太は父・直幸の言葉を思い出していた。


 東京は地域によって文化圏がまるで異なる。白宮のあたりは今も昔も穏やかなものだけど、昔の川の向こうは、学校の中までピリピリしていたものさ。


 直接的な暴力を振るえないらしいウカガイ様と違い、()()()()()が振るう暴力は即席の呪文ごときでは防げない。

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