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対峙

 あくる日から良太は()()()()に備えて緊張する日々を過ごした。近いうちに機会が訪れると確信はしていたが、怜音の提案を実行に移すのは多大なリスクを伴う。


 あのあと、怜音と二人で論理的な検証の末、おそらく実行可能だろうという結論は得た。けれど、風習・奇習の類が正常の道理に従ってくれるのかは未知数だ。


 下手を打てば最悪、退学。神隠し。

 そうでなくても目を付けられるのは間違いない。


 もっと時間をかけて慎重に――思いはしたが、小学校の卒業生にしらみつぶしで当たることや、神隠しにあった生徒を見つけて話を聞くなど、とても現実的には思えなかった。


 だから、やる。

 そう決めてから、目当ての鈴の音が廊下に鳴り響くまで、さらに二日かかった。


――チリン、ヂリン……。


 と、時に澄み時に濁る鈴の音を響かせ、床に張り付くような足音が続く。教室は平然と授業が進行している。背中に僅かばかり洋介の気遣うような気配を感じるくらいだ。

 良太は早まる鼓動を抑えようと手のひらを当てた。


――大丈夫。できる。何度もやった。


 金曜までの三日で少なく見積もっても百回はシミュレーションを繰り返してきた。想定問答も用意したし、事後に起きるであろう言い訳も部屋で何度となく唱えてきた。


――チリン、ヂリン……ガシャン。


 鈴の音が止まり、廊下側の窓が揺れた。良太は顔を伏せて深呼吸する。


「また来たよ、菊池良太くん」


 嘲笑するような調子が底に透ける声だった。からかいに来ましたよ、とでも言うような。

 再び窓ガラスを叩く音がしたとき、良太は短く息を吐き、窓に顔を向けた。

 ビクッ、とウカガイ様が窓ガラスを挟んだ向こう側で幽かに顎を上げた。艶を失くし乱れた髪。見開かれた血走る瞳。乾ききった唇に、血の気を失ったような肌。


 教室に、耳には聞こえぬ叫びが走ったようだった。

 誰しもが心の内で声にしているようだった。

 見てる。あの外部生が、ウカガイ様を見ている。声に耳を傾けている。あいつは終わりだ――そんな内部生のほくそ笑む顔まで見えた気がしたのは、良太の被害妄想だろうか。


「見た。見ちゃったね。私のこと、見えてるねえ……?」 


 ウカガイ様が、愉しげに大口を開いた。存外、綺麗な歯が、行儀正しく並んでいた。そんなことを考えることができたのも、怜音に提案されてからずっと練習してきたからだろう。


「菊池くん。菊池良太くん。ねえ、お話しよう? こんなところ抜け出して、一緒に遊ぼう?」


 どうしたことだろう。そのかすひずんだ声の裏側に勝者の愉悦が滲んだ気がした。


 人だ。たしかに、ただの人間だ。


 今にも胸の肉を破りそうな鼓動に視界そのものも揺らしつつ、良太は氷のように冷たい思考で、そう確信する。何度も何度も練習した質問を芯から絞り出して喉元までせりあげる。


「ほら、こっちに来て。お話しよう。菊池くん」


 ウカガイ様の声が音の消えた教室に響く。

 そう。教室の音は消えた。誰もが手を止めて良太とウカガイ様に集中していた。

 おい……! と背後から洋介の声が聞こえた気がした。

 横顔に突き刺さるような視線と深い動揺を察した。

 良太は口を開いて言った。


「松本、千春――」


 舌をもつれさせながらそう言うと、カシャン、と幽かにガラスを揺らして、ウカガイ様が窓を離れた。後ずさっている。一歩、二歩――。

 明らかな困惑。戦慄。ウカガイ様がパクパクと口を開閉させるなか、その激しく彷徨う瞳をまっすぐ見つめ返し、良太は言った。


「松本千春。松本千春。松本千春――」


 問うでもなく告げるでもなく叫びでもなく、淡々と名前を三度、読み上げた。そうして、口を閉ざし様子を窺う。気を張っていなければすぐにでも首を振ってしまいそうだった。東京に――ウカガイ様という風習に飲み込まれつつあった証左だ。


 名を呼ばれたウカガイ様は――松本千春は、戦々《わなわな》と全身を震わせ、一つ息を飲み込んで――


――叫んだ。

 

 それは少女の叫び声だった。獣や物の怪、あるいは幽霊の金切り声などではなく、純然たる少女の、恐怖と怒りに満ちた叫びだった。


 声は廊下を貫き、窓を揺らし、教室を騒然とせしめた。

 叫びが途切れ、その場にしゃがみこんだか窓から姿が見えなくなった。

 

――はじめまして、松本千春さん。


 良太は破裂しそうな胸の奥で冷静に呟く。そうして、もう一度、名を読もうと口を開いた。


 そのときだった。


 床にゴムの靴底を擦りつける耳障りな音を立て、ウカガイ様が――松本千春が左腕を振りかぶる様子が窓に映った。何かを叫ぶと同時に、左腕につながる赤い組紐と、その先にある白い卵型の鈴が、残像の尾を引いて窓ガラスに衝突した。クシャンとガラスが砕けて良太の席に降り注いだ。


「――うわっ!」

 

 と、良太は咄嗟に頭をかばった。そこからさらに二発。振り回された空雛が唸りをあげ、鈍い打音と濁った鈴の音を鳴らし、窓を砕いた。教室に誰とも分からぬ悲鳴が走った。どこかの誰かが息を飲んだ。極度の緊張が良太に教室で起きるすべてを把握させていた。


 あとには粗い呼吸が残り、どこかの教室で扉が開かれた。

 誰も何も言えない。


 沈黙を破るのは常に神の側だ。ウカガイ様が、松本千春が左腕を引いた。ガラスの抜けた木製の窓格子に赤い組紐が絡み、力任せに引かれて曲げ折れた。残っていたガラスの破片が床に落ちて鳴った。

 

「……キミ、やっぱり、めっちゃくちゃ気持ち悪い」

 

 そう言い残し、ウカガイ様がフラフラと歩き去っていく。チリン、ヂリンと鈴の音を響かせながら、残るガラス片を踏み散らしながら、時おり何事か呟きながら去っていく――。


「――き、菊池」


 授業を中断していた教師が言った。

 良太は我に返り、即座に席を立った。


「は、はい!」

「お前、あの――」

「す、すいません! ちょっとボーっとしてて、今どこで――」


 と途中で切り、良太はいま気づいたというふうに机に散らばるガラス片に驚いてみせた。


「うわっ、ガラス――!」


 と、思いついた動きをそのまま続ける。一度、ガラスを割られた時に悲鳴をあげたことなどなかったかのように。


 教室の空気は奇妙な形に変質した。笑えばいいのか、慄けばいいのか――教員も他の生徒たちも良太の取った行動にどう触れていいのか分からないといった様子だった。


 それが怜音の立てた案だった。

 ウカガイ様のルールを逆手に取り――かつてウカガイ様やメグルくんを攻撃した生徒のように――直接、本人に名を問い質してみる。


 ただし、ルールに抵触しないよう問うのでも尋ねるでもなく、名を読み上げること。

 ウカガイ様の頭を越して外を見ること。

 今後、神隠しが起こらぬとも限らないが、ひとまず成功したらしかった。

 あの怯えよう、怒りよう――ウカガイ様は松本千春だ。

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