裏の裏
無関係な人間が本人のあずかり知らぬところで卒業アルバムを調べていたのだ。自分が同じ立場だったらと思えば、萩原沙織の指摘は尤もだった。
ただ、反論の余地がないかといえば、それは違う。
「えっと、怒られるのも気持ち悪がられるのも仕方ないと思うんだけど、調べてたのはみんなのことじゃないから、そこだけ訂正させて」
「訂正ぇ? うっさいっての。由佳こんなとこ連れ込んで――」
言って、沙織がまさに嚙みつかんばかりに前に出た。良太は足が強張り動けなかった。相手の性別は関係ない。剝き出しの敵意と暴力の予感には昔からすぐに躰が竦んでしまう。
「何か言えよ、お前――」
と、さらに一歩、踏み込んできた時だった。
「待って! 待ってサオちゃん!」
由佳が沙織のジャージを掴んで引き留めた。
「あの、違うの! 私から菊池くんに話しかけたの……!」
「――へ? 由佳が? えっ、なんで!?」
沙織が弾かれたように振り向いた。由佳が小さな声で必死に事情を説明していた。暴力の予感が通り過ぎ、良太は両手を投げ出し安堵の息をついた。
しかし。
「――いや、菊池……あんた頭おかしいんじゃないの?」
事情を知っても沙織の敵意は消えなかった。いくぶんか薄れただけマシではあるが。
良太は腹の底からこみあげてくる重い息を飲み込み、一部を鼻から零した。
「それ地元の友だちにも言われたことある。いいよ、分かってるから。なんていうか、そういう性格なんだ。――それに、なんで僕にばっかり構うのか調べあげて反撃しないと、今のままじゃ僕は三年間ももたないよ、たぶん」
ふん、と沙織が小さく鼻を鳴らした。
「だろうね。あのていどで保健室送りになるくらいだし」
後ろで由佳が慌てていた。沙織をなだめるべきか、良太を気遣うべきか、決めあぐねているようだった。
正直にいえば、良太は苛立っていた。
取り憑かれるのも、纏わり憑かれるのも、やられなければ分からないだろうに。
けれど、だからこそ、口で伝えてもいくらか鬱憤を晴らせるだけで意味に乏しい。
優先すべきは当初の目的通り、久我硝子の発言の裏取りをすることだ。どういう経緯か知らないが、萩原沙織が単独で図書室に来てくれたのはまとたないチャンスである。まずは先ほどの由佳の話と相違ないかたしかめようと、良太が口を開きかけたときだった。
「――でも、まあ、やってること頭おかしいけど、自分から動いたのはいいんじゃない?」
「えっ、あ、ありがとう……」
先を取られる格好になり、良太はそう答えるだけで精一杯だった。
沙織は紙をざっくりかき上げ、背中で由佳を隠して言った。
「でも、私らのこと巻き込まないでくんない? 外部生は外部生同士でうまくやんなよ。やってること危なすぎる。あんたら外部なら一回くらいは見逃してもらえるかもしれないけど、私らは一発で停学とか退学とかまであるんだからさ」
沙織が振り向き、由佳の背中を押した。
「行こ、由佳。関わってるとヤバいよ」
「え、ま、待って、サオちゃん! でも私――」
「――ダメダメ。由佳お人よしすぎだから。こんなとこ見られたらまたややこしいことなるよ」
と出て行こうとしする沙織を追いかけ、良太は思わず手を伸ばしていた。
「待って! 萩原さん!」
そう呼びかけながら肩に指をかけた瞬間、沙織は野太い単音を発して彼の手を払いのけた。
「――っだよ、お前! 大声だすぞ!?」
「さ、サオちゃ――ダメだってば! 待って!」
由佳が沙織の背後から抜け出て、良太との間に入るようにして押しとどめた。
「お、お願い……! ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、聞いてあげて」
「あの、僕からもお願い――」
良太は払いのけられた両手をあげて謝った。
「あと、ごめん、触って。本当にいくつか、聞きたいことがあるだけだから」
「……お願い」
と、由佳が続いて、ようやく沙織が息を入れた。その膝は小刻みに震えていた。
「そんで? 何が聞きたいわけ? 一回で終わりにしてほしいんだけど」
「あの、うん。一回で終わるように――一つ。これだけ。萩原さんは、松本千春って子のこと知ってる?」
「は? 誰? 聞いたことないけど。もういい? 終わり?」
「大事なことなんだ。よく思い出してみて。同じ小学校だったはずなんだけど」
「小学校……? さあ? ウチのクラスにはいなかったと思う」
「うん。いない。三年生より前のはず」
「はあ? 三年生より前って――」
沙織は表情を固くし、由佳の顔を覗き込んだ。
「ちょっと、まさか……」
「うん」
由佳が胸元で手を握り合わせて言った。
「う、ウカガイ、様……なる前、そういう名前だったのかもって」
「ちょっ……何考えてんの……!」
沙織もやはり過敏に反応し、周囲を窺った。人気はない。鈴の音も。平気だ。射貫くような目つきで睨まれ、良太が頷いて見せると、彼女は視線を足元に彷徨わせた。
「松本千春……松本千春? そっか、あの子、そういう名前だったんだ……」
誰に言うでもなく呟き、悔しげに下唇を巻き込み、やがて沙織は首を左右に振った。
「悪いけど、知らない。自分で確かめれば? それか――硝子なら何か知ってるかもよ? けど私はつないだりしないから。いい?」
「うん。わかった。ありがとう、教えてくれて」
沙織は鼻だけ鳴らし、由佳の手を引いた。
「行こ、由佳。もうあんなのと一緒にいないほうがいいって」
「えっ!? あの、でも私――」
抵抗も空しく、由佳は引きずられるようにして書架の陰に消えた。残された深い静寂に二人の声が、ごく幽かに反響している。
――サオちゃん、手……い、痛いよ、サオちゃん!
――えっ? ごめ――でも――
――サオちゃん、急に変だよ。いつものサオちゃんじゃないみたい――
――普通だって。てか、おかしいのは由佳のほうだから。
――違う。私、菊池くんに挨拶だけしてくるから、待ってて。
――は!? ちょっと、由佳!
残響に紛れてパタパタと足音が聞こえ、いつもそうするように、由佳が書架の陰から申し訳なさそうな困り顔を突き出した。
「あ、あの、ごめんね、菊池くん……」
良太はふるふると首を振る。
「全然。萩原さんの言ってることは正しいよ。変なことしてるのは僕の方だから。――明日にでも久我さんに聞いてみる」
そう答えたほうがらしく見える。それだけのつもりだった。
しかし、由佳は思うことがあるのかしばし俯き、困り眉を寄せて言った。
「あの、久我さんには、気を付けてね」
思いもよらぬ言葉に良太が呆気に取られていると、由佳は脱兎のごとく姿を消した。
「……どういう意味?」
そう良太が問いかけたのは、図書室の扉が閉じられた後だった。




