裏取りはじめ
図書室は今日も閑散としていた。貸し出しを担当する図書委員ないし職員の姿もない。そうであろうことを予想して図書室を選んだものの、これだけの蔵書がありながら勿体ないとも思ってしまう。良太は中村由佳が図書室に現れることを祈りつつ、時間つぶしに本を探した。
選んだのは『江戸の司法と行政』だ。
昼休みに洋介がこぼした見張りという表現から、江戸や東京にウカガイ様に似た行政機関が公的に存在したのかが気になっていた。
かつて良太が暴露した逸徒行のように、必要に応じて考案された面倒なシステムに対し住民が賛同しやすいよう、宗教的な隠れ蓑をかぶせるのは、理にかなっているように思えたからだ。
「町奉行所に、火付盗賊改方に……岡っ引き……これかな?」
誰もいないのならと書架の前で思考を音に換えつつ良太は資料を読み進める。
岡っ引きとは、一言でいえば行政府非公認の警察――自警組織である。より厳密には組織ではなく個人を指すが、現代でいう警察手帳のように十手を預かる同心が私的に雇った人々で、その数は末端まで含めて優に千人を超えた。また、雇われたのは江戸を追放された博徒などやくざ者や、地域の顔役で親分と称される人々である。
彼らは他に正業を持ち、同心から小遣いと衣食住を得つつ、犯罪組織への潜入や犯罪行為そのものの密告など市井の警備・監察にあたった。つまり見張りだ。
今でこそ岡っ引きの呼称で知られる彼らは、本来は御用聞き、手下、口問いなどと呼ばれており、それぞれが手先や下っ引きと呼ばれる子分を持った。
――これだ。
と良太は思った。風習や仕来りは時代とともに変節する。特に、明治維新のような統治体制そのものの変革を伴えばなおさらだ。
江戸幕府が置いた行政府は当然のように解体され、地方からやってきた人々が新政府を構築する。既存のシステムは解体され、当初は各藩の兵士が治安維持に当てられ、次いで薩摩藩士が指揮した邏卒を名乗る巡査が生まれる。
ではそのあと、御用聞きたちはどこに行ったのか。
東京村の自治を担ってきた人々が、余所者による統治を漫然と受け容れただろうか。
――ありえない。自分たちなら認めない。認めたにしても面従腹背で監視する。
それが、偽らざる良太の地元の感覚だった。
かつて後ろ盾を示す十手を借り受けたように、身分を明かす物を隠し持ち、秘密裏に監視と警戒に当たる。ただし、今度は同じ町人よりもむしろ、長らく保たれてきたシステムを壊して乗っ取った外部存在――余所者の監視に向いた。
それがウカガイ様か、あるいはその前身だったのではないか。
ウカガイとはそのまま御伺を意味する御用聞きの変名ではないか。
彼らは町の顔役や江戸を追放された人々だった。江戸とは朱引の内側を言う。
ウカガイ様をそれと示すのは鈴だ。密教系の金剛鈴を模した空雛である。
つい先日、帝釈天の名を目にしたのはどこだっただろう。まさに江戸の外側にあって、かつ江戸の外縁ではなかったか。
もし、良太の推測通りなら、鈴は十手の代わりと言えるだろう。長らく土地に住む人々に我は監視者なりと示し、余所者には洒落た小物かと見逃してもらえる。
――まさか、そんな……できすぎだ。
久我硝子にぶつけた推論は部分的に誤っていた。良太は拙速に走らぬよう怜音の言葉を思い出しつつ自己批判するが――しかし、連鎖的につながっていく情報は魔性を帯びた電気のように良太の躰を震わせた。
「――えっ、と……菊池くん?」
ふいに聞こえたか細い声に、良太はハッと振り向く。ほとんど同時に悲鳴すらあげずに小さな人影が書架の陰に引っ込んだ。
「……えと、中村さん?」
呼びかけると、書架の陰から中村由佳の顔が半分ほど覗いた。
「う、うん。さっきのあれ、私に言ってたのかなって、思って……」
「そう! その通りだよ!」
意図が通じたことに喜び、良太は勢い込んで立ち上がる。と、同時に、すぐ声を低めた。中村由佳の顔がさらに半分ほど隠れたからだ。
「えと、脅かすつもりじゃなくて。ちょっと聞きたいことがあっただけだから……」
言いつつ良太が半歩ほど下がると、ようやく中村由佳が全身を見せた。ただし、両手は身を守るように固く胸元で合わさっていた。
「聞きたいこと?」
「そう。中村さんにしか聞けそうになくて」
「私にだけ? どういうこと?」
「中村さんたちが通ってた小学校の話なんだ」
良太は言葉を選ぶのをやめた。迂遠な問いを続けいたずらに時間をかければ事態が余計にややこしくなる。その点は地元と大きな違いはない――いや、むしろ東京の方がいらぬ詮索やレッテル貼りにつながるように思えた。
じり、と距離を取ろうとする由佳に、良太は声のトーンを和らげる。
「もう隠してても仕方がないから、言うね。実は僕――」
ウカガイ様、と唇だけを動かした。
「――のこと調べてて、資料を探すのに中村さんたちが通ってた小学校に行ったんだ。――ああ、でも勘違いしないでね。中村さんたちのことを調べようと思ってたんじゃない。色々と考えた結果、あの小学校に通ってたんじゃないかと思っただけ」
まったくの嘘ではない。koshokosho_3が久我硝子であると当て推量したうえで、ウカガイ様が同級生なら同じ学校に通っていたかもしれないと考えたのだから。
「それで、図書室で見かけた卒業アルバムを見たら、中村さんたちの通ってた学校だったって分かったんだけど、それでいくつか気になることが出てきたんだ」
良太はそこで言葉を切り、由佳に視線を投げた。
彼女は相変わらず胸元で両手を握り固めたままで、俯き、上目がちに言った。
「私に、答えられることなら……」
「良かった。ありがとう。それならまず……」
何から聞くべきか。選択肢は三つだが、まず核心につながるところから尋ねる。
「中村さんは、松本千春って子のこと知ってる?」
「……松本、千春……?」
音をたしかめるように繰り返し、由佳はふるふると首を左右に振った。
「知らない? 本当に? たぶん三年生までは人間だったんだけど」
「人間、だった……?」
由佳の眉間に細かな皺が寄った。意味が解せないということだろう。
良太はさらに半歩ほど下がって書架の陰から図書室の様子を窺う。他に人の気配はない。鈴の音も聞こえてこない。大丈夫。由佳の方へと向きなおり、言った。
「三年生の祭祀で、ウカガイ様に選ばれた子らしいんだけど」
まるで魔法の言葉だ。
言った瞬間、由佳は小さな躰をさらに縮めて、良太が確認したにも関わらず慌てた様子で周囲を検める。それから、ようやく、距離を維持したまま固い声で言った。
「な、なんでそんなこと、菊池くんが知ってるの……?」
「さっき言った通り、調べに行って、偶然に見つけたんだ。卒業アルバム。なかの年間行事のところに祭祀ってあって、たぶんコレだって思った。他と字体が違ったから。合ってる?」
「えと、」
由佳は下唇を巻き込むようにして噛み、小さな声で答えた。
「祭祀で決まったのは、たぶん、そうだと思う……。私は誰の名前も書かなかったけど、私、選ばれかけたから……」
感情の置き場が分からなくなったような、強張った笑みを浮かべて、由佳は言った。
「でも、ごめんね。松本千春さんって子のことは、私、ぜんぜん知らない」
外れか、と良太は内心で落胆するも、他方では一つ裏が取れたことに安堵する。松本千春の存在は不明のままでも、祭祀という儀式が投票を伴うものであるのは事実なのだろう。




