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微睡みのあとで

 怖いかと問われたら、怖いと答えるだろう。

 嫌いかと問われたら、嫌いだと答えるだろう。

 しかし、興味がないのかと問われたら、どうしようもなく惹きつけられると言うしかない。

 良太は微睡みのなかに思う。

 

――怜音のせいだ――


 子どもの頃に刷り込まれた体験の、高揚感のせいでおかしくなっているんだ。


――本当にそうだろうか?

 

 ここ数年前から、良太は自分でもどうしようもない苛立ちを感じていた。

 朝、鏡を見たとき。

 昼、勉学に励んでいるとき。

 夜、父と顔を合わせたとき。

 そして今、自分でも怖いと思い、嫌いだと思うことに、惹かれているとき。


 自分と父・直幸が似ていると感じ、腹立たしくなるときがある。

 あるいは、母の奈々子に似ていると感じたときも。


 幼いころ怜音に植え付けられた何事も調べる『癖』が苛立ちの正体を探らせた。

 血がつながっているからには、遺伝によって両親に似るのは当然である。

 けれど、性格のおよそ五十パーセントが遺伝であると知り、身に覚えた怒りとも悲しみともつかない感覚は、今も抱える苛立ちを増幅させた。


 信じたくなくても、認めざるをえなかった。

 いわゆるブリーディング――血統を管理された動物たちを見れば分かるように、一卵性双生児を違う環境において生育させる研究を見れば分かるように、個体差こそあれど同じ遺伝子は驚くほど同じ結果を生む。


 親と異なる部分は環境によって説明され、後天的に獲得した性質すら、なぜその性質を獲得するに至ったかを調べれば、また親に戻っていく。


 作り物のホラーですら嫌がる母と、嬉々として摂取する父と。

 何事も感覚で処理する父と、周到に計画する母と。

 引き金を引いたのは怜音かもしれないが、内から飛び出したのは親の血だ。


 良太が微睡みのなかでキリと歯を軋ませたとき、布団の下でスマホが震えた。

 眠りと覚醒の狭間で朦朧としながら画面を見ると、意外な名前が表示されていた。


 たぬきのポン吉――中村由佳だ。大丈夫? とだけ書かれた文面の右隅にあるタイムスタンプは授業終わりの五分ほど前になっていた。スマホの時計と時刻は同じ。つまり今、送られてきたものだ。良太はカーテンの向こうの保険医を警戒しつつ返答する。


 良太:ありがとう。大丈夫。

    ちょっと寝たら良くなってきた。


 由佳:よかった。

    あんまり気にしないようにね。


 少し間を置き、授業終わりの予鈴とともに返ってきた言葉に良太は眉を寄せる。


――()()()()()()()()()()()

 

 何を? 


 見当をつける余裕はなかった。カツカツと靴音も高く保険医がやってきて、勢いよく白い結界を開いたからだ。


「さて――どう、菊池くん? 授業戻れそう?」

「はい。もう大丈夫です。お世話になりました」


 咄嗟に隠したスマートホンを握りしめ、良太は深々と頭を下げた。

 

「また調子が悪くなったらすぐ来てね」


 そう言って保険医はしばし上向き、からかうような口調で言った。


「でも今日中にもう一度、来たら、ご両親に連絡が行くからそのつもりでね?」


 良太をまっすぐ見つめる目はそのままに、手元は目には見えないスマートフォンをいじっていた。ハッタリと分かっていてもドキリとさせられる一言だ。


 授業終わりでザワつく廊下を歩きつつ、良太はふと耳を澄ます。鈴の音はない。もちろん鈴を握りこんで――つまり、人に戻っているのかもしれないが、授業時間外でウカガイ様を見かけたのは放課後を除けば入学前の面談だけだ。


 ウカガイ様を担う生徒は、ウカガイ様であるために学校に通う。

 では学校にいるあいだ、ウカガイ様を担う生徒は何をして過ごすのだろう。遊んで過ごすのだろうか。祈祷するなり儀式的な活動をするのか。もしくは、単に勉強か。


 良太は思わず苦笑する。

 あの乱れた髪を垂らして机に向かい、血走った瞳で教科書を見つめて、血の気の薄い乾いた唇で音読する――そんな奇妙な姿を想像すると滑稽に思えた。


 しかし。

 ウカガイ様としての任は高校生活の終わりともに解かれる。その後は『人生』に戻るのだ。ただウカガイ様として生きてきただけの人間が、どのような生活を送れるというのか。


 ――いや、待て。


 と、良太は教室の扉に手をかけたところで立ち止まる。

 そもそも、ウカガイ様の任は小学生の頃に与えられるのだ。義務教育も半ばである。戦前ならまだしも、現代の東京で、それをウカガイ様の親が良しとするだろうか。


 生徒の側――子に選択権がなかったとしても、その後の人生に多大な影響を及ぼす決断を、何の利得もなく受け容れられるだろうか。

 疑問を頭の片隅に置いたまま良太が扉を開くと、四十ちかい瞳が待っていた。


「えっ……と……?」


 その圧に戸惑っていると、すぐに良太の後ろの席で洋介が片手を挙げた。


「よーっす、良太! もう戻って平気なん?」


 無理して出しているようにも聞こえる明るい声が、しかし教室に渦巻く圧を払った。

 良太はできるだけ平静を装いながら席に戻る。


「うん。ちょっと寝たら良くなったっぽい。ただの寝不足かもって先生が」

「寝不足ぅ!? なんだよそれ、心配して損したわー!」


 殊更ことさらに声を張る、まるで周囲の不特定多数にアピールするかのような声音で、洋介が言った。本心から損したと言っているのではないのは保健室でかけられた言葉からも明らかだ。


「てかあれじゃね? だったら先生に言って、もうちょい寝てりゃ良かったんじゃね?」

「それじゃサボってるのと変わらないよ。授業についていけなくなっても嫌だし」


 言いつつ隣席の様子を窺うと、ちょうど久我硝子の周りに萩原沙織と、少し遅れて中村由佳がやってきたところだった。


 ふいに硝子が振り向き、涼し気な視線が良太のそれとまともにかち合う。

 あっ、とどちらともなく、声にも出さず、一拍の空白を生んだ。


「――菊池くん、もう平気?」


 先に口を開いたのは硝子だった。当たり障りのない質問。彼女の正面に陣取っていた萩原沙織が僅かに目を丸くして良太を一瞥した。


「うん。平気。ありがとう、久我さん」


 良太は敏感に違和を感じ取り、ぎこちなく答えた。周囲に発生している圧の正体。それが何か分かった気がした。久我硝子と、その取り巻き。さらに内部生。加えて洋介と一部を除いた外部生。

 中村由佳の言う『気にしないで』の意味は、ウカガイ様が教室に生み出したひずみだ。


――小学校って何? 調べた? 外部生が? どこの小学校で?

 

 そんな声が聞こえてくるようだった。唯一の味方、もしくは中立の存在、たぬきのポン吉こと中村由佳だけは、自らを守るように胸元で手を重ねつつ、久我硝子の後ろ頭を越して目配せしてきた。良太も応じ、言外に確認し合い、硝子が由佳へと振り向く前に視線を外す。


 気づかれたかもしれない。

 気づいていないかもしれない。

 どちらでもいい。


 望んでいた形とはまるで異なるけれど、仕掛けられる状況になったのだから。

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