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硝子探し

「あら? ずいぶん早いじゃない」


 というのが、帰宅した良太に投げられた母・奈々子の言葉だった。おっ、と顔を出した直幸も地元にいたころとは毛色の違うよそ行きに身を包んでいる。二人でどこかへ出かけるつもりだったのだろう。だが今はうんざりする元気もなかった。


「お昼どうする? 何か――」

「――大丈夫。買ってきたから」


 と、良太はくたびれた顔で紙袋を胸元に掲げた。地元では影も形もなかったテイクアウト専門のファストフード店で購入してきたハンバーガーセットだ。

 ウカガイ様がいて来ていないか不安で仕方なく、くために紛れ込んだ飲食街で買った。


「親はなくとも子は育つ、だな」


 そう言って直幸は笑った。

 ネクタイを解き、ブレザーにハンガーを通して、良太は椅子の上に身を投げた。


――あの後、小学校のウカガイ様に名を覚えられた後のことに、ため息が漏れた。


 名を呼ばれた直後、良太は怖気おぞけに耐えながら学校の玄関へと向かった。走ることはできない。走ればウカガイ様が傍にいると示すことになるからだ。


「ねえ、ねえ、菊池さん。菊池良太さん。何をしに来たんですか?」


 スリッパを履き替える前に自らの靴を見つけてきたのだろうウカガイ様は、良太にそう問いかけつづけた。周囲を鈴の音が取り巻き、そこに声音が加わる。


 無視し続ける良太に不満を覚えたのかときおり正面で飛び跳ねさえした。その様はどこにでもいる幼い少女に相違なかった。


 けれど、ウカガイ様に違いはない。その証拠――といっていいのか、ウカガイ様に話しかけられるなか、良太は全身に視線を感じていた。振り向けば下校途中の生徒が目を逸らす。老齢の、人が好さそうに見えていた警備員すらそうだった。

 そして、なによりも。


「――待って。待ってください。行かないで」


 学校の敷地を跨ごうとしたとき投げられたウカガイ様の声。泣きそうな声だった。

 人を無視し続けるのは簡単なことではない。

 悪意をぶつけられているならまだしも、好意すら向けられていそうなときは、特に。


「お願いです。行かないでください。お話してください。菊池良太さん。白宮学園高校の、菊池良太さん。置いてかないで」


 何度、振り向くなと自らに言い聞かせただろうか。後ろ髪をひかれるという言葉の意味を、良太はそのとき初めて知った。

 同時に。


「逃げるな」


 そう低く響いた声音と鈴の音に、良太は我知らず両手を固く握りしめていた。

 少女の声は罠だったのだ。振り向かせるために紡がれた惹句だったのだ。

 そう思った瞬間から、帰路はこれまでよりさらに遠くなった。人混みが恋しくなり、雑踏に重なり鈴の音すら消し去るだろう暗騒音あんそうおんを望み、無暗に遠回りして家に帰る羽目になった。


「もうやめてよ……」


 と思わず弱音を零しつつ、良太はハンバーガーの包みを広げてかぶりつく。本当だったらもっと喜んで頬張っていたはずだった。地元ではファストフードチェーンが一軒しかなく、そこで買い食いするのは子供たちのイベントの一つといってもよかった。だというのに、今は味も感じられない。


 どうしてこんなことになったのだろうと思いつつ、良太は撮影してきた資料写真を怜音に送った。自身はタブレットに画像を移し、あらためて眺めた。


 文集の内容にこれだけはといえる特殊な内容は含まれていない。特徴的な内容は将来の夢についての記述かもしれないが、それだけでは特定には程遠い。

 

 ――仮に。


 仮にkoshokosho_3に揺さぶりをかけるならどうするか。友人の秘密を教えろと言っていたのだから、卒業アルバムから取ってきた情報を投げてみるのが適当だろう。


 中村由佳なら一人で写る手芸部の写真、萩原沙織ならダンス部の夢、では久我硝子はどうしたらいいのだろう。


 挑発の意を込めて医者を目指していたという話に触れる? 

 どの写真でも違う人間と映っている点に触れる? 

 いや、小学校のアルバムにしか書かれていない情報があれば充分かもしれない。


 外部生と内部生だ。小学校時代に接点はないのだから、知られているというだけで恐怖になりうる。田舎では当たり前だが東京では――そこまで思考し、良太は首を振った。

 

 ――忘れるな。東京にしても学校にしても村社会なのは同じだ。


 向こうには少なくとも六年ないし九年分の蓄積がある。互いの過去の情報などたやすく共有できる。良太が知っているという事実で揺さぶりをかけられるかもしれないが、それがどのような反動を伴って表出するのか予測もつかない。

 堂々巡りの思索を断ち切るように、怜音のメッセージが電子音を鳴らした。


 怜音:なんか凄いことに気づいちゃったかも。

 

 良太:何? 祭祀のこと?


 怜音:いやいや。

    これ写真と似顔絵の人数が合わないよ。


 ……は? と良太は間抜けな声を出す。理解するのに半拍を要した。


 怜音:我らが良太氏が二クラス分の似顔絵しか撮ってきてくれてないから

    推測でしかないんだけどさ。


 良太:悪かったね。時間がなかったんだよ。


 怜音:いやあ数えるだけだったからいいんだけどさ。

    これ似顔絵の人数通りなら二組は二人少ないことになるね。


 良太:それが?

    

 怜音:いや変だよ。

    三クラスあるのに真ん中だけ二人少ないなんて。


 良太:たまたまじゃないの? 

    集合写真を撮るときに休んでたとかさ。


 怜音:集合写真にいなかったら普通は額縁でしょ?


 額縁――つまり、写真の端で白く抜かれたところに胸像写真を入れることだ。言われてみると、全体集合写真では全員そろっているらしいことが分かる。


 怜音:凄いのはここから。

    生徒の胸像写真は三十九人。

    でも、似顔絵は三十八人分しかない。

 

 良太:その人がウカガイ様とか?

 

 だとしたらたしかにすごい発見だ。

 しかし、怜音の返答は違った。


 怜音:イジメられてたりとかね。


 何それ、と良太は顔を歪めた。ただでさえ味が感じられなかった遅めの昼食はもはや手に持ち続けるのも辛い代物となり果てた。


 良太は暗澹たる気持ちで似顔絵の写真を見直す。簡略化したうえでディフォルメを加えた生徒たちがクラスで遊んでいるような絵になっている。


 けれど、ふと思い出し一組の似顔絵を見ると、胸像写真を図案化したようにカード形式で氏名とともに自筆らしきタッチの違う自画像が並んでいる。


 二組だけが絵柄を統一し氏名も記入していない。

 つまりこれは、


 良太:ウカガイ様ともう一人、八分はぶられてる。


 やられている人と、やった人にしかわからない形で、公然と存在を無視されている。

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