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潜入

 小学校の校舎は開校から百年以上を数えるとは思えないほど新しく綺麗だった。良太の地元では頻繁に見られた窓を隠さんばかりの太い鉄骨による筋交すじかいはなく、冬場となれば必ず結露していた窓とアルミのサッシも東京では樹脂製だ。


 東京は、過去に何度も焼け野原になり、そのたびに建て直されてきた。


 近年で特に大きな被害をもたらしたのは関東大震災と第二次世界大戦期の大空襲によるものとなるが、たとえ直接的な打撃を受けていなくとも大災害の後には必ず見直しが入った。


 前世紀九〇年代には震災と地下鉄テロが、〇〇年代には台風に火山噴火に地震が、一〇年代には東北の地震と津波から大火災もあり、首都東京は改めて建築物の総点検を行ってきた。なかでも大きな比重を占めてきたのが、緊急時の避難所にもなりうる学び舎であったのだろう。


 良太は階上から聞こえてくるかすかな鈴の音を警戒しつつ、職員室の扉の前で足を止める。どうしたことか、地元では一度たりとも緊張したことなどなかったというのに、扉を叩こうと持ち上げた手が意に反し細かく震えていた。


――落ち着け。大丈夫。


 すっかり慣れてしまった呪文を胸の内に唱え、良太は扉を叩いた。


「どうぞー?」


 と若干の違和感を滲ませた声が返ってきた。


「失礼します」


 うるさくならない程度に声を張り、良太は静かに扉を開く。土曜の授業中だからだろう、職員室に残っている教員は多くなかった。また、みな一様に、異物を見る目をしていた。

 良太は口の中が急速に乾いていくのを感じて喉を鳴らした。


「あの、白宮学園高校から来たのですが、こちらの図書室に――」

「――図書室?」


 良太が言いきらないうちから復唱し、中年の男性教師が腰をあげた。灰色をした薄手のセーターと太い茶色のズボンを着ていた。


「えっと……白宮の……君、受付は通ってきた?」

「あれ? すいません、気づかなくて……あの、これ――」


 良太はパスケースから生徒証を抜き、差し出した。薄いプラスチックのカードで中にICチップが、表面にはQRコードとホログラムが貼ってある。写真は受験時に提出した写真そのままで、今よりも少しふっくらして見えた。

 男性教師は生徒証を受け取ると、良太の顔と見比べて言った。


「本当に白宮学園の生徒さんみたいだけど……君、急にこんな、土曜日に来られても――」


 と苦言が続きかけたとき、男性教師の後ろから眼鏡をかけた若い女性教員が顔を出した。こちらは春らしい淡いピンクのカーディガンにクリーム色の細いパンツだった。


「先生、どうされたんですか?」

「あ、いや、いまこの子……こちらの、白宮の生徒さんみたいなんだけど、うちの図書室を使いたいっていうんですよ。だよね?」


 ふいに顔を向けられ、良太は慌てて頷いた。次いで女性教師にも一礼、怜音のやり方を思い出しつつ笑みを送る。


「あの、検索したら、白宮学園の図書室になかった本が、こちらの図書室にあるって――」

「そう出たの?」


 と女性教師が前に出つつ男性教師から生徒証を受け取り、後を継いだ。


「えっと……菊池、良太くん?」

「はい。白宮学園高等部の一年です。あの、高等部からの編入で、まだ東京に慣れてなくて」

「あー……なるほど。でも、もう一か月経つんだから慣れないと、なんて」


 女性教師は冗談めかして笑った。


「えっと、こういうことはあんまりないんだけど……とりあえず一緒に受付に行こうか。ビジター証をもらってこないと」

「あ、はい」


 と良太は女性教員の後に続く。とりあえず、最難関は突破できたようだった。

 受付は職員室のすぐ横にあったものの、中には誰もいなかった。


「ありゃ、ダメか」


 女性教師が小さな声でぼやき、良太に振り向いた。


「ってことは、あれだ、電話とかはしてない?」

「あ、はい。すいません。家が近くなので来ちゃったほうが早いかと思って」

「あはは。もしかして、あれだ、けっこう田舎から出てきた感じ?」

「はい、実はそうで……地元だとあんまりそういうのいらなかったので、つい……」

「わかるなあ、私も上京したときそんな感じだったし。じゃあ、ちょっと待ってね」


 女性教師は部屋に入ると、カーテンで閉じられている玄関向きの窓口の机から、クリップボードに挟まれた用紙とネックストラップのついたカードホルダーを持ってきた。カードホルダーにはただ『入館証』とだけ書かれた紙が入っているだけだった。


「それじゃ、ここに名前と住所を書いてね。学校にいるあいだ生徒証は預かるけど、いい?」


 もちろんです、と答えつつ良太はクリップボードを受け取り、必要事項を記入する。

 女性教師は記入内容と生徒証を見比べて頷いた。


「おっけ。今回だけ特別ね。次から――次があるようなら事前に電話するように」

「はい。ありがとうございます」

「よろしい。それじゃ図書室まで案内するけど、まだ授業中だから大きな音を立てないようにね。それから――」


――チリン。


 とどこかから聞こえてきた鈴の音に言葉を切り、女性教師は言い直した。


「知ってるね?」

「はい」

「おっけ。それじゃ行こっか」


 後に続いて階段を上り始めると、次第に鈴の音が大きくなっていった。だがそれも三階まで上がると逆に小さくなっていく。ウカガイ様は二階にいたのだろう。


「――にしても、検索はしたんだよね?」


 女性教師が歩きながら言った。


「それってウェブ蔵書目録(OPAC)とか? 白宮なら連携してるかもしれないし、できるなら取り寄せた方が楽だから次からそうしたほうが……」

「あ、えっと、実は地元の友だちが小学校の先生を目指してるらしくて」


 本人は絶対ないって言ってるけど、と心の内で続けて言った。


「できたら、あとで学校の見学もさせてもらえないかなと思いまして」

「小学校の先生! すごいね、白宮の子ってもう将来のこと考えてるんだ」


 地元の一語を聞き逃したのか、女性教師は呆れたとも感心したともとれる笑い声を立てながら図書室の扉を開いた。


「はい、到着。校内見学もいいけど、ウチの生徒に絡まれても優しくしてあげてね? それから帰るときに職員室に寄って。生徒証を返すから。あとは――」


 女性教師は細い顎に指を添えて天井を上目見てから笑顔で言った。


「そのお友だちに、東京はやめといたほうがいいよって教えてあげて」

「えっ」

「夢をアレするわけじゃないんだけどね。東京の小中はめっちゃくちゃ忙しいから。それにこのあたりはまたちょっと変わってる……どこもか。やりがいもあるっちゃあるんだけどね」


 ごまかすように手のひらを振り、それじゃあ後でと女性教師は足早に立ち去った。

 

――この辺りは少し変わっている――


 おそらく、ウカガイ様のことを指しているのだろう。生徒として田舎から出てきた良太ですら驚いているのだから、教員として接したときの感情は想像できない。


――教師、か。


 良太は扉を閉めつつ思う。生徒にとってのウカガイ様は守り神であり見れず触れず居らずという奇妙な形態だが、教員たちにとってのウカガイ様はどうなのだろうか。何か特別な役割を担っているのだろうか。


「いまはkoshokosho_3を調べないと」


 良太は脳内の調べることリストへ追記するに留め、偽装作業に取り掛かった。

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