わたしをトロピカル
小説なんてただのステータスだ。おれの中の話だ。大体がもう登場人物とか考えるのが面倒くさい。名前なんてどうでもいいじゃないか。そんなことでいちいち頭を悩ますのは馬鹿らしいよ。それにやつらは喋るだろう。せりふを考えるのも面倒なんだよ。お喋りなやつなんて大抵がいんちき野郎なんだから。余計なことは口に出さないのが一番いいんだから。何度も身をもって経験しているだろう。それでもやつらは喋るだろう。だからもういらないんだよキャラクターなんて。いんちきなんだから全部。わかってるよな。全部いんちきなんだって。おれの中の話な。性別とか見た目とかセクシャリティとか。知らないよ。いんちき設定なんて。どうだっていいんだよ。なぜわからない。大体がぜんぶ一緒なんだよ。おれの書いている文章が小説だろうがそれ以外だろうが、ほぼなにも変わらないんだから。いま書いているこの文章だって、どうなるものか知ったこっちゃないよ。小説だろうと、そうじゃなかろうと、おれには関係のない話なんだよ。誰にも関係のない話だよ。つまりは、ちくしょう! ってことなんだよ。すべておれの中のお話でした。
相変わらず熱い男だな。そうだよ、おれは暑苦しい男なんだよ。身体も心も夏なんだ。灼熱のビーチでぬるいトロピカルジュースをあおる。とにかく暑くてたまらない。目の前に海があるけれど、海に入ると身体がベタベタするから。それに海の味ってひどいじゃない。しょっぱくて苦くて、あんなところでは死にたくないな。我々は太古の昔に海から逃げ出した連中の末裔なんだから、今さらおめおめと戻るわけにはいかないだろう。ポセイドンにどの面下げて挨拶すりゃいいんだ。だからもう、ここから逃げようと思うんだけど、乗るかい? よし乗った。
どこまで行こうか。日が落ちる前にはどこかに辿り着きたいね。希望を言わせてもらうと、おれの部屋がいいな。クーラーの効いたおれの部屋でぼーっとしていたいよ。日がな一日ぼーっとしていたいよ。沸騰した脳をクールダウンさせたいんだ。なにしろこの暑さだ。このままじゃ馬鹿になっちまうよ。使い物にならなくなったら、この先おれはどうやって生きていけばいいのかわからないよ。根っこは真面目だからね。そう話すやつに真面目なやつがいた試しはないけれど、おれだけは例外だね。例外中の例外だ。意外そうな顔をするなよ。心外なんですけど。心のどこかが侵害されたんですけど。心のどこか奥深く……そう深海のような場所で。そこは光すら届かないんだ。気持ち悪い連中がうようよしていてさ。とても友だちにはなれそうもないよ。そういう場所で生き続けているやつらもいるんだよね。あいつらにとっては太陽なんて存在しないものだからね。光なんて忌むべきものだし。眩しいとかいう低いレベルの話ではなくて、とにかく嫌なんだよね。嫌っていうと軽く聞こえるかもしれないけど、もう本当に嫌なんだよ。触れただけで、気が触れそうなくらいに嫌なものって誰にでもあるだろう。おれにとっては、蛇だね。足のない生き物は全体的に苦手なんだけど、その中でも蛇は特別に嫌だね。怖いんだよ。とにかく怖くて怖くて。昔は草むらなんてなにも気にせずズカズカ入り込んだものだけど、あるとき急に、もしかしたらそこに蛇がいるかもって、考えてしまってさ。それ以来、もう無理だよね。ある程度は道になっていないところには入れなくなった。春から秋限定だけどね。冬だけは大丈夫。やつら冬眠しているから。だから本当に限定と言うべき季節は冬なんだ。蛇が眠る季節。こんなに心安らぐことってないよ。でも寒いのはだいぶ苦手さ。なにより嫌なのは一晩中寒い思いをすることだよ。そんな状況は絶対に避けたいから、宿無しだけにはなりたくないってこと。
車に乗るなら助手席に限る。一方通行とか速度制限とか歩行者とかに気を配る必要がないし、流れてゆく風景をぼんやり見ているのはなかなかおつなものだ。でもおれは車の免許を持っていないから、運転手の気持ちはわからない。車の運転はすごく楽しいことなのかもしれない。車の運転をしたことがないわけではない。教習所に通ったことはあるのだ。アホくさい理由と面倒くさいが重なって、路上教習を一度受けたっきり行かなくなった。その時の気持ちは覚えていないので、車の運転にはやはり興味がないということなのだと思う。
彼女はどう思っているのだろう。運転できないおれを疎ましく思ってやしないだろうか。
「いつも悪いね」
「なにが」
「いや運転任せっきりでさ」
「しょうがないじゃん。免許ないんだもん」
「そうなんだけどさ」
「別にいいよ。わたし運転嫌いじゃないし」
だそうだ。利害の完全なる一致。彼女の嫌いじゃないは好きってことだ。好きなものはなんでも嫌いじゃないって言うんだ。嫌いなものは好きじゃないと言う。どっちでもないときは、よくわからないと言う。そういう人なんだ。ほんの少しだけ、ひねる。本音をほんの少し、隠そうとする。癖みたいなものなのだろう。探せばおれにだってありそうだ。そんな癖が。
で、その直後に車ごと崖から落ちて大爆発。おわり。ということにしてもいい。小説なら。そんな結末が気に入らないなら、もう、そんな癖が。この時点で終わったっていい。なんだか余韻ありげでしょう。おれは上の文章の台詞部分を書いてるだけで、なんかムカムカしてきたよ。吐き気と苛立ちの間みたいな感じ。本当はこの後、幸せとはなんだろう、的な会話が続くはずだったんだけど、もう無理。ギブ。嘘くさすぎてやってられない。リアリティを出そうとすればするほど、嘘くさくなる。気持ち悪い。そしてまったく面白くない。ぜんっぜん面白くない。現在の小説ってこういうのを繰り返すでしょう。おえっ、だよね。
でもこういう感じ、あくまでも感じだからね、技術的なことはほっといてよ、こういう感じをずっと続けていても、保坂和志なんかは面白いもんな。そういうのよくわからないよ。謎。謎すぎる。
あれかな。嘘くさいと思っても、くだらないと思っても、そこで踏みとどまって書き続けるってのが大事なのかな。ギブアップせずに。やばくね? そんな精神力おれにはないよ。どんな感情でこういう小説を書いているのか、本気で気になるよ。それにこれプラス風景描写が必要なんでしょ。地獄だわ。
例えば金があったとして。裕福と呼ばれるに足るだけの金を持っていたとして。ではそれで絶望というものがなくなるのだろうか。もちろん金が由来の悩みからは解放されるのかもしれない。でも根本的な解決にはなり得ないよね、お金は。虚しさって幸不幸に左右されないじゃないですか。いつでもあるというか。ふと思い出すとここにあることに気づく。どうしたって振り切れないものだよ。
多分こういうことにピンとこない人もいるんだろうな。おれがそう思ったのは、有名な俳優がふたり続けて自ら死を選んだじゃない。別に不思議なことではないよね。ふたりがどんなことで悩んでいて、どんなことに絶望を感じていたかなんてわかりっこないけど、そういうことが起こるということはわかるでしょう。お金があっても名声があってもモテモテでも、埋められない絶望があることもあるって、想像はできるよね。不思議なことでは全然ないよね。
でも、信じられないとか、あり得ないとか、挙げ句の果てには陰謀で殺されたとか騒ぎ出しちゃう人たちを見るとさ、逆にそういう人らって、金があって名声があってモテれば、もうハッピー間違いなしって価値観の持ち主ってことだよね。そういう人が自死を選ぶなんてありえないと主張するのであればさ。どうしてそこまで想像力をなくせるのだろう。その貧弱な感性でよく他人の死に触れようと思ったな、って感じなんだけど。
「うん……まあ、言ってることはわかるかも、なんとなく」
「なんとなく? ええっ、これだけ一生懸命説明したのに、なんとなくなの? わかるでしょう、なぜおれが心の底からそういう連中を嫌っているか、少し考えれば。ちょっとは頭使って生きた方がいいよ、マジで」
調子に乗りすぎた。部屋に送ってもらえはしたが、あのあと彼女はひと言も喋ってくれなかった。ガソリン代すら受け取ろうとしなかった。彼女は今まで見たこともないくらいキレていた。生きた心地がしなかった。針のむしろってこういうことね。よくわかった。やっぱりもうお喋りはやめよう。余計なことを言うよりは、黙っていた方がずっとマシだ。