4. 男爵令嬢ミーアの秘密
ミルニアの元を去ったタロート大臣は、待機していた騎士たちに先導されながら王宮内を歩いて行く。
閑散とした王宮内には、警備の騎士達の姿しか見えない。
そのようないつもとは違う王宮を歩きながら書記官から報告を聞きつつ、着いた場所は自分の仕事場所、大臣室だった。
ー トントン
自分の仕事部屋だと言うのに、タロート大臣はわざわざドアをノックした。
「お入りなさい」
部屋の中からは、若い女性の声で返事が返ってくる。
「失礼します」
付き従っていた書記官と騎士達を部屋の外に待機させ、軽く頭を下げながら室内に入ったタロートを待っていたのは、窓辺に立ち、外を見ている若い女性だった。
髪は艶やかなピンクゴールド。
タロートが室内に入ってきたのに合わせて振り向き、にっこりと微笑む。
小柄で華奢なその女性は、可愛らしいピンク色のふわふわとしたドレスを着ており、それが彼女の持つ儚げな雰囲気をさらに増している。
「タロート大臣、首尾はいかがですか?」
タロートはその質問にはすぐには答えず、片手で少し待ってほしいと示してから、来客用に置いてある飾り気のないソファにドサっと座った。
「ふぅ、やれやれ。もう少し老体を労わって欲しいものですな、ミーア様。いえ、ロロノア様とお呼びした方がよろしいかな」
ミーア、いやロロノアと呼ばれた若い女性はクスクスと笑いながらピンクゴールドの髪のカツラを脱ぎ、タロートがいつも使っている執務机の上にポンと置く。
ピンクゴールドのカツラの下から現れたのは、艶やかなブラウンの髪だった。
ロロノアは頭を左右に軽くふり、手櫛で髪を整え、タロートの向かい側に座った。
ロロノアは美人というよりは可愛らしい顔立ちをしている。
大きな瞳がより際立つような化粧をしており、儚げで守ってあげたくなるような雰囲気を醸し出していた。
だが目の表情だけは別で、冷静だった。
そんなロロノアの顔を近くで見たタロートは、思わず息を止めてしまった。
「私の顔に、なにかついていますか?」
そうロロノアに聞かれて、タロートは慌てて手を左右に振って違うと示す。
「いえいえ、違うのです。あまりにいつものお姿と違って見えるものですから、少々驚いてしまいました」
「ふふふ、それはお化粧とドレスのせいでしょう。これはミーア仕様ですの」
「ほぉ、化粧とドレスだけでこれほど変わるのですな。…いやはや、やはり女性は恐ろしい…」
「?。なにかおっしゃいまして?」
「なんでもありませんよ、もちろん!さてさて、私は疲れましたよ。結果的に広い王宮内を、歩き回るはめになりましたからな」
「お疲れ様です。それで、署名の方はどうなりました?」
タロートは首の周りを緩めながら卓上に置かれたベルを鳴らし、書記官を室内に呼び寄せた。
書記官から預けていた書類を受け取ると、お茶を二人分用意するように言いつけ、書記官が退出するのを待ってからロロノアに向き直った。
「なんとか貴女のご希望通りに、事を進めることができたようですよ」
手渡された書類を見て、ロロノアは微笑んだ。
「さすがタロート大臣ですね。確かに婚約解消の書類にマローン殿下の署名がなされています。素晴らしいですわ!」
自分を褒めるロロノアを前に、夕食の受け取り確認の署名と偽ったことは黙っておこうとタロートは考える。
向こうも寸劇内の小道具と偽ったのだ、夕食の受け取り確認だと欺いたって問題ない。
もう少し鮮やかな手段であれば、細かく報告したんだが。
そんなタロートの内心も知らず、ロロノアは感謝の言葉を続ける。
「マローン殿下の側近は皆、睡眠薬で寝込んでいるでしょう?私が直接行くわけにも行かず、どうやったら殿下に怪しまれず署名を貰えるかと、頭を悩ませていたのですよ」
「まあ年の功という事で。殿下は私の顔など覚えておられないと思ったものですからな、牢番のふりをして近づきました」
「まあ、大した役者ですこと」
「一体何が起こったのか、そのあたりの事情も聞いておきたかったですしね。おおよそは貴女から聞いて分かっていましたが、なにせほら、不測の事態が起こりましたからなあ」
タロートの言葉にロロノアもうなずく。
「ええ、私もまさか寸劇の最中に、睡眠薬入りの葡萄酒が出てくるとは思いませんでしたわ」
「ロロノア様は、よく難を逃れられましたね」
タロートの言葉にロロノアは苦笑する。
「ミルニア様が皆に葡萄酒を注いで回られたのですが、私の杯に注ぐ際に手が震えていらしたのです」
「ふーむ、罪悪感から緊張されていたのでしょうな」
「恐らくそうなのでしょう。あまりにも手が震えるので、葡萄酒が上手く注がないほどでしたわ」
「それは酷い」
「なにかおかしいなと思ってミルニア様のお顔を見ると、顔色が真っ青なのに酷く汗をかいておられました。そして決して私と目を合わそうとしないのです」
「悪事がバレバレですな」
「その後も注意して見ておりますと、皆が次々に葡萄酒を口にしますのに、ミルニア様は決して口にしようとなさいません」
「まあ飲めませんわな」
「ですので、私も口をつけたふりをして飲みませんでした」
「さすがですな」
「その後すぐに皆がバタバタと倒れて行き、大騒ぎとなりました。これはやはりミルニア様が葡萄酒に薬か何かを入れたのだろうと思い、その場から逃げようとしていたミルニア様を、私の護衛に指示して身柄を確保しました」
「いやいや、お手柄ですぞ!ミルニア様のお父上は、国王派の中心人物ですからな。彼のしでかした事は既に広く知れ渡っております。これは交渉材料になりますぞ!」
ロロノアは嬉しそうなタロートを見て、いたずらっ子のような笑みを見せた。
「ふふ。急な事でタロート大臣には事後報告になってしまいましたが、生徒達の安全を理由に学院長と警備主任を説き伏せて、パーティ参加者をすぐさま帰宅させるようにしたのです」
「なるほど、いち早く噂を流させるためですね」
「ええ。事の顛末をなるべく早く、御家族や領地に知らせた方が良いとは皆にアドバイスしましたが、まあ私が言わなくても皆さん早馬を飛ばされたでしょうね」
「よく対処されました。なかなかご相談する事もままならない状況が続いておりましたからな」
書記官が来て、お茶と菓子を給仕し始めたので、しばらくお茶を飲みながら当たり障りのないことを話す。
書記官が出て行った後、タロートは出された焼き菓子を頬張りながら話を続ける。
マローン殿下に夕食は持って行ったが、自分は忙しくて朝からろくに飲み食いしていないのだ。お行儀が悪いが許してもらおう。
「マローン殿下とミルニア様から話を聞いて、おおよそのところは分かりましたが、しっかりお聞きしておきましょう。ロロノア様、あなたは…」
マローンはロロノアの目を見た。
化粧のせいで、今はいつものロロノアのようには見えない。
髪はブラウンだが顔が違って見えるので、まるで違う女性のように見える。
大きな瞳は濡れたように輝いていて、見つめていると吸い込まれそうになる。
思わず食べかけていた焼き菓子が、口の端からポロリと落ちた。
「…これは魔法…いや、魔法のようなものですかな」
「ん?どうしました?タロート大臣」
「いえいえ、失礼しました。話を続けましょう。ええと、その、貴女様は今日、なにをしたのですか?」
タロートの問いに、ロロノアは少し間を取り考えた後、話し始めた。
「貴方にも報告は逐一送っていましたが、そうですね、まとめて話してみましょうか」
ロロノアが今回の事の顛末を話し始めた。