2. 婚約破棄の秘策
「とにかく、私にはミーアが必要なのだ。だが私にはロロノアという婚約者がいる。しかもこの婚約は私の父である国王が決めたもので、おいそれとは破棄できぬ」
「確かにロロノア様との婚約破棄など無理でございましょう」
ここでマローンがニヤリと自信たっぷりに笑った。
「そう。普通であればな」
「では今は普通ではないと?」
マローンはガシリと鉄格子をつかんで顔を押し付け、片頬を高く釣り上げだ。
「お前のような牢番は知らないだろうが、いま父上は国外を極秘に外遊中なのだ」
「左様でございましたか。そのような話、初耳でございます」
「まあな、一部の側近しか知らぬことだ」
「ですが国王陛下がいらっしゃらないのであれば、王国の仕事が回らないのではありませんか?」
「普通であればな。だが今回は国王陛下の代理を務める者がいる」
ここでマローンは華奢な胸板を大きく張り、自信満々に自身を親指で指差した。
ここまできて牢番は、ああなるほどという顔をする。
「なるほど、その国王陛下の代理を、今回はマローン殿下がお務めになられているのですね?」
「ふふふ。まあ、そういうことだ」
だが牢番にはマローン殿下が国王陛下の代理を一時的に務めることが、どのようにロロノアとの婚約に関わるのか分からない。
わけが分からないといった顔をしている牢番を見て、マローンは得意げに語り出す。
「私とロロノアの婚約は国王がお決めになったことだ。ゆえに婚約破棄には国王の許しが必要だ」
牢番もそれを聞いて大きくうなずく。
「このような場合、国王がお認めになった証拠となる署名が必要だと聞いております」
「そこなんだよ!私がロロノアとの婚約を破棄するには、書類に国王の署名が必要なのだ!だが今なら、国王の代理を務める私の署名だけでロロノアと正式に婚約破棄できるのだ!」
「なるほど!これは盲点でしたな!」
牢番はいかにも感嘆したといった風に見せていたが、そんな話が通るのだろうか?と内心思っていた。
だいたい、婚約破棄には婚約者双方の署名が必要だったはずだ。この場合はロロノア様の署名が必須なはずだが…。
「しかし、国王陛下と婚約の当事者であられるマローン殿下の署名は大丈夫だとしても、ロロノア様のご署名も必要でございましょう?それはいかがされるのですか」
マローンはさらに得意げな顔をする。
「私は愛しのミーアと一緒に考えたのだよ、ロロノアに署名をさせる素晴らしい計画を!」
マローンが大袈裟な身振り手振りで語った素晴らしい計画とは、卒業ダンスパーティで余興の寸劇をし、劇のシナリオだとロロノアを騙して劇中で婚約破棄の書類に署名させると言うものだった。
「ふむ、これは考えましたな。余興のお芝居の中で署名したものが、まさか本物の婚約破棄の書類だとは、誰にも想像できませんわい」
「ふふふ、そうだろう、そうだろう。ミーアが考えてくれたのだ」
「して、ロロノア様から署名はいただけたのですか?」
牢番の問いにマローンは視線を神経質に彷徨わせた。
「い、いや、どうだろう。たぶん署名したんじゃないかと思うが…思い出せない」
「では余興の寸劇はパーティで計画通りされたのですね?」
「う、うん。予定通り寸劇はした…いや、してないな…なぜだ?…そ、そうだ!ロロノアがなかなかパーティに現れず、ミーアが待ち疲れたから少し休憩をとるといって席をはずしたんだ!」
「まあ、若いご婦人の靴は長時間立っているのに向いてませんからなあ」
「ミーアが席を外して、しばらく立ってからロロノアが現れた。もうパーティが終わる時間帯だったし、ロロノアがもし現れたらミーア抜きで計画通りに寸劇を始めて欲しいとミーア自身から言われていたのだ」
「ミーア様は寸劇にお出にならなくてよかったのですか?」
ここでマローンは、うっとりとした表情になる。
「ミーアは、私の恋人の役なのだ。セリフなどない。私の隣で可愛らしく微笑んでいるという重要な演技があるからな」
「なるほど。それでしたら、ミーア様なしでも大丈夫だったでしょうな」
「ククク、色々と思い出してきたぞ!ロロノアは私がミーアに贈ったのと同じドレスを着て現れたのだ。ふわふわした可愛らしいピンク色のドレスだ。ロロノアにも事前にそのドレスを来てくるようにと伝えてあったのだ」
「ほほー、同じドレスを二人のご令嬢が身につけていらっしゃったのですか。それはまた、いささか刺激的ですな」
「ミーアが着るとな、天使のように可愛らしく似合っているが、ロロノアにはまったく似合わないのだ。それは見ていて面白いくらい惨めな格好だったぞ」
「はてさて、なぜロロノア様とミーア様が同じドレスを着ることになったのですか」
マローンはさも面白そうにクツクツと笑う。
「ミーアの提案なのだ。パーティという大勢の人がいる前で、どちらがより私に相応しい令嬢なのかを示したいと言ってな。同じドレスを着れば一目瞭然になるからといっていた」
「ううむ、ミーア様はなんといいますか、なかなかなご令嬢でいらっしいますな」
「そうだろう、そうだろう。私にふさわしい女性なのだ」
「確かに、そのようでございます」
「ロロノアもようやく現れたことだし、私は側近たちに指示して寸劇を始めたのだが…そこで台本にないことが起きたのだ」
牢番は年甲斐もなく、少し気分が浮き立つ自分に気がついた。なにやら話が楽しそうな色を帯びてきたではないか。
「台本にないことと申しますと?」
「うむ、それがな、私の側近の男が劇の最中、まだ婚約破棄の場面になる前に台本にはなかった葡萄酒を持ち出してきたのだ」
「小道具でございましょうな。寸劇とはいえ、小道具がありますと観客受けもよろしいでしょう」
「うむ、私も事前に聞いてはいなかったが、側近が気を利かせたのだろうと思い、話を合わせて劇中で乾杯したのだ」
「まあ皆様もう成人してらっしゃる立派な方々ですから、葡萄酒の乾杯程度で支障をきたすことなどないでしょう」
「それが…そこからなにも思い出せないのだ」
マローンの弱りきったような顔を見て、牢番は手助けをすべく、あの手この手で思い出させようとしたが、どうしてもマローンは乾杯以降のことが思い出せなかった。
「弱りましたな。私の権限ではマローン殿下を地下牢からお出しすることができないのですよ。申し訳ありません」
「いや、よいのだ。お前のお陰で少し思い出すことができたしな。なぜ私が地下牢にいるのかは分からないが、何かの手違いだろう」
「それはもちろんでございます。私の上役にマローン殿下のことは伝えておきますゆえ」
「そうか、頼む」
牢屋の脇の椅子に置いていた夕食ののったプレートをマローンに手渡し、それでは失礼しますと一礼をして去りかけた牢番は、何かを思い出したように足を止めた。
「おっと、これは申し訳ございません。私としたことが殿下とのお話に夢中になっていて、仕事を忘れるところでした」
「ん、なんだ?」
話を終えた後、急激に空腹を覚えたマローンは行儀悪く、牢屋の中で立ったまま固いパンにかじりついていた。
「いえ、たいしたことではないのですが、食事を確かに受け取ったと言う殿下からの署名がいただきたいのです。これを貰わないと、私が上役から叱られてしまいますので」
「おお、そうなのか。下賤な仕事にも色々と苦労があるのだな。よいよい、その紙に書けばよいのだな?こちらに貸してみよ」
マローンはパンを頬張ったまま、牢番の差し出した紙にサラサラと署名をする。
「ありがとうございます。それでは私はこれにて失礼いたします。マローン殿下、どうぞ気を強く持ってお過ごし下さい」
「ククク、大袈裟な奴だな。私は王太子で現在は国王代理でもあるのだぞ?私を地下牢に入れるなど、手違いとはいえ許しがたいが、どうせすぐに外に出られるさ。その際には、お前にも褒美をやろう」
「はっ、有難き幸せでございます。ではこれにて」
牢番が去った後、マローンは「このように固いパンが世の中にはあったのだな、丸めて投げるとよく飛びそうだ」などと独りごちながら夕食をとった。