1. 地下牢の王子
とある王国の王宮。その地下にある牢屋に、若い男が入れられている。
一脚だけポツンと置かれた椅子にぐったりと力無く座っていた男は、自分の入っている牢屋に近づいてくる足音を聞き、飛び跳ねるように立ち上がった。
廊下側の壁一面、天井から床まで取り付けられた鉄格子を両手で掴み、顔を格子の隙間に押しつけるようにして叫ぶ。
「だ、誰かいるのか!?」
ゆっくりと歩いてきたのは、白髪混じりの頭髪を綺麗に撫でつけてはいるものの、粗末な灰色のマントに身を包んだ恰幅の良い男だった。
男は片手に食器がいくつか置かれた木製のトレーを持っている。どうやら食事を運んできたようだ。
「夕食をお待ちしましたよ」
「夕食!?そんなもの、どうでもよい!ここは一体どこなんだ!?」
「どこと申しましても、王宮の地下牢でございます」
「王宮の地下牢!?私はこの国の王太子マローンだぞ!そんな私がなぜ、こんなところに入れられているのだ!?」
「これはこれは、王太子マローン殿下でいらっしゃいましたか。大変失礼いたしました。この老爺の無知をどうぞお許しください。しかし殿下が地下牢にいらっしゃる理由を私に聞かれましても…」
当惑したような表情の男を、王太子マローンは蔑んだように見て鼻を鳴らした。
「ふんっ!ここが地下牢なら、お前はさしずめ牢番なのだろう。私がここにいる理由など下賤な牢番のお前ごときに分かるはずもないか」
マローンの態度をまったく気にせず、男は手に持っていたトレーを、近くの見張り番用の椅子の上に置いた。
「よっこらせ、ふぅ。歳をとると動きがままなりませんな。さてさてマローン殿下は、なにも覚えていらっしゃらないのですか?」
「はあ?馬鹿か、お前は。私がなにかを忘れることなどありえない!私は、私は…」
マローンはあざけるような笑顔を見せていたが、上手く答えられず言い淀んでしまった。
なぜだろう?頭の奥が痛んで上手く考えられない。
「わ、私は、私は…」
そんなマローンを見て牢番は、労わるような優しい口調で尋ねた。
「マローン殿下、落ち着いて下さい。そうですな、うまく思い出せないのでしたら、この爺が手助けをいたしましょう。こんな質問はどうです?マローン殿下、貴方様は今日、何をしたんです?」
牢番の問いかけに、マローンの目が虚になる。自分は今日、何をしていたのだろうか?
記憶に霞がかかったように思い出せない。地下牢に入れられるまでの経緯を、何も覚えていないのだ。
「もう一度、お聞きしましょうかね。貴方様は、今日、何をしたんです?」
「くっ!頭が痛い!」
顔をしかめるマローンに近寄り、牢番は心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫ですか、殿下。ゆっくりでいいので思い出せることを話してみてください。私ではお役に立てないでしょうが、お聞きしましょう」
マローンはギュっと鉄格子を握り、額に跡が残るほど顔を鉄格子に押し当てたまま、何度もうなずいた。
「わ、わかった。やってみよう。…私は、私は今日…そうだ!私は今日、王立高等学院の卒業ダンスパーティに出席していたんだ」
「ほら、ちゃんと覚えていらっしゃるじやないですか。マローン殿下は、今年で高等学院をご卒業でしたな。ダンスパーティで、楽しい時間をお過ごしになったのでしょう」
「あ、ああ。…いや、違う。それがパーティに婚約者のロロノアがなかなか現れなかったのだ」
「ほお、ロロノア様といえば筆頭侯爵家の御令嬢でしたな。お父上は侯爵家を継ぐまでは王立騎士団の団長を務められ《王の剣》とも呼ばれる剣豪として高名な方です」
「ふん、そのロロノアだ。私には、いや私たちにはロロノアを驚かせる…そう、そうだ、計画があったんだ!思い出してきたぞ!」
「その調子です。お続け下さい」
「今日のパーティに合わせて、念入りに立てた計画があったのだ。だがロロノアが来ないので、皆やきもきしていた」
「なるほど、殿下はご友人たちとダンスパーティに合わせて、なにか趣向を凝らしておられたわけですね。若い頃の友人というものは得難い宝物ですなあ」
ぼうっとした顔で思い出すままに答えていたマローンは、ここにきて俄然生気を取り戻し、熱く語り出した。
「そう、そうなんだ!まさに得難い宝ものを私は手に入れたのだ!」
マローンの情熱を込めた言い方に牢番は思わずといった形で笑ってしまった。
「ほほほっ、ロロノア様と仲がよろしいのですなぁ。良いことです」
「ちがーう!!違う違う違う!ロロノアではない!」
マローンは舞台俳優のような大袈裟な身振りで、一人の少女の名前を繰り返し口にし始めた。
「ああ、愛しのミーア!ミーア!ミーア!」
マローンに気押されて、静かに話を聞いていた牢番は目を見開き後ずさる。
この王太子、地下牢に入れられたショックでちょっと頭がおかしくなったのではないだろうか。
「輝くピンクゴールドの髪、天使のように可愛らしい顔。ミーアのあの大きな瞳に見つめられると、魔法にかけられたようにうっとりしてしまう」
そんなマローンの話を聞き、思わず牢番はつぶやいてしまう。
「それは本当に魔法をかけられているのでは?」
「牢番、なにか言ったか?」
「いえいえ、なにも。そうですか、ミーア様ですか。可愛らしいお名前ではありませんか。しかしマローン殿下も隅に置けませんな」
「ククク。そう、お前の考えている通りだよ。私は学院で出会ってしまったのだ、運命の女性にね」
「運命の女性ですか。それはまた情熱的ですな。若い方は羨ましい」
「ここだけの話だが、私はミーアと将来を誓い合っている。もうミーアなしで私は生きていけない」
「殿下のお話からミーア様が素晴らしい女性であられることがよく分かりました。しかし、これはちと困りましたな。殿下には既に婚約者がいらっしゃる…」
マローンはガシッと鉄格子をつかみ、顔もさらに強く押し当てた。
「そこだ!そこなんだよ、問題は!!」
「筆頭侯爵家令嬢ロロノア様ですな」
ロロノアの名前が出た途端、マローンはふらふらと後ろに下がりながら、顔をしかめて両手で頭を掻きむしった。
「ロロノア!あいつは私とミーアの幸せを邪魔する悪女だ!」
「ふむ、悪女ですか…。しかしロロノア様は大変優秀な方だと聞いておりますが」
「ふんっ!優秀過ぎてな、この王太子である私がまったく目立たないのだ!」
「ほお、それほどですか」
「ああ。その上、学院どころか街中の人気でさえ、私はロロノアに負けている!」
「ふむ、それはやはり昨年の魔物が森から溢れて、街を襲った件があるからでしょうなあ」
昨年の夏、地方の街に突如として魔物の大群が押し寄せた。小さな辺境の街だったため、街の防備は緩く、十分な兵力もなかった。
たまたま夏休みでロロノアは、その街の近くの避暑地を訪れていた。そして魔物が街を襲っている話を聞くと、すぐさま護衛の騎士たちと共に駆けつけ、街の防衛に尽力したのだ。
その辺りを治めている貴族たちも、小さな街など普段なら見殺しにするのだが、筆頭侯爵家の令嬢が率先して戦っている以上、駆けつけないわけにもいかない。
結果として街は守られ、ロロノアの勇気ある行動は王国中に知れ渡った。
歌や芝居、小説、絵画の題材にまでなり、ロロノアは王国を守る《姫騎士様》と呼ばれるようになったのだ。
「なにが《姫騎士》だ!くだらん!私より目立つとは、あの女、何を考えているのだ!許せん!」
「心中お察し申し上げます」
「ロロノアは見た目も地味だし、私好みでもない。あやつのブラウンの髪などありふれている」
「確かにミーア様のピンクゴールドのお髪に比べれば、いささか地味ではございますがブラウンの髪も良いものですぞ」
マローンは牢番の物言いにフン!と鼻を鳴らし小馬鹿にした。
「お前のような牢番なら地味な女でもいいだろうが、私は王太子、次期国王だぞ。王妃となる女性は美しく華やかでなくてはならない。それに強さなどいらぬ!」
牢番は口の中でモゴモゴと「強くない女などおりませんよ」とつぶやいたが、マローンの耳には届かなかった。




