[後編]
僕は目を覚ます。珍しく雨が降る日だった。
布団から出よう、そう思ったがあまりに寒いので布団から出られないでいた。
僕の隣には手足は細く、身長もさほどない、まるで人形みたいな華奢な体つきに、黒いつやのある長い髪、まんまるの真っ黒な目、未だに一本ない歯を見せ付ける様に笑う、その顔が僕は好きだ。
隣にはいい加減に起きないと学校に遅刻してしまうちーちゃんが気持ち良さそうに寝ている。
そして誰かがこの部屋に入ってきた。
「起きなさい!」
誰かが布団の上から揺す。僕はたまらず布団から出る。
「テンも起こすの手伝って。」
困りきった表情で助けを求められても、ムリだよ。
「テン、頼んだわよ。お父さん起こして来るから。」
と言って、お母さんは出ていってしまった。毎朝ご苦労様です。
僕はちーちゃんの顔の近くまでより鼻先をチョロッとなめた。
………。
反応なし。次にちーちゃんの上に乗っかってぴょんぴょんと跳ねる。
「重いよテン。」
僕は寝返りをうったちーちゃんの腕に当たりベットから落とされる。今のは寝言だ。絶対に。
あんまりやりたく無いんだけど、足の裏をなめる。最初は反応無いが、その内に爆笑し始めもがくように暴れる。僕は必死にちーちゃんの足に掴まりなめ続ける。
もう片方の足に蹴られる。僕は壁に当たり動く気力を失った。
その時にお母さんが戻ってきて布団をひっぺがす。
「いい加減に起きなさい。」
鬼のような顔で怒鳴る。しかし反応がない。
「ちー!遅刻するわよ!」
お母さんの顔はみるみるうちにどんどん青白くなっていく。
また揺さぶり、それでも起きる様子はない。ちーちゃんのまぶたを無理やり開けて目を見る。僕はその時にちーちゃんの近くに寄った。
黒い目は広がりきり、どこを見ているかわからない。そしてまったく動こうとせず、息も妙に穏やかだった。
なにより、顔が冷たい。
「お父さん!ちーが!ちーが!」
取り乱したようにドアを開けて叫ぶ。するとすぐさまお父さんが駆け寄り、ちーちゃんの手首を三本の指で押さえる。
「すぐに病院に行こう!」
ちーちゃんは寝間着のままお父さんに抱っこされて駆け足で外の車に乗せた。
僕はお母さんの腕の中で抑えられない恐怖と不安を唸っていた。
「大丈夫よ。ちーは強いんだから。」
僕の頭を撫でながら言うお母さん。しかし、その声には余裕が見られなかった。まるで自分に言い聞かせているように。一瞬だけど、娘の死を覚悟したのかもしれない感じであった。
ベットに寝ているちーちゃん。白いシーツに身を包んでいて、真っ白い肌はあまり目立たず温かくなったからか少しだけ赤らんでいた。僕たちはただそれを見つめていた。
「まだ軽い…か、」
お母さんが呟いた言葉を拾おうと耳を立てる。
「気にするな。治ってる証拠じゃないか。」
お母さんの肩をそっと寄せ温かい言葉を言う。
「これからは安静。家で見るよな。」
暗黙の了解なのか、よく意味がわからない。
「家で安静は難しいじゃないかしら。だったら1年くらい病院にいたほうが、」
お母さんはそこまで言って片手で目の辺りを拭った。
「だけど、目を覚ましたら、またあの頃に戻る事になるんだぞ。」
あくまでも優しい口調。しかしどこかトゲがある言い方だ。
「あの、人形みたいに虚ろな目で、自分から動こうともしないあのちーを、お前は我慢出来るのか。」
感情的に、お父さんは膝の上にある手を握りしめる。
「確かに無理よ。だから今年は家に連れて帰ったんじゃない。」
妙な間があき、
「でも、たまにこうなるのを見て、死ぬんじゃないかって思うのが一番辛いのよ。」
静かな訴えだった。
「ゆっくり、考えよう。ちーにとって、一番良い方を、考えよう。」
僕は外を眺める。窓越しにでも大粒の雨がザァザァと降っているのがわかる。空は一面の灰色。僕の毛の色みたいに灰色。けっして、綺麗な色じゃない。憂うつな色だ。
あの時みたいに低い低い空。木は泣きわめき、花は落ち込み、街灯も暗く光っていた。
ちーちゃんと出会ったのも雨の日。今日も雨。きっとなにかある日は雨なんだ。雨が僕をあざ笑うかの様に僕の前を通って消えていく。
睨み付けてやる。僕からちーちゃんをとるな!
睨み付けても、すぐに消える。弾けて、小さくなって、消える。
箱の中にいた僕みたいに、小さくて、誰にも知られなかった僕みたいに、ひとりぼっちで消えていく。
でも、そんな僕を、ひとりぼっちだった、ちーちゃんが、見つけてくれた。
それからお母さんに、お父さんに、ミィちゃんに、出会った。
1人じゃなくなった。
だから雨は僕を助けたちーちゃんを恨むのか?だから僕の一番大切な人を奪うのか?
雨、寂しいなら僕が友達になるよ。ちーちゃんだって友達になってくれるよ。
だからこんなことを、ちーちゃんを取っていかないで。
「ちー!」
その声に僕はちーちゃんに目を移した。
「おはよう、お母さん。あれ?ここどこ?」
ちーちゃんは眠い目を擦りながら病院を把握する。
「ちー、ちー。」
そんなちーちゃんにお母さんは抱きつき、顔を隠すようにちーちゃんになすりつける。
「どうしたの!?」
そんなお母さんを見てちーちゃんは戸惑う。
「私、ここにいるよ。」
「うん。ここにいるね。ちーはいるよね。」
お母さんの泣き叫ぶ声がこの個室に響き渡った。
お父さんは何も言わず、この部屋から出ていった。
ちーちゃんは家に帰れる事になった。嬉しい。そう思うのは僕とちーちゃんだけだった。
3時だった。今日はこのまま終わるそんな時間に、
ピンポン。
なったのだ。お母さんは飛ぶように玄関に向かい、ちーちゃんはおせんべいをバリボリと食べていた。
「ちー!ミィちゃんとケンゴ君が来てるわよ!」
ちーちゃんは首を傾げた。ケンゴ君、名前に覚えはあるが誰だかわからない。
「ちー!早く来なさい!」
「は、はぁい!」
食べかけのおせんべいを机の上に置き、走って玄関に行く。僕もゆっくりと近づいていく。
「はい、今日の分のノートとプリントと宿題。」
ミィちゃんが差し出した紙袋をちーちゃんが受けとる。
「大丈夫?風邪なんでしょ?」
ちーちゃんは返答に困った。
「もう大丈夫みたいなの。」
そこにお母さんが口を挟んだ。ミィちゃんは嬉しそうに両頬を吊り上げ安堵のため息をついた。。
「明日から学校に行けるから安心してね。」
「はい!」
ずっと沈黙を保ってミィちゃんの隣で小さく暗い顔のケンゴ君が気になっていた。何しに来たの?
「ほら、ケンゴ君。言いたいこと言いなさいよ。」
ミィちゃんはこずく。ケンゴ君は浮かない顔のままちーちゃんを見て、また俯いた。
もぅ、とため息をついた。お母さんはなぜか台所に戻っていった。
思い出した!昨日、サッカーボールをちーちゃんにぶつけた人だった。
「なんか、ごめん。」
ケンゴ君は呟いた。ほとんど聞こえない声で。
「なんかってなによ!謝るんだったらちゃんと謝りなさいよ!男でしょ!」
ケンゴ君の何十倍大きな声で叫ぶミィちゃん。なんか怖い。
「昨日、」
まだ小さな声だった。
「聞こえない!」
それに勝るミィちゃんの怒鳴り声。
「昨日ボール当てちゃってごめん!」
大きな声だ。完全に近所迷惑。
「別にいいよ。気にしてないから。」
ちーちゃんは優しい顔だった。今日の笑顔は歯が見えなかった。
それを見てか、息を呑み込み、ちーちゃんをまっすぐ見て、そして顔を赤らめた。
「やれば出来るじゃないの。」
ケンゴ君の隣で腕組をし、少しだけアゴを高く上げて威張ったように言うミィちゃん。なんか、いつもとキャラが違う。
「うるせぇ、もう帰るぞ。」
ケンゴ君はふてくしたように言い放ち、玄関から足早に去っていった。
「ちょっ!待ってよ!また明日ね。」
去るケンゴ君を見てあわて、追いかけて玄関から出ようとして、最後にこっちを向いて付け足した言葉だけが残った。
「またね。」
さすがのちーちゃんでも苦笑いで見送った。
それが今日の最後であった。後はいつもと一緒。お風呂入って、ごはん食べて、寝るだけなのだ。
このあとの1週間はちーちゃんに病状の変化はなく、いつも通りに寝坊しながら学校に通っていた。
そして、12月1日の土曜日だった。
今日はミィちゃんが遊べないらしいのでちーちゃんは暇をもて余していた。
「テン、遊ぼ、」
寝っ転がりながら眠そうな目で僕に聞いてきた。いいよ。
ピンポン。
チャイムが鳴り響く。今日はたまたまお母さんが学校に行っているため、家にはちーちゃんと僕しかいない。だからチャイムが鳴っても出ないのがお母さんとの約束だった。
「はーい!」
ちーちゃん!出ちゃダメだよ!お母さんとの約束は?
玄関に行くちーちゃんを追いかける。
だけど、ドアを開けてしまった。
ドアの先にはケンゴ君がいた。1人で。
「どうしたの?ケンゴ君。」
なんでか俯いているケンゴ君。不思議そうに見つめるちーちゃん。
「上がっていいかな?」
俯いた状態で言うケンゴ君。
「いいけど、お母さんいないから、なにも出せないよ。」
「別にいい。」
ちーちゃんはケンゴ君を自分の部屋に連れていく。
おかしな感じだった。
俯いたままなにも喋らないケンゴ君。どうしていいかわからないで困ってるちーちゃん。床に座って向かい合っている状態。なんか変だ。
「寒いよね。」
ちーちゃんが笑いながら喋りかけた。
「お茶でも入れてくるね。」
ちーちゃんが立ち上がった瞬間。
「いいよ、」
ちーちゃんの左手首を取り俯いていた顔をちーちゃんに向けた。
「一言だけ言いに来ただけだから。」
ちーちゃんはゆっくりと座る。また俯くケンゴ君。
「あのさ、ボール当てたのわざとなんだ。」
ちーちゃんは驚いて息を呑んだ。
「本当は話す機会が作りたかっただけなんだ。」
ケンゴ君は顔を上げ、目はちーちゃんを見る。その目は力強いものだった。
「学校で一目見たときから好きだったんだ!」
ケンゴ君が言い放った言葉はこだまのように何回も耳に響いた。ちーちゃんは一度目をつむり、そしてケンゴ君を見返す。
「私で良いの?」
「うん。」
力強く頭を頷かせる。
「わかった。良いよ。」
歯を見せない笑顔。でも本当に笑ってない気がした。
ケンゴ君はみるみるうちに顔が明るくなっていき、やがて歓声に近い声が響いた。
「ありがとう!明日さ、サッカーの試合があの公園であるんだ。見に来てくんない?」
「いいよ。何時なの?」
「1時。1時だよ。」
「うん。」
ケンゴ君は立ち上がり、
「これから練習あるから明日ね。」
そして、公園へ走っていった。
「ケンゴ君が彼氏か。」
ちーちゃんの真っ白な頬っぺたは照れたように赤らんだ。しかし、すぐに顔が暗くなった。
「テン。私は悪い子だよね。」
そんなことないよ!ちーちゃんは良い子だよ!
「また、泣かせる人作っちゃった。」
どこかを見つめるちーちゃん。悲しそうな顔だった。
翌日。たまたまミィちゃんと遊ぶ約束をしており、たまたま1時で、たまたまあの公園。
ミィちゃんもサッカーが目当てだったのだ。なんでかわからないけど。ちーちゃんとミィちゃんはケンゴ君を応援していた。
その試合はケンゴ君のチームが勝ったみたいだ。2人の歓声ったら雪崩のようによく響いた。
ケンゴ君は2人を見てガッツポーズをした。ちーちゃんは大きく手を振って何かを叫んでいた。ミィちゃんは俯いて暗い顔をしたかと思うと頬っぺたが赤らんだ。
なんでだろ?
その日は帰った。ごはんの時、ちーちゃんは嬉しそうにサッカーの事を話していた。一本ない歯を見せながら。
あれから4日が経った。学校から帰ってきたちーちゃん。今日は雨がひどい。ちーちゃんも傘をさしてたのかもしれないけど、頭からびしょびしょだった。
「これで頭拭きなさい。」
お母さんがタオルを渡した。
「ありがとう、でも行かなきゃ。」
と言ってちーちゃんはランドセルを玄関に投げ捨て、ピンクの傘をもって出ていく。
雨…嫌な気がした。
僕は追いかけた。すぐに追い付いて体当たりをする。ちーちゃんは僕に気が付き、
「着いてきちゃったの?しょうがないな。」
ちーちゃんは僕を抱き上げ公園へと走っていく。
やめようよ。帰ろうよ。
ちーちゃんには目の前しか見えないみたいだった。
公園に着いた。そこには青い傘をさしていて、青い長靴を履いている子がいた。
ちーちゃんは近づいていく。
「ケンゴ君!」
その子は振り返った。
ちーちゃんの足は止まる。息を呑む音がした。
「ケンゴ君じゃなくてごめんね。ちーちゃん。」
その子はミィちゃんだった。
「ケンゴ君は帰ったわよ。用事があるとか。」
ミィちゃんはこっちに近付いてきた。
「そうだよね。」
ちーちゃんは愛想笑いをしてその場をやり過ごそうと思ったようだが、ミィちゃんの目は鋭くちーちゃんを見つめ、
「なに?ケンゴ君になにかようなの?」
一歩近付いてきた。
「いや、ちょっとお礼を、」
「なんのお礼?」
「ばんそうこうもらったから。」
「なんで?」
「ひざ擦りむいちゃったから。」
「なんで?」
「ケンゴ君と遊んでて、」
そこでミィちゃんの声が止まった。そしてすすり泣くような声が聞こえて、
「ケンゴ君と付き合ってんでしょ。知ってるよ。」
「ミィちゃん、違うよ!」
「違わない!」
怒鳴り声のあと、雨が地面に当たる音しか聞こえなくなった。
「ちゃんと見たんだよ。ちーちゃんとケンゴ君が手、つないで歩いてるのを。」
ちーちゃんはなにも言わなかった。俯くだけで、ミィちゃんの言うことが正しいと言ったような顔を見せた。
「好きだったのに、」
ちーちゃんはミィちゃんの顔を見た。ミィちゃんの顔は怒りよりも悲しみの方が強そうだった。
「私が先に、ケンゴ君が好きだったのに、」
涙と雨が混ざってわからなくなる。
「たまに学校に来たやつに、私は負けたの?」
ちーちゃんはなにも言わない。
「ねぇ、ちーちゃん!そんなに私の事が嫌い?」
「そ、そんな、そんな訳ないじゃん!ミィちゃん!違うよ!」
ミィちゃんは傘を離した。
「私がケンゴ君好きなの知っててとったんだ。横取り猫。裏切り者!」
ミィちゃんは走り出す。それを見てちーちゃんも傘を捨てミィちゃんを追いかける。
「待ってよ!違うんだってば!」
ミィちゃんは止まらない。赤信号も無視して、車に引かれそうになっても、自転車にぶつかっても、走り続けた。
「待ってってば!ミィちゃん!…うわ!」
ちーちゃんは転けた。手をつかず頭から。
ミィちゃんはそれでも止まらない。ちーちゃんは泣き目と額から出ている血を拭ってミィちゃんを追いかける。
そしてミィちゃんはお家に入っていった。ちーちゃんはミィちゃんのお家の前まで行き、力尽きたように膝から崩れ地面に頭をつけ、
「ごめんなさい。ごめんなさい!」
ずっと言い続けいた。
風邪引いちゃうよ。
それでも言い続けた。
ミィちゃんは出て来なかった。ちーちゃんはトボトボとお家に帰る。
傘もなく、身体中ビショビショ、僕を抱いてる腕から温かみを感じなくむしろ凍ってるみたいに冷たかった。
「ただいま、」
玄関に入り、落ち込んだ口調で言う。
「お帰り。ごはんよ。早くしなさい。」
お母さんの明るい声が聞こえた。
その瞬間だった。ドン、と大きな音が聞こえたと思ったら、僕は床に立ってて、真後ろには息もなく倒れていたちーちゃん。
「ちー!」
お母さんが飛んできた。
「お父さん救急車!」
お母さんはちーちゃんを仰向けにし、肩を叩いて、ちー、と大きく叫んでいる。
しかし、返答はない。妙な胸騒ぎがした。僕にはどうにも出来ない状態なのかもしれない。
ウーーーーーーー
個室で酸素マスクを着けて寝ているちーちゃん。僕たちはただただ見つめてるだけだった。
個室に入ってきた白衣を着た眼鏡の先生。
「先生!ちーは平気なんですか!?」
お母さんは大きな声で聞く。
「落ち着いて下さい。今話します。」
と言って助手の人と一緒にイスに座る。
「まず、今は安静状態なので心配ありません。」
お母さんは胸を撫で下ろした。
「ただ、無呼吸状態が長く続いたので障害が残るかもしれません。」
「先生、」
お父さんがゆっくりと口を開いた。
「やっぱり脳なんですか?」
先生は少し悩んだ後に頷く。
「もう、大部進んでいます。」
沈黙がおきた。
「多分、頻繁に脳信号が途絶えるでしょう。そうしたら、次はあぶないです。」
お母さんの涙を堪える音がした。
「今年一杯が山です。」
やるせない表情の2人。僕はここで初めてちーちゃんの病気を知った。
脳がなぜかわからないけど身体中に命令を送らなくなる病気。さらに反射神経が全く無いので、転けたら手が出せない、物が飛んできて目をつぶれない、よけれない。
そんな病気らしい。
ちーちゃんは目を覚ました。
僕は精一杯ちーちゃんに体を近付けさせる。
「ちー!」
その行動でお母さんが気付いた。
「お母さん、お父さん、テン、先生、どうしたの?」
「よかった。」
お母さんは泣き、お父さんは感嘆の声を漏らす。
「ねぇ、お母さん。」
「なに?」
まだ虚ろな目はお母さんを向き、
「足が動かない。」
空気が完全に凍りついた。
クリスマス1週間前、その日は快晴だが寒い。
「お母さん、寒いね。」
「うん。」
ちーちゃんは酸素マスクが外す事が出来て、今は車イスに乗ってお母さんに押してもらっている。
僕はちーちゃんの膝の上に乗りちーちゃんに撫でられてる。久しぶりの感覚。
「お母さん?」
返事がない。
「どうしたの?」
泣いていた。すすり泣く声。ちーちゃんの顔は死んだ。目から光が消えた。笑っていた口は下がるところまで下がった。
「私がこんな病気だから。」
ちーちゃんが呟く。
「お母さん。そうだよね。」
「そんなこと言わないでよ。」
車イスは止まる。ちーちゃんの後ろにお母さんの姿が無くなった。
「先に、部屋に戻ってるね。」
ちーちゃんは慣れた手つきで車イスを動かし、四階にある自分の部屋についた。
僕を膝から下ろして、ちーちゃんはベットに移り寝っ転がる。
「テン。歩きたいよ。ミィちゃんに謝りたいよ。辛いよ。」
ちーちゃんは涙を落とす。
きっと大丈夫だよ。ちーちゃんは強いよ。
僕は涙をなめて拭った。
その時、部屋のドアが開き、ケンゴ君が入ってきた。
「大丈夫か?」
ちーちゃんは涙を腕でゴシゴシと拭き無理矢理笑って、
「大丈夫。」
ケンゴ君は近づきイスに座る。
「ちーちゃんのお母さんから聞いたんだ。入院してるって。」
「へぇ。」
ちーちゃんは目を真ん丸にする。
「退院出来るよな。」
「当たり前じゃん。」
笑ってついた嘘。ちーちゃんは布団を強く掴んだ。
「車イスあるけど、足うごかないのか?」
ちーちゃんは小さく唸った。
「安静にしてろってうるさいの。だから車イスで外に遊びに行くんだ。」
ふーん。ケンゴ君は納得いかないように言った。
「あのさ、もう1人来てんだけど、」
と言って扉に近づき、引っ張って来た人は、ミィちゃんだった。
「ケンカしたんだろ。」
ちーちゃんは溜まっていた涙を流した。
「ミィちゃんごめんね。」
「ちーちゃんごめんね。」
ミィちゃんはちーちゃんに近づき、ちーちゃんを抱いた。
「こんなことになるなんて、」
「ミィちゃんのせいじゃないよ。」
ケンゴ君は部屋から出ていった。
「またね。」
「うん。」
面会時間が終わった。僕たちは特別に一日中居て良いみたいだけど。
「疲れちゃった。寝るね。」
僕は窓を眺めた。もう暗い。空は相変わらず快晴だった。
クリスマスまであと4日。
その日はケンゴ君とミィちゃんが来て、
「これ、クラスのみんなで作ったんだ。早く退院してね。」
色とりどり、形いろいろな千羽鶴を持ってきた。
「ありがとう。」
クリスマスまであと3日。
「ねぇ、お母さん。泣かないでよ。」
毎日来ては泣いてばかりいるお母さん。
「お母さん!」
ちーちゃんは強い口調で言った。
「私なんか、生まれて来なきゃ良かったんだ。」
お母さんは泣いてばかり。ちーちゃんは車イスに移って部屋を出ていった。
「お母さんのばか。」
そこに先生が来た。
「ちーちゃん、どうしたんだい?」
ちーちゃんは先生を見るなり泣き叫んだ。
「私が病気だから、歩けないから、死んじゃうから、お母さんが泣き止まないの。お母さんが…笑ってくれないの。」
ちーちゃんを撫でる先生。
「違うよ。病気だからじゃないよ。ちーちゃんが生きて今会えるから嬉しくて泣いてるんだよ。テン、そうだよな。」
「にゃー!」
元気よく鳴いた。
「テンだってそうだって言ってるじゃないか。そうだ、気分転換に散歩に行っておいで。」
ちーちゃんは車イスを動かして外に向かった。先生はちーちゃんの部屋に。
クリスマスまであと2日。
お母さんは笑ってリンゴを剥いていた。
「はい、リンゴ。」
ちーちゃんはウサギの形したリンゴを受けとり、お尻の方から食べる。
「お母さん、元気だね。」
「お母さん、間違ってた。泣いてても、ちーは嬉しくないもんね。」
ちーちゃんはもう1つリンゴを受けとりそれもたいらげる。
「そうだ、ちーちゃん。なにが欲しい?サンタさんに頼むけど。」
ちーちゃんは速答だった。
「元気な体。」
お母さんはたじろいだ。しかし、すぐに、
「わかった。頼んどくわね。」
僕は外を見上げた。曇っていた。嫌な感じだ。
クリスマスイヴ。
雪が降っていた。
「ホワイトクリスマスね。」
お母さんが呟いた。
「そうだな。」
お父さんも呟いた。
「ホワイトクリスマスってなに?」
小さな疑問だった。
「雪が降るクリスマスの事よ。」
「へぇ。」
ちーちゃんは外を見て、
「雪に触りたい。」
その言葉でみんなで外に行く。
ものすごく寒かった。ちーちゃんは楽しそうだった。
雪は僕の鼻に乗って、すぐに水になった。お前も、雨みたいだな。でも、みんなに見てもらえるな。雨とは違うな。
ちーちゃんに雪玉が当たる。
ミィちゃんだった。そこには小さいながら雪だるまが出来ていた。
雪だるまの後ろから手招きするケンゴ君。
お父さんは雪だるまの方に車イスを走らせる。
「これ、雪だるまの目なんだ。最後に付けてくれよ。」
ケンゴ君から手渡された黒い石。ちーちゃんはすでに付いている鼻から目の位置を考えて、付けた。
少し離れて見てみる。
「変なの。」
みんな、笑った。久しぶりにちーちゃんの一本ない歯を見た。最期の笑顔。
その日の夜だった。脳波が無くなった。
ナースコール。
先生が来て、すぐに運ばれて行った。
しかし、すぐに先生が戻ってきて、頭を横に振った。
お母さんは泣き崩れ、お父さんは叫ぶ。
12月24日23:14死亡確認。
ちーちゃんは笑顔だった。目をつむったまま動かない。
華奢な体、長い黒髪、本当に人形になってしまった。
お葬式。ミィちゃんもケンゴ君も来ていた。
その人形を見て、泣いていた。
大きな釜で焼かれて、骨だけになった人形。それ全部ツボに入れる。
そして、お墓の中に入った。
どんな形になっても、動かなくても、僕は友達だよ。
僕だけじゃない、ミィちゃんも、ケンゴ君も。
ちーちゃんは雨なんかじゃない。雪なんだ。
だから、僕は君を見たよ。
僕を見つけてくれたように、君を見つけたよ。
ありがとう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。