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もしもの日  作者: 琥珀
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第三話


 深夜の路地裏。自販機の前で、つつみ雄志ゆうしは苛ついていた。

 煙草が買えないからである。緊急事態宣言の発令に伴って政府は最低限の生活必需品を全国民に配布する計画を進めているのだが、その費用に充てるため煙草や酒など嗜好品に一時的な追徴課税(※)が行われたせいで、そういったものの値段は今や目の玉が飛び出そうな程に上がっているのだ。

 今や、一ヶ月前には130円だった銘柄が1500円である。

 平常時なら、もう世間からヒステリックな程に大バッシングが起こっても可怪おかしくない状況なのだが、何故か不平不満の声は少ないのだ。

 国家の非常時には煙草ぐらい我慢しろということである。

 で―とにかく、堤はイライラしているのであった。

 そしてそのイライラは、帰路にて更に増大することとなった。

 まず、いつもの通りに「自衛隊車両優先」という電光掲示が掲げられ、10式戦車やら何やら、大仰な軍事車輌が列を成して行進していた。普段は目にすることのないその光景に堤は思わず見蕩みとれたが、車輌を円滑に進行させるために信号機が停止され、横断禁止になっていたので結局そこを通れず、大きく迂回して行かなければならなかった。続いては駅前を警備していた警官から、「今は情勢が情勢ですので、夜間外出は控えてください」と注意を受けた。挙句の果てにコンビニでガムでも買おうと思ったら、「緊急事態宣言に伴う時短営業要請のため本日は閉店しました」。畜生が、だったら24時間営業の看板外せよ。そう毒づいてまた夜道を歩き出すと、路端ろばたのブロック塀に『治安維持の為、職務上必要と判断した場合に警察官がご家庭の敷地内に立ち入る場合があります』というビラが貼られていた。

 なんなんだ、これは。

 こんなんじゃ、戦時中と変わらない。まさに治安維持法とか国家総動員法とか、そういう法律が敷かれていた時の世の中である。

 そう言えば最近は一般人の徴兵ちょうへいも始まったと聞く。


 【ここで説明しておくと、この世界の日本はこれまで、極めて限定的にではあるが徴兵制を導入していた。対象は防衛学校の入学者とその家族である(法的根拠は憲法第9条第2項の『上項の目的を達するため、日本国は最低限度の陸海空軍に準ずる実効実力を持つものとする』である)。徴兵制反対の声も戦後からずっと存在していたものの、時代が下り、戦争を知らない若い世代が増えると、徴兵制の是非についての無関心が高まり、その結果、徴兵制は今まで廃止されずに維持されてきた。】


 常盤ときわ総理は徴兵制度を拡大し、全国民を対象とする大規模徴兵を実施するつもりらしい。

 できれば止めてほしい。先の大戦から70年、みんな戦争のことなんか知らない。忘れている。あるいは忘れようとしている。長い年月をかけて、やっと手放せる苦しい記憶というものもあるのだ。

原爆がまさにそれだろう。

 堤には今年77歳になる母親がいる。彼女が生まれたのは昭和16年、ちょうど太平洋戦争が始まった年だ。戦争が始まる前までは家族で兵庫県のくれ市に住んでいたらしいが、彼女が生まれて2年後に彼女の父親が戦争に動員されたのをきっかけに、一家は広島に引っ越した。そして、終戦の年となった昭和20年の8月6日、広島に原爆が落ちた。

 堤の母親はその日、彼女の父親と一緒に岡山の親戚の家へ飯米を貰いに行っていて奇跡的に被爆を免れたらしいが、広島にいた残りの家族は全員亡くなった。当時わずか4歳、彼女のその後の人生がどんなに寂しく辛いものだったか、それは堤には想像できない。

 ただ、そんなことはもう二度と繰り返してもらいたくない。これは本当の気持ちだし、みんなもそうではないかと思う。

 と―そんなことを考えながら、堤はようやく家に帰り着いたのであった。

 堤の家は、もとより対して立派なものではない。一戸建てではあるが、新築ではなく建売をそのまま購入してリフォーム等もせずに住んでいるので、居住環境もさほど快適とは言えない。まあこれだって、世界には雨風凌げる場所もなく日々を過ごさなければならない人々がいるのだと思えば、恵まれていると言えるだろう。

 玄関の郵便受けに何か分厚い封筒らしきものが入っている。広告か何かか?こんな時でもそんなやつだけは届くのかよ、とイライラの残滓ざんしを吐き出しながら、堤はそれを開けてみた。

 そして十秒後には、目の前が真っ暗になった気がした。

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