雅秋の献身
ミアは冬雅の運転する車の後部座席に座っている。
毛布にくるまれ、雅秋の肩にもたれ掛かったミアは、目を瞑り、ぐったりしていた。そのくちびるは青ざめている。
「ミア、俺ん家に来い。こんなんじゃ俺、心配過ぎるだろ?」
「そうだよ、ミアさん。そうした方がいい」
運転席の冬雅の気遣わしげな視線は、ルームミラーに映るミアを捉えている。
******
落雷の影響で電車はストップした。
雅秋はSNS情報でそれを知ると、学校にいるとリプを寄越したミアに何度もメッセージを送り、通話を試みたが全く反応が無い。
──どっちにしろミアは帰れなくて困ってるに違いない。
なんで、こんな日にまで学校に‥‥‥
いくらエサ当番だからって。
待て、まさか‥‥‥ミアはあいつと会うために?
チラリと嫌な予感がする。
名波。あの錦鯉研究部の部長。ミアは未だに想いを寄せて?
一時の激しい雷雨は通り過ぎたが、まだ雨は降り続く。
止まった電車はいつ復旧するかわからない。
居ても立ってもいられずに、冬雅に買わせる筈だったホーンテッドハウスのチケット2枚の放棄の代わりに車を出して貰った。
──ミアを疑うわけじゃないけど、あの二人は‥‥‥
助手席から見る忙しないワイパーの動き。見ているだけで焦燥感が余計に積もった。
学校に着くと、いまだ降り続く雨の中、誰かが傘もレインコートも無いままに中庭の池の前で立っているのを発見した。
遠目で確信はないが、そのシルエットはミアに似ている。
それが誰にしろ、見たからには放っては置けない。
雅秋は傘を片手に駆け寄る。
それはやはりミアだった。
「おい、こんなとこにいたらダメだ」
自分の傘を半分差し出た。
「ミア、どうしたんだ!?」
雅秋にゆっくりと顔を向けたミアは、薄ぼんやりしていて反応が鈍い。
「何かあったのかっ?」
雅秋は辺りを見回す。台風とは言え、辺りには予想外に枝葉が散乱していた。繁ったままの大きな枝まで転がっている。
ふと、気づけば池の脇にある大きなスズカケの木が半分に割れて、一部が粉砕され散乱していた。
「うわっ!? まさか、ミアはここで落雷に遭ったのか!」
「‥‥‥落雷!」
ミアは急に反応して、フルフル横に首を振る。
「わ‥‥‥私は‥‥‥中にいて‥‥大丈夫‥‥だったの‥‥でも‥‥‥池の‥‥鯉さんたちが‥‥‥お腹を見せて浮いて‥‥‥」
雅秋が池を覗くと、鯉たちはそれぞれ底でじっと佇み、この嵐を耐えている。
「鯉は何ともなってない。大丈夫だ。まさか、ミアは鯉を心配してずっとここで見てたのか! バカっ! 自分の方を心配しろよッ!!」
「ううん、鯉‥‥‥‥大丈夫じゃ‥‥‥なかった‥‥よ‥‥」
「大丈夫だって! 鯉は水ん中にいるんだから、雨いくら降ったってどうってことないだろ! いいから、帰るぞ! トーガに車出して貰った。電車は止まってる」
雅秋はミアの手首を掴んだ。
「‥‥嫌」
その手は、乱暴に振り払われた。
「なに言ってんだ! ミア? 行くぞッ」
「‥‥‥ダメ‥‥私、ここにいなきゃ」
朦朧と呟くミア。
「いい加減にしろ! ほら、行くぞッ!!」
「きゃっ」
雅秋は傘を投げ捨て、ミアを両腕で抱え上げた。
ミアはぐったりして抵抗はしなかった。
やがて、雅秋の首に腕を巻きつけ、首もとで小さな嗚咽を漏らした。
全身ずぶ濡れの女の子は思いの外重い。
雅秋は途中、重さにふらつきながらも、なんとか車にミアを乗せたのだった。
*****
「ミア、俺ん家に来い。こんなんじゃ俺、心配過ぎるだろ?」
「そうだよ、ミアさん。そうした方がいい」
半分まぶたが下りたままのぼんやりとした目。
青ざめたミアが消えそうな声を出す。
「‥‥‥いえ、家に帰ります。送って頂いてすみません。これ以上ご迷惑をかけられませんから‥‥‥」
「でも、家では一人なんだろ? なら来いよ」
「大丈夫。ほんとうにありがとう‥‥‥甲斐先輩」
こんな時ではあるが、他人行儀に呼ばれるその距離が気になった。名前を呼んで欲しい。
妙な不安を感じてモヤる。
「‥‥‥"甲斐先輩" じゃねーだろ?」
「‥‥‥うん、そうだったね。ごめんなさい‥‥‥」
ミアの半開きの虚ろな目は、また閉じられた。
ミアは結局一回も『雅秋』と言ってはくれなかった。
自宅に着くとミアはバスタブにお湯を入れ、体を温めた。
一人になり我に返ると、寒くてたまらなくなっていた。
──名波先輩。いつかは現れてくれるのですか? 名波先輩は見えなくなっても私を見てくれているのですか? ううん、最悪、魂の存在すら消えてしまっている可能性‥‥‥
ミアの心の中は名波索でいっぱいだ。
──そうだ‥‥‥島田先生なら。
島田先生にお聞きしたい。名波先輩のこと。
島田先生なら普通の人が見えない霊が見えるって言ってた。
具現化出来ない名波先輩が学校にいるのならば島田先生になら見えているのかもしれない。私、せめて名波先輩の魂の無事を確認したい!
でも明日からは三日間はお盆休みで学校も閉鎖‥‥‥
早く時間が過ぎてしまえばいいのに! 待つのがこんなに辛いなんて。
ミアの左耳の後ろには索に貰った守護の御守り。
指で感触を確かめた。
──名波先輩が学校に存在していた証拠なの。
お願い。私に名波先輩のことを忘れさせないでね。皆、名波先輩を忘れていくなんて、時と共に働く忘却の呪詛かしら?
私には通じないよ? そんなもの。人が人を想う威力の方が、時の魔力よりもずっと強いはずだから。
湯船でゆっくりと温まり、ミアはだいぶ落ち着いた。
ミアは、風呂から出て髪を乾かす。
自室に戻りベッドに寝転びながら、索から受け取った古ぼけた扇子を眺める。
ふと、雅秋の顔が浮かんだ。
──ごめんなさい。甲斐先輩。
そしてありがとう。いつも私を助けてくれる人。
名波先輩とはまた違う意味で大切に思える人。
こんなにも私を想ってくれている甲斐先輩には、その分は報いたいと思う。
甲斐先輩が私を想ってくれている限りは。
ミアは落ち着いた今、車を降りる時の約束通り、雅秋にメッセージを送信した。
今日のお礼と、お休みなさいの挨拶を。
深い感謝を込めて。