見えないスクランブル
「久瀬先輩」
「真夏多さん! あ、もう約束の時間か‥‥」
ゼツガはどこか気持ちが飛んでいる。
この場所で先ほど見た、索とのリアルな夢は、まだ残ったままだった。
「あの‥‥名波先輩と会えましたか?」
索を思い出し、ドキンと大きく一回胸が疼いた。
「.....ああ、いや、うん」
もぞもぞとはっきりしない返事に、ミアが小首を傾げている。
「あのー?」
「あっと‥‥聞いたよ。真夏多さんが予想してた通りだった。錦鯉研究部の実験だったらしいね。もう、俺の気は済んだ。ありがとう、真夏多さん」
こめかみを指でかきながら、ミアから目線は反らす。
「‥‥‥そうですか。名波先輩がそう言うならそうなんだと思います。久瀬先輩が納得出来たのなら私はそれでいいです」
「真夏多さんのお陰であの光景については納得出来たんだけど‥‥‥」
「何かまだあるんですか?」
索のことが頭にちらつく。
夢の中で索に迫られて、自分もその気になっていたなんて、誰にも言えやしない。
「‥‥‥ううん、なんでも」
なんだかいやにミアに顔色を窺われているような気がした。
「あの、これを‥‥‥」
そう言えば先ほどからミアは可愛らしい絵柄のついた紙袋を持っていた。
「あの‥‥‥私、今日久瀬先輩の絵のお礼にチョコブラウニー焼いてみたんですけどもらっていただけますか? 甘いものは大丈夫ですか?」
「えっ! 真夏多さんが俺にっ!」
ミアは小さな紙製の手提げバッグを差し出した。
「ありがとう、真夏多さん。俺‥‥‥やっぱり名波より真夏多さんかも‥‥‥」
「はい?」
ゼツガは女の子から手作りのお菓子を貰うなんて生まれて初めてだ。しかもそれが、憧れの美少女からだとは感激だ。
続いていた索のチラチラが瞬間止まった。
「あっ、いや、俺がこの間、君に言ったのは本当の気持ちなんだ。だからって俺みたいなのとつきあって欲しいとかじゃないから。気にしなくていいから」
雅秋の態度にキレたのがきっかけで、ミアに突然の告白をし、困らせてしまったことは後悔していた。
「‥‥‥ありがとうございます。でも‥‥‥みたいなって‥‥‥私、久瀬先輩は素敵な人だと思います」
「‥‥それはどうかな」
ゼツガは、見え透いたお世辞に聞こえて、もぞもぞしてしまう。
「いえ、本当です。もっと早く気持ちを伝えてくれてたら、きっと今、違っていたって思います」
ミアは思い切って思いを伝えた。頬が熱い。
ゼツガと先に付き合っていたらきっと、今までの一連のハプニングなどミアの身に起こる事もなく、穏やかな日々を過ごしていたんだと思う。
ミアはゼツガが本当にいい人だと思っていることを、魅力的な人間であることを思い切って伝えたつもりだったが、乙女心に疎いゼツガにはミアの想いは通じていなかった。
ゼツガはただ、今はミアの身を案じていた。強引な性格の雅秋の被害にあっているのではと。
「ありがとう。あの、聞いてもいいかな? 真夏多さん、何か困ってることない? 甲斐のことで。真夏多さんに言うのも悪いけど、あいつスゴくモテるし、今までだって相当なのは有名だし。それにリーダーシップの反面、強引なとこあるだろ?」
ゼツガが心配げにミアを見る。
「確かにそうかも‥‥‥でも」
ミアはふっと微笑む。
昨日の必死な雅秋を思い出す。
ハムスターによるハプニングでの勘違いだったけれど、雅秋は必死でミアを守ろうとしてくれた。ミアが池に落ちたと勘違いしたあの二人の始まりの時だって。
「多分、久瀬先輩に見せてる甲斐先輩は、私に見せる甲斐先輩とは違うの」
「どういうこと?」
「えっと、誰もが人によって態度ってかわりますよね? その触れ幅が大きいんだと思う。私にはすごく優しい人。これからはそういうとこ、直って貰おうとは思ってます」
ゼツガはミアと雅秋のキスシーンを偶然にも覗き見してしまった時から、ミアは雅秋から弱味を握られ、服従させられているのではないかと危惧していた。
「‥‥‥一人ではどうにもならないことってあるだろ? そう言うときは俺に相談していいから。俺は甲斐の友だちだし、間に入って力になれると思うんだ。あっ、今はケンカしてるけど‥‥‥」
「‥‥‥本当に優しいんですね。久瀬先輩って。私と甲斐先輩が本格的にお付き合いするのは甲斐先輩が久瀬先輩にきちんと謝って仲直りしてからという条件付きなんです」
「えっ、なにそれ? 真夏多さんがそれ、甲斐に言ったのか?」
「だって、甲斐先輩が久瀬先輩と仲違いしたら悲しいから。部活ではいい友だちでライバルに見えていたし」
「そう‥‥‥なんだ?」
──彼女がイニシアティブ握ってるらしい。マジかよ? 甲斐のやつ、尻にひかれつつあるじゃん‥‥‥もしかして、真夏多さん、弱味を握られて脅されていたわけじゃなかったのか?
今まで甲斐は、女の子相手に自分が折れることなんて無かったのに。甲斐の方が付き合うための条件突き付けられてるって‥‥‥(;´∀`)
今までの天下無双男も台無しじゃん‥‥‥
ゼツガの思考が微妙に漏れてたらしい。
ミアの顔には、『ちょっとマズイことを言ったかも‥‥』と書いてある。
気まずそうな顔が可愛い。
「‥‥‥う、ううんっ」
ゼツガは咳払いして、にやけそうになるのを堪えた。
──なんだか勝手に笑みが漏れちまう。あの甲斐がこのざまなんて。付き合う子によってずいぶんかわるんもんだよな。
甲斐にとっては良かったんじゃね? 相手が真夏多さんとってのは、めっちゃシャクには障るけどな。
「そうか。俺、甲斐が何て言って来るのか楽しみに待ってる。じゃ、これ、ありがとう‥‥‥」
ゼツガは完全無欠に失恋が確定したが、それほど辛くもなかった。
もともと、何かを期待していたわけではないし、今の自分の頭にはもう一人、気になる人がいる。
ゼツガが帰ろうとした時、その気になる顔が再び現れた。
「あ、名波先輩」
「なっ、名波!」
ゼツガはうろたえる。夢で見たあの妖艶な顔が重なる。
「どうかした? 久瀬くん。ゴメン、僕は邪魔だったかな」
申し訳無さげにゼツガに謝る索。
ゼツガには、この目の前で自分に向けられる索の目は、意味深に嗤っているように思えてしまう。
「い、いや、名波。俺は別に‥‥‥真夏多さんとは話は終わったとこだから」
「そう。ならちょうどよかったかな。ミア、明日のエサ当番なんだけど、明日は台風が来る予報だ。無理に来る必要は無いよ」
「え‥‥‥でも、明後日からはお盆で学校も三日間閉まってしまうし‥‥‥」
「大丈夫。鯉は数日食べなくても大丈夫だから」
「‥‥‥わかりました。明日の実際の天気を見て判断します」
「‥‥‥僕がいるから大丈夫だよ」
「‥‥‥はい。そうですけど‥‥‥」
二人の絡まるその視線。
──やはり腑に落ちない。
この二人、どうにも思い合っているようにしか見えない。
このにじみ出てる空気が物語ってる。なのに、真夏多さんは甲斐と付き合う。
ゼツガが無意識に二人を見ていると、ふっと索と目が合った。
「久瀬くん。さっきは待たせて悪かったね」
「あ、いや。名波だって俺のためにわざわざ来てくれたんだろ? ありがとう。じゃあまた。名波、真夏多さん。俺は帰るから」
「じゃ、僕もこれで。ミア、明日はいいから」
ミアは二人をお辞儀で見送る。
索は生物室のある管理棟方面に向かい、ゼツガはそのまま校門へ向かった。
後10話前後で終わる予定です m(_ _)m