アシュリーのパトロール
シュカが部屋を出て行った直後だった。
「ミアさん、あれなんだと思う?」
冬雅は、チェストの上に置かれた透明な箱を指差した。
ミアは立ち上がり、チェストの前まで行って腰を屈めて覗く。
魚の水槽ではないようで、中はごちゃごちゃと木のチップと紙くずのようなものが入っているようだ。小さな巣箱のような物や梯子と輪っかなどが入っている。
「‥‥えっと? 何か小動物を飼っているのですか? これって、回し車ですよね? ハムスターですか?」
トーガはミアの横に立って嬉しげに語り出した。
「あったりー! 半年ほど前に友だちから貰ってね、そしたらとんでもなく可愛くてびっくりなんだ! すっごくかわいいから見てくれよ」
ミアはシュカがいなくなり不安に感じていたが、ただ、トーガがらペット自慢をされるだけだとわかりホッとした。
「どこにいるのかな? 潜って寝ているのかしら?」
パッと見ではどこにいるのか全くわからない。
「そうかも。せっかくミアさんが来てくれたから起こすよ。えっと‥‥たぶんこの角の辺に埋もれて‥‥‥」
トーガは手を入れて探る。
「いえ、寝ているならそっとして置いてあげてください」
「いいから、いいから。‥‥‥‥あれっ? どこっ? おーい、アシュリー?」
「‥‥‥あの?」
青ざめたトーガがミアを振り返った。
「ミアさん! すまないけど僕と一緒にアシュリーを探してくれっ! 脱走した! この部屋のどこかにいるはずだっ!」
「えっ、アシュリーちゃん、脱走ですか?」
「ごめん、ミアさん。アシュリーは一回脱走してから、この部屋全体を縄張り認識したらしくて、時々パトロールしないと気が済まなくなっていて‥‥‥」
「わかります。動物の縄張りって厄介ですよね‥‥‥」
「そうなんだよ~。もしこの部屋から出てしまったら更に縄張りが広がって余計に厄介なことになる」
「わかりました。私、どこを探せばいいですか? どんなハムスターなんですか?」
「ジャンガリアンハムスターなんだ。薄いグレーで額から背中にかけて一本の濃いグレーの線が入ってる。ミアさんそっちの部屋の一番奥のベッドのふとんの中とかベッドの隙間見てくれる?」
「はい、了解です」
「アシュリーは潜るの好きだし、部屋のパトロールの途中で寝ちゃってるかも。俺は反対側のドアの方から見て行くよ。まずドアの横の重たい本棚を横に動かして裏を確認するね。そうすればドアの隙間から出て行くのも防げるし」
「は、はい」
「ベッド乗っちゃっていいから。奥の隙間も探してくれ。じゃ、始めようか」
「はい。すぐ、見つかるといいですけど‥‥‥」
ミアは薄い掛け布団を慎重にそっとめくる。‥‥‥いない。
たたんで脇に避けた。
ベッドの上に乗り、壁との隙間を覗いて見た。
薄暗かったのでスマホのライトで照らしてみたが、らしきものはいない。
「‥‥‥?」
ふと枕を見ると、下にグレーっぽい毛皮がちょこんとはみ出ている。
──もしかして、これ?
ミアが動いてベッドがきしめば逃げてしまうかもしれない。
アシュリーを驚かせないよう、四つん這いの姿勢から、そうっとお尻をベッドに下ろして座り直す。
「冬雅さん」
囁き声で呼んだ。
本棚を、横からドアの前半分までずらしたトーガが振り返った。
「これ、アシュリーかも。枕の下に何かいます」
ミアはベッドの上に座ったまま枕を指差した。
トーガは声無しで驚きの笑顔を見せて、親指を立てた。
《サンキュー! そのままじっとしていてね》
口パクとジェスチャーでトーガがミアに伝えた。
頷くミア。
近づいたトーガが、枕の下からはみ出ているふさふさを確認。ミアの目を見て頷き返した。
緊迫が二人の間を流れている。
ベッドの上に座ったまま、ミアはトーガの捕物を見守る。
トーガは自分のタイミングを見計らった。
心を決めると行動に移した。
「えいっ!」
枕とシーツの間に両手を入れてそれを掴んで出した。
が、アシュリーは素早く冬雅の指の隙間をすり抜け、座っていたミアのスカートの膝の上に飛び乗った。
「きゃー! いやっ!」
ミアは脚をじたばたさせて思わず叫ぶ。
「動かないでミアさん! 踏んだらアシュリーがつぶれてしまう!」
「は、はい。ごめんなさい」
アシュリーは、ミアのひざからスカートの裾に入って隠れてしまった。
だが、ミアは動けない。
うっかり潰してしまったら大変だし、だからと言ってスカートをめくるのは絶対嫌だ。
「ごめん、ハムスターは潜るのが好きなんだ」
冬雅が小声で謝る。
「くっ、くすぐったいです‥‥‥‥あっ、やっ‥‥‥」
早く身柄捕獲したい所だが、流石に冬雅がスカートをめくって捕まえる訳にはいかない。
冬雅にはどの辺にいるのかも不明だ。
廊下で雅秋の声がした。
「ミア! おいっ、何やってんだよ? トーガ? シュカもいるんだろ?」
部屋のドアがガタガタしている。
「ったく、雅秋ったらこんな大変な時に戻って来るなんて」
イラついた冬雅から小さく独り言が漏れた。
「きゃー! いやっ!」
ミアが赤くなって悲鳴をあげた。
「おいっ! 開けろッ! トーガ、ミア!」
ドアの向こうで雅秋が騒がしい。
「出ておいで! アシュリー。ひまわりの種あげるよ」
冬雅が焦って声をかける。
不意にアシュリーが、ミアのスカートの裾からぴょこんと顔を出して止まった。
ミアとトーガは目線を交わす。
「あっ!」
トーガが捕まえようとすると今度はミアの体を登って行く。
「きゃっ! どうして私の所に来るのっ? いやっ!」
ミアは言いながらも、言い付け通りに耐えてじっと座っている。
アシュリーはミアの肩に乗って一休みしたようだが、ミアは体が固まっていてよく見えてはいない。
「雅秋、もうちょっとなんだ。待っててくれ! 騒ぐな。いいからドアは閉めておいてくれ」
更に部屋の外に走りだされたらたまらない。
「クソ、トーガッ! ミアに何してんだッ! 即刻ここを開けろッ!!」
雅秋が何やら騒いでいるが、こちらは正念場だった。
「動かないで‥‥‥」
「は、はい‥‥‥」
冬雅はここで逃したら本当に面目無い。
「アシュリー! 頼むッ! そこから動くなよ」
──余計な雑音はシャットアウトして精神統一。
外野から興奮して叫んでいる雅秋の声は、冬雅にはミュートされた。
「やめろッ! トーガッ、ミアを放せ! 兄貴何考えてんだ! ミア! 思いっきり膝蹴りぶっ込め!」
──入魂一撃捕縛ッ!
「やったー! 捕まえたっ!」
冬雅は遂にアシュリーを両手のひらでそっと包んだ。が、勢い余ってミアを押し倒してしまった。
アシュリーを両手でふんわり掴んでいるため、咄嗟にミアの上から下りることが出来ない。
「離れろッ、このサイテーヤロウ!!」
いつの間にか部屋に入っていた雅秋が、ミアに覆い被さっていた冬雅をひっくり返した。