嫉妬を隠して
「失礼します」
ミアが生物室に入室した時、索は窓際から池を見下ろしていたようだった。
おもむろに振り向いた索の顔は、無機質な人形のように見えた。
「あの‥‥‥名波先輩。先ほどはすみませんでした。甲斐先輩が早合点してたらしくて」
「甲斐くんのお守りは大変だね。彼は随分と嫉妬深い」
「‥‥‥でも、私を想ってのことですから」
窓際に寄りかかり、ミアと目を合わせずに話す索は、どこかよそよそしい。
「そうだね。‥‥‥で、夕べはどうしたの? そこまでの危機って訳でも無かったようだけど?」
索は腕を胸元で組んで、少し首を少し傾げた。そこでミアをやっと見た。
どことなく事務的な態度に索の変化を感じて、ミアは緊張で体が固くなる。
──さっきの甲斐先輩のこと、怒ってるみたい。機嫌悪くされたかな。こんな名波先輩初めてだわ。どうしよう‥‥‥
ミアはどぎまぎしながら話し始めた。索に上手く説明できるのか自分でも不安になった。
「私、最初は名波先輩が幻の生徒だなんて知らなかったから‥‥‥錦鯉研究部の先輩だとしか認識は無かったし」
「‥‥‥ミアを僕に深入りさせて後悔はしてる。僕は死んでいるのに生きているミアとこんなにも関わってしまった。そうすべきでは無かったのに」
「‥‥‥そのことはいいの。私は名波先輩と知り合えて後悔なんて無いです」
「‥‥‥ミア」
索はくちびるをきゅっと結んだ。
その索の顔はまるで、微笑もうとして失敗したみたいだとミアは思う。
「‥‥私が名波先輩に相談したかったのは、美術部の3年の久瀬ゼツガ先輩のことです」
「久瀬ゼツガ‥‥‥誰だろう? 僕は知らないな」
「久瀬先輩は、名波先輩のことを知っています。多分、中庭で錦鯉研究部の餌やり当番を私としている所を見ていたのかもしれません。だって美術室は中庭のすぐ横ですから。朔の夜の儀式を見たのは久瀬先輩なんです」
「ああ、前に言っていたね。そんなことを」
「久瀬先輩から、朔の夜に目撃した名波先輩のことを打ち明けられた時は、まだ私は名波先輩の秘密を知らなかったし、名波先輩が卒業を前に最後に大きな物理的な実験をしているんじゃないかと思ってしまって。久瀬先輩がそんなに気になるなら私が名波先輩に聞いてあげるって約束してしまったんです」
「‥‥‥なるほどね」
「久瀬先輩は、名波先輩が集めていた金色のホタルの光のことを未だに不審に思っているの。名波先輩のことは皆次第に忘れて行くそうですけど、久瀬先輩は名波先輩のことを忘れる気配はないです」
「‥‥‥そう。どうやら彼の中で、ミアと僕の印象が結びつけられてしまったようだね。僕一人のことだったらどうでもいい記憶だからすぐに忘れてしまうはずなのに‥‥‥」
「私と?」
「その久瀬ゼツガも、甲斐雅秋と同じくミアに執着を持っているってことだろうね」
「あ‥‥‥‥」
ミアはここのところの一連のトラブルの起因が自分であるように思えた。
「ごめんなさい。私のせいだったんですね。こんな面倒事を作ってしまうなんて」
「‥‥‥ちょっと違うな。僕と出会ったこと、ミアは後悔していないんだよね? ならばこれは僕たち二人のせいだ。大丈夫。後はすべて僕に任せておけばいい」
「名波先輩は私に怒っても当然です‥‥‥」
「‥‥‥ミア? 僕は何も怒ってはいないよ。僕はただ、もどかしい思いを抱えているだけ。これは僕だけの問題として」
「どういうことですか?」
「‥‥‥それも僕の秘密」
索の口許は、わずかに微笑んだように思えた。
「僕を久瀬ゼツガに会わせてくれ。彼に考える間を与えない方がいい。明日の朝の8時半に中庭の池の横の大きなスズカケの木の下で待つように言ってくれないか? 必ず一人で来るように。聞きたいならこれが最初で最後の機会だと伝えて」
「一人で?‥‥‥私、久瀬先輩が心配です」
「ミア? 僕はこの学校の生徒に危害を加えることは無いよ。それに実はこの学校は結界で囲まれている。邪悪な人間も霊も入っては来れないから安心して。久瀬がどうしても僕の事を知りたいのなら来るだろう。朝のまだ人気がほぼ無い時間だし都合がいい。ミアは僕を、信じられない?」
「え?」
「図書室の島田が言ってたはずだ。僕は悪霊だって」
「‥‥‥ううん、私はそんなこと信じてるわけないです。私は名波先輩を信じてます」
「ありがとう、ミア。久瀬ゼツガとは1対1で話したい。僕の秘密は保持させたまま、彼を納得させてみせる。僕もこれ以上生徒を巻き込みたくはないからね。ミアは9時頃来ればいい。その頃にはどうなったかわかるから」
「はい。私も久瀬先輩には用があるので」
**********
ミアは先ほど雅秋と別れてから、生物室にてゼツガのことを索に相談し、半時も経たずに図書室に戻ったが、そこに雅秋の姿は無かった。
雅秋の荷物はひとまとめになって、黒いリュックが椅子の上にポツンと残されている。
ミアの開いたままのノートに走り書きがある。雅秋の字だ。
《ちょいブレイク。外の空気吸って来る 雅秋》
──私が戻ったら場所を変えるつもりなのね。甲斐先輩、外って下の渡り通路辺りかな?
ミアはすぐに帰れるように荷物を片しトートバッグに入れ、雅秋と同じ椅子に乗せた。
ミアは図書室を出て階段を降り、1Fの外の渡り通路を覗いてみたが、雅秋の姿は無かった。向こう側まで渡ってみたが、やはりここにはいないようだ。確認したが、ケータイにもメッセージは来てない。
──入れ違いで図書室に戻ったのかも。それとも3Fの屋上渡り通路だった?
ミアが戻ろうとした時だった。
「ミアちゃんみーっけ!」
その声に、ミアは聞き覚えがあった。