雅秋の焦燥
「言葉の通りって‥‥‥ミア‥‥‥その初体験って夕べのことなのか?」
雅秋は、もはや青ざめた顔をミアに向けた。
「あの‥‥甲斐先輩?」
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ミアは洗面台の鏡とにらめっこして、雅秋に見られても恥ずかしくはないか、身だしなみをチェックした。髪をとかし、リップを薄く塗る。
──これでいいかな?
スマホを使って後ろ鏡で確かめた。
──うん、これで大丈夫ね。
お手洗いを出ると、ちょうどそこに索が通りかかった。
「あ、ミア! 探してたんだ」
索は、早速夕べの話を始めた。
ミアは、雅秋は先に図書室に戻ったと思っていたので、索に応じてしまった。
『ふふ、昨日の夜は僕、楽しかったな。アレ、僕も初めての体験だったんだ』
『そういえば、御守りも付けるの初めてで加減が分からないって言ってましたね』
『あれでは物理的にミアを守護出来そうになかったな‥‥‥改善が必要だ』
『‥‥‥でも、美しくて夢みたいでした。私だってああいうのは初体験でしたし』
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まさか今の会話で、索の秘密が雅秋に知れたわけではないと思ったが、何かまずいことを口走ってしまったかもと、ミアは必死で思い出し反芻した。
雅秋の態度がすこぶるおかしい。
──私たち何かまずいこと言ってたっけ? 甲斐先輩ったらどうしたっていうの?
名波先輩への怒り。私をそんな青ざめた顔で見て‥‥‥
名波先輩の秘密についてじゃなくって、なにやら別のことを示唆しているような‥‥‥?
《名波と‥‥‥夢みたいな初体験ってなんだよ?》
《言葉の通りって‥‥‥ミア‥‥‥その初体験って夕べのことなのか?》
名波先輩と‥‥初体験‥‥‥夕べ?
うッ! やだ‥‥‥甲斐先輩ったら、妄想し過ぎじゃない?
誤解が何にしろ、ミアは上手く誤魔化さなくてはならないのは変わりない。
「あの‥‥甲斐先輩? それはですね、夕べ私たち錦鯉研究部で初めてリモートで会議をした話ですよ? 錦鯉の保護活動と飼育環境の改善についてとか。ミートで顔を見ながら話し合うのは私たち初体験だったんです。顔の背景も美しいイルミネーションに変えたりして、楽しかったんですよねッ、ねっ、名波先輩?」
索の右腕をガシッと掴み、アイコンタクトを送って同意を促すミア。
ミアの顔を無表情で見返す索。
「‥‥‥名波、そうなのか?」
索へ疑惑の視線を向ける雅秋。
「‥‥‥ミアがそう言うのなら、そういうことでいいのでは?」
索は、しらけた風に雅秋をちらりと見てから、顔をつんと背けた。
「なにッ? 今度は匂わせでマウントかよ?」Σヽ(`д´;)ノ
「甲斐先輩、落ち着いて下さい。これは錦鯉研究部のことなので、先輩が知らなくて当然のことです」
ミアは間に立って取り繕う。
「そうだったとしても、名波は態度悪くないか?」( ;`Д´)
「ふっ、それはこちらが言いたいよ。いきなり僕の前に出て来て一人で興奮して突っかかって来たおかしな人はキミだ」
冷静な態度を崩さない索に、"オマエは格下" 感を醸し出された雅秋は、非常に腹立たしい。
確かに先程から興奮しているのは雅秋だけだし、ここでまた言い返したら、負け犬感半端ない。
「‥‥‥ちっ」
雅秋は感情を抑えようと努力する。
「ミア、行こうぜ。名波は消えろ!」
雅秋はミアの腕を引っ張る。
「きゃっ‥‥‥ちょっと‥‥‥まっ‥‥」
特別教室が入る管理棟へと続く、2F渡り通路の中ほどまでミアは引っ張られた。
「‥‥ミア、錦鯉研究部を辞めることは出来ないのかよ?」
「そんなこと出来るわけないわ。私が辞めてしまったら部員が足りなくなっちゃう。降格して "会" に戻ってしまうのよ」
「ちっ‥‥‥‥何かいい方法は‥‥‥」
のばらがミアにちょっかいを出しているのを目撃し、ゼツガはミアに堂々と告白し、更にミアを振ったはずの索までもが未だにミアと親しげにしていることに苛立ちと焦燥が募る。
「そうだッ!」
真顔の雅秋が、ミアの両肩に手をぽんと置いた。
「なあ‥‥‥聞け。俺たちもう結婚しちまおうぜ。そしたら法に護られ、これからもずっと一緒にいられる」
「なっ、なっ、何を言っているの? 私たちまだ付き合ってもいないのよ。しかも私は15だし。甲斐先輩落ち着いて下さい。‥‥色々と大丈夫ですか?」
ミアは危ない人を見る目つきになっている。
「‥‥私のことを心配してくれるのは嬉しいけど、でも、私がどこで誰と話そうが私の勝手です。私、中庭の錦鯉のことで名波先輩と話す事があるの。今日はそのために学校に来たんです」
「また中庭の鯉かよ? 俺の身にもなってくれよ。俺の気持ちミアは十分わかってるよな? ずっと見てなきゃこのままじゃミアが誰かにかっさわれる。一瞬だって目を離したくないって思うじゃん!」
「‥‥‥‥甲斐先輩、今日は一体どうしてしまったのですか? おかしいです」
ミアは眉根を寄せる。
「ミアはわかってないんだ!」
雅秋が苛立ちを露にする。
「甲斐先輩、落ち着いて下さい。私は誰かのものではありませんよ。私、名波先輩とこれから部活の小会議なんです。終わったらまた図書室に戻ります。荷物も置きっぱなしですし。甲斐先輩はどうされますか?」
「ミアを待ってるに決まってるだろ!」
「‥‥‥わかりました。あの‥‥私を待っててくれるのは嬉しいです。じゃあ、また後で。小会議はそんなに時間はかからないと思います」
その上目遣いのミアの顔には、雅秋に対する恥じらいが浮かんでいる。
こんなにも雅秋に思われていることをくすぐったく感じていた。
干渉され過ぎの気もするが、雅秋に想われる女の子として、嬉しい気持ちの方が大きかった。
誰かから、こんなにもストレートに熱く想いをぶつけられたことは今まで無かったから。
「‥‥‥そう。なら行ってこいよ。待ってっから早くしろよ」
ミアの態度で雅秋の心は軟化した。落ち着かなげにそっぽを見ながら言った。
その顔では、ミアに照れているのがまるわかりだ。
「クスッ‥‥‥はい、甲斐先輩!」
ミアはそのまま渡り廊下を管理棟校舎側、生物室へと歩いて行く。
その後ろ姿を雅秋はやきもきしながらも黙って見送る。
最初に惚れてしまった方は、どうも弱い。
──ミア、俺はわかってんだ。‥‥‥‥ミアは名波に心残りあんだって。ただ、俺が強引にミアをつき合わせているだけ‥‥‥そうなんだろ?
ミアの後ろ姿が曲がって消えた。
一人残された渡り通路。
雅秋は2F渡り通路の窓から、中庭のど真ん中にある大きな池を、ため息と共に見下ろす。
「‥‥ったく、何なんだよ? 錦鯉研究部ってさぁ‥‥‥」