想い想われ乙女の心
その日の夜、ミアはベッドの上で大きなぬいぐるみを抱えながら、今日起こったことを反芻していた。
まんまるにデフォルメされたシロクマのぬいぐるみは、ミアにキツく抱きつかれ、もし生きているとしたら窒息している次第だ。
思い返すと今もドキドキした。
心の準備も無いまま迎えたファーストキス。
しかも帰り道で雅秋からは信じられないことを聞かされた。
*********
その頃、通り雨は短時間で過ぎ去って、また夏の日差しが戻っていた。
ミアの湿った制服のブラウスも乾いてしまいそうだ。
校門まで長々と続く松の石垣の横の通路を、無言でさっさと歩くミア。
‥‥の、後ろをついて行く雅秋。
「ミア‥‥‥まだ怒ってんの?」
「‥‥‥‥」
「いい加減、機嫌直せよ?」
ミアはピタッと立ち止まり、くるりと後ろを向いて雅秋の目を無言でじっと見つめる。
射竦められる雅秋。
「う‥‥‥ゴメン」
ミアに直立不動で頭を下げる雅秋。
「‥‥‥私たち、まだ付き合ってはいないのよ?」
「ちげーぞ! 俺とミアは付き合ってるから!」
「‥‥‥強引過ぎます。それに‥‥‥私、は、初めてだったのに‥‥‥」
ミアは、またくるりと雅秋に背中を向けて歩き出す。
「‥‥‥それはどうかな?」
雅秋の台詞にミアの背中はピクリとして立ち止まる。
「‥‥‥中庭での名波先輩のことを言っているのなら誤解ですから!」
振り向いてキッと一睨みしてから、また背中を向けた。
このミアの怒り具合で、先ほど目撃したミアと名波の接触は、本当に誤解らしいと雅秋は判断した。
思わず緩んできた雅秋の口許は、ニヤニヤを堪えるためにぎゅっと結ばれた。
この愛しの美少女のファーストキスを自分が奪っていたことは正直嬉しい。
雅秋は、ミアの正面に回って立ち止まり、ミアの行く手を阻んだ。
「さっきのが初めてって言うのは違うと思うけど?」
「‥‥‥いつまでそんな意地悪を言うのですか?」
ミアが涙目になって雅秋を睨んだ。
「だって、俺だけは知ってるから」
「無いことを知っているわけないですよ? 言いがかりはやめて下さい」
雅秋は、この目の前の純情な女の子がたまらなく好きだと思った。
まさしくこういうのは初めての感情で、これこそは自分の初恋だと思う。
「んー、だって‥‥ミアが池の横で倒れて、俺が運んだじゃん? そん時、保健室で寝てた時、俺‥‥‥ミアの寝顔がかわいくってさ‥‥‥思わず‥‥‥その‥‥‥‥」
「‥‥!」
ミアの顔が沸騰したように赤らむ。
「俺はすべてに責任は取る。それにこれ以上のことはミアの許可なくこれからは絶対にしない。俺、ミアのこと本気だから大切にしたい。それに久瀬にも謝る。だから許してくれよ」
「‥‥‥‥」
「もう一度言う。俺、ミアが好きです。どうか俺と付き合って下さい」
「久瀬先輩に本当に謝るのなら考えておきます」
「わかった。約束する!」
「‥‥‥私も謝りたい。きっと久瀬先輩を傷つけてしまったの。逃げ出したりして」
「ミアは悪くねーよ‥‥‥。全部俺のせい。まさか俺が誰かに焼きもちやくなんてな、しかも久瀬なんか相手に」
「‥‥‥‥そういう言い方はやめて下さい」
「‥‥‥ほら、ミアはまた久瀬の肩持って。ま、そういうミアの優しいとこが好きなんだけど。あーあ‥‥‥今までの無双してた俺、ミアにかかったら形無しだな‥‥‥」
雅秋は苦笑いした。
********
──私、ときめいていた。
恥ずかしくて怒った振りをしていたけど。
本当に嫌だったら全力で逃げてたと思うし。
ちょっと前までは苦手な人だと思っていたけれど、最近は会うと楽しくなっていた。
いつも自信を持ってて、明るくて、積極的な甲斐先輩。
そういうところは親友のキリルと重なるかも。
私には無いものばかり持っているの。
シロクマさん、甲斐先輩は本当に私だけを見てくれているのよね?
思い出すと胸がきゅっとする‥‥‥私のファーストキス‥‥‥
ミアは、いくぶん形が歪んだぬいぐるみを ふにふに整えてから、枕の脇にぽんと置いた。
ライトを消し、横になるとスマホを手に取ったまま、思案する。
──久瀬先輩に、逃げたこと謝らなきゃ。
それって同時に私が振るってことだよね? なんだか気が重い。
なんなら‥‥‥甲斐先輩より先に私に告白してくれていたなら、もしかしたら今頃、私は久瀬先輩と付き合っていたりして?
そしたら、私は甲斐先輩に誘われることも無くって、花火とお祭りにも久瀬先輩と行ってたわけで、甲斐先輩も名波先輩も私には関係無くって、こんな風に悩む事も無く過ごしていられたのに。
久瀬先輩は優しい人だもん‥‥‥
傷つけたくない。どう断ればいいの?
それと、名波先輩の朔の夜の霊力集めのこと、なんて報告すればいいのかしら?
まさか、本当の事は言えないし、誰かに言ったら名波先輩は私の前には姿を見せてくれなくなってしまうかもしれない。
「あーん、もうわからないわ。名波先輩‥‥‥‥私どうすればいいのですか? 今すぐ教えて‥‥‥」
口から思いがこぼれた。
もういいわ。明日考えよう。
今日はいろいろあり過ぎて疲れちゃった‥‥‥
久瀬先輩に連絡するのは少し落ち着いてからでいいよね?
ケータイはシロクマのお腹のポッケに滑り落とす。
「おやすみなさい、シロクマさん」
そのままベッドの中で目を閉じた。
「僕に用が?」
ふいに声がした。
「え?」
暗闇でミアは目を開けた。
「‥‥‥誰か‥‥いる?」
戸締まりはキチンと確認したはずだった。セキュリティのスイッチも確認した。
そろりと半身起こして壁に寄る。だがそれ以上は怖くて動けなくなってしまった。
「ミア、僕だよ」
「‥‥‥‥まさか、この声って!」
金色の淡い光がひとつ、ふわふわと目の前の空を漂っていた。