観察と考察〈ゼツガ〉
久瀬ゼツガの語りで。
真夏多さんが甲斐と俺の口喧嘩に耐えかねて美術室を飛び出して行った。
ヤバいものを見たって顔してる後輩の部員たちに向けて、甲斐が鋭い目つきで言い捨てた。不機嫌さらして。
「おい、今日は俺がクローズすっから。今日の当番、誰? 日誌だけ書いておけッ!」
「は、はいっ、先輩。もう書いて教卓に置いてありますッ」
これからここで昼飯を食おうとしてたやつらもいたはずだけど、この室内の雰囲気にヤバいものを感じたらしく、みんなひとり残らずそろそろと荷物をまとめて帰って行く。
お手洗いに行っていた部員数人も、廊下で他の部員に耳打ちされたらしく、俺たちにぎこちなく帰りの挨拶して帰った模様。
甲斐と二人きりになった美術室。
「久瀬。どういうつもりだ? ミアに告るなんて」
甲斐が俺の襟元を掴んで詰め寄って来た。
力ずくでは俺に敵うわけないのに、甲斐は無謀だ。
俺は筋トレで体作ってるけど、甲斐は身長はまあまああるけどひょろい。
力でなら負ける気はしないけど、俺は自重する。
甲斐にはムカついてるけど、これ以上ことを荒立てたら真夏多さんに申し訳ないし。
「放せよ! 甲斐が聞いて来たんだろ? だから答えただけ」
俺は甲斐の手を振りほどいてから距離を取る。
「ミアとはな、俺は久瀬よりもずーっと前に出会ってて、でもって俺がとっくにコクって付き合ってんだ。久瀬なんか全っ然関係ねーからな!」
だから何だっていうんだ? 俺の心の中は誰を想ってようと勝手だ。
もし、彼女のような清楚な女の子が甲斐みたいなタラシと付き合い始めていたとしたら、残念この上ない。
「‥‥‥俺は甲斐は真夏多さんにふさわしくないと思う。今までのお前を知ってるから。それに甲斐は真夏多さんにいつも強引な態度じゃね? 大人しくて逆らえない真夏多さんが可哀想だ」
俺はこの際だからずっと思っていたことをはっきり言ってやった。
「はぁ? それって、ミアの相手が俺だから許せないってこと? 俺はな、もう以前の俺じゃない。もうミアしか見てねぇし。俺は今後ミア以外要らない。ミアは誰にも渡したくない。だからミアに近づこうとするヤツとは俺は対峙するしかないぜ?」
「真夏多さんは、そういうのも含めて迷惑してるって考えは無いのかよ?」
「あるわけないだろ。俺ら付き合ってんだから。それに‥‥あー‥‥コホン、俺はミアの家にだって行ったことあるし。それって二人きりで過ごした。俺らそういう仲だってこと久瀬は知っとけよ?」
甲斐は斜め上の天井の方を見ながら、匂わせをボソボソと付け加えた。
「‥‥何を言いたいんだよ?」
「現実見ろよ。俺とミアの間に入る隙なんて誰にも無いから」
完全、俺を見下してる。
「俺はそんな匂わせ信じないからなっ!」
「俺がだーれもいないミアの家に招かれたの事実だから。嘘だと思うならミアに確かめろよ」
「いい加減なこと言うなよ! あの清楚な真夏多さんがそんなこと‥‥‥」
俺は美術室を飛び出した。
まさか、あの真夏多さんが無人の家に甲斐なんかを入れるなんて!
真夏多さんは中庭にいるはずだった。学校に来る時は鯉の餌当番だったはず。
俺はそのまま渡り通路に出た。
外はいつの間にか霧雨が降り始めていた。
名波が立っていた。その横に真夏多さんが立っている。
俺はとっさに柱に身を隠す。陰からそっと二人の様子を窺った。
黙ったまま二人で池の鯉を見ていた。
美男美女。雨の中、映画を見ているような美しいシーン。
なんだ‥‥‥‥
俺には伝わってる。名波と真夏多さんは両思いじゃないか。
ここに俺の入る隙間は無くないか。甲斐だって‥‥‥‥
でも真夏多さんは甲斐と?‥‥‥‥どういうことだ?
俺は真夏多さんに甲斐が言ったことを確認するつもりだったけど、落ち着いて考えると、そんなガチのプライベートなこと、真夏多さんに聞けるわけがない。
しかもさっき俺のコクりを聞いて逃げてしまった人に。
あー、俺はこんな所から覗き見して、なんて恥ずかしい男だよ?
一気に自己嫌悪。
そそくさ校舎内に戻ったけれど、帰ろうにも荷物を美術室に置きっぱだ。だが、甲斐がいる美術室に戻るのはマズい。今 顔を見たら、一発喰らわせたくなる。
取り敢えず、進学資料室に行って暇を潰してから戻ろう。
甲斐がクローズしてしまっても部員用のカギは所定のロッカーに入ってるはずだから、荷物も持ち出せるし。
3Fの資料室はあいにく閉まっていた。
図書室にでも行こうか? いや、普通教室棟まで行くのも面倒だ。
‥‥‥こんなの時間の無駄だ。仕方ない、美術室へ戻ろう。俺の血もさっきよかクールダウンしてる。
こんなことして甲斐が消えるの待ってる暇があったら、クランチ&シットアップで、もっと腹筋をディベロップ出来るってもんだ。
外の雨が酷くなって来てるのが階段の踊り場の嵌め込み窓から見えた。
美術室の前まで下りて来た。
甲斐はまだいるのかな?
あれ? 数センチの隙間。戸がキチンと閉まっていない。
まだ施錠されていないってことは、まだ甲斐がいるんだ。
扉に手をかけようとした時、声が聞こえた。
俺はビクッと手を止めた。
真夏多さんの声だ!
「‥‥‥私は人見知りなだけよ」
「そんなミアを本当に好きだと思った」
「‥‥‥そうやって誰にでも言うの?」
中に甲斐と真夏多さんがいるんだ!
ボソボソと聞こえづらい。
俺はとっさに戸口の横の壁に斜めにもたれ掛かって、誰かを待ってる振りをした。誰か廊下を通るかもしれないし。
「‥‥‥ちげーよ。こんな俺の心の中を誰かに吐露するなんて生まれて初めてだし。俺が原因でミアに嫌な思いをさせてちまった。本当にごめん。さっきも、久瀬の絵をもらってミアがガチ喜んでいるのを見たら、俺‥‥‥‥我慢出来なくなって、久瀬を挑発した」
「久瀬先輩はどこに行ったのかしら? 荷物がここに残ってる‥‥‥」
俺が真夏多さんに絵をプレゼントしたことが相当気に食わなかったようだな。今までチャラくいろんな子と遊んでいたくせに、自分は嫉妬深いってどういうことよ?
そんで、真夏多さん、俺のことを気にしてくれてんの嬉しい‥‥‥
俺は隙間から愛しの真夏多さんを見ようとした。
彼女の妖精のように美しい横顔と、憎いけどやっぱイケメンの甲斐の横顔が向かい合ってあった。
「今は俺たちに関係ない。ミアは俺だけを見て」
雅秋が真夏多さんの両肩に手を掛けた。
「甲斐先輩、やめて‥‥‥」
俺はここで踏み込むべきか? いざとなると迷う俺。
「‥‥‥ミアは名波と何してた?」
「何って、鯉の話に決まっているでしょう? 名波先輩はここの鯉には誰よりも詳しいんだから」
「俺、ミアを誰にも渡したくないんだ。こんな気持ちは初めてなんだ」
「あっ、あの‥‥」
「これが俺の初恋かもしれない」
「え?」
ちょっと待てよ‥‥‥この雰囲気は。
俺、これじゃ友だちのラブシーンを覗いてる変態?
俺の心臓がバクバクしてる。ヤバい。
あ、嘘。
今、したよな? 甲斐のやつ‥‥‥
うッ! またもや!
あいつ、こうやって毎回初恋演じて女の子を口説いてたんだ? 寒いな、おい。
いつもは女の方もチャラかったり、派手好きそうな女子だったけど、今回は純情可憐な清楚の本髄の真夏多さんだぞ? 甲斐が手を出していい女じゃない。
真夏多さんが甲斐を相手にするなんて??
事実、甲斐に誘われても避けてたよな? 名波にまで頼んで甲斐の誘いを断っていたのに、なんでこうなる?
真夏多さんが甲斐の言いなりになるなんて、何か言われぬ事情があるに違いないぜ? だって彼女は、名波のことが好きなのは俺には明白なんだ。
さっきの甲斐の自信満々から見て、真夏多さんの家に何らかの事情で行ったのは事実だろう。
その時、何かしらの彼女の弱みを掴んだのでは? それで彼女を脅して逆らえなくしているとか。
どう見てもおかしいじゃん。名波と真夏多さんは両思いなのに雅秋とキスするなんて。
あの真夏多さんが二股とかあり得ないし。
しかも今見たところでは、真夏多さんは甲斐を嫌がってて、不意に雅秋にキスされてしまったように見えたんだけど。
雅秋が本当に真夏多さんを脅しているかはわからないけど、可能性は高いと思う。
これでは真夏多さんがあまりに痛々しい。
俺はこうなったら名波に協力するか、もしくは俺が真夏多さんを甲斐雅秋から遠ざけて守ってやるしかない。
だが、名波にもいささか不審な所はある。
名波の謎が解けるまでは全面的に信用は出来ないけど、甲斐よりはましだ。
とにかく、真夏多さんに真相を話してもらった方がいいかもしれないけど、この俺にこんなデリケートなことを話してくれるわけがない。
他の誰にも知られるわけにはいかない。俺は決して誰にも言わない。
真夏多さんの乙女の純情がかかってる。本当の手遅れになる前に、甲斐の魔の手から真夏多さんを陰ながら守らなければ!