In my mind
──名波先輩は私を通して蓮津姫を見ているだけ。
私じゃない。それなのに、私は。
「‥‥‥名波先輩。願わくば、この学校からずっと消えないで下さいますか?」
「ずっと‥‥‥ね。永遠なんてこの世には無いよ、ミア。でもね、僕はここからは離れるつもりはない‥‥でいいかな?」
「‥‥‥‥はい」
二人は池の鯉に目線を向けたままだ。
「それに僕はここ以外に行くところも無い‥‥‥」
二人の間を沈黙が流れる。
髪を飾るように銀のラメのような水玉で降りたっていた霧雨は、いつしかミアと索の髪をしっとりと濡らしていた。
「‥‥‥名波先輩、あの、ひとつだけ教えて下さい」
「何?」
索はようやくミアの顔を見た。
「朔の夜、ここから涌き出る光というのは何だったのですか?」
「あれ、見ていた生徒がいたんだっけ? その人、まだ僕のことを覚えてる?」
「勿論です」
「じゃその生徒には、もうちょっと待っていて貰おうか。そのうち僕のことなど忘れてしまうだろう」
「‥‥‥どうかしら? 私はそうは思えませんけど」
「再来週の水曜の新月の夜。その時に君にだけ、見せてあげる」
「私にだけ‥‥‥新月の夜?」
「朔の日は月の魔力が一番弱まる。だから外からの影響は最小限で済む。ここの鯉たちはね、僕の蔵なんだ。僕が世話をし、鯉たちを護る代わりに彼らは黄金の鯉の成瀬様から預かった霊力を僕に渡してくれる。ここの鯉たちは現世と霊界を繋ぐ通路のフタの一部みたいなものだからね」
「この鯉たちが名波先輩の霊力を預かっているのですか?」
「ああ。僕は霊界のある方と特別な縁があって、その方から慈悲を頂いている。その計らいでいただく霊力を、この鯉たちが預かってくれている。それを僕は朔の夜に受け取る。鯉の世話をしている君ならこの子たちは警戒はしないだろう。僕の正体を知るのも生徒の中では君だけだ‥‥‥‥とても素敵な光景をミアだけに見せてあげる」
「‥‥‥先輩」
「そしてこの御守りをミアに。夜は危険だからね」
索は手のひらの上に、小指の先ほどもないような、ギターのピックを縮小させたようなものをミアの目の前に差し出した。
そのとても薄いカケラのようなものにミアは目が引き寄せられた。
細かい粒子がその中で揺らいでいるように見える。それでいて見る角度が変わると透けて見えた。
「なあに、これ? 何で出来ているの? 綺麗なカケラ‥‥‥」
「あの光をちょっぴり閉じ込めてあるんだ。ここは現世だし、あまり目立たぬ左の耳たぶの裏側がいいかな。取れないように僕の霊力を通して着けておく」
「‥‥‥何の御守りなのですか?」
「守護だよ」
朔は何の躊躇も無くミアの左の耳たぶに触れる。
「あのっ‥‥‥」
ミアは焦る。
心臓の鼓動が騒ぎ出す。
「無理にとは言わないけど?」
索が首を傾げてミアを見る。
「いっ、いえ。お願いします‥‥‥」
ミアは索に左耳を向ける。
「そう、じゃ‥‥‥」
ミアは索に耳たぶを摘ままれて直立不動だ。
摘ままれた耳たぶに熱が込もってゆくが、顔全体が既に熱い。
「生きてるって温かいね。やはり懐かしいな。この温もり‥‥‥」
索が独り言のように呟く。
「うーん、これでいいかな? 僕も初めてで加減がわからない」
ミアの髪をサイドから掻き上げて耳の後ろを覗く。
ますます硬直するミア。
──誰かが見ていたら、耳にキスされてると思われちゃいそう‥‥‥
「うん、これでよし!」
索は小さく頷いた。
小さな金色の薄いかけらがミアの左耳たぶの裏側に貼り付けられた。
ミアが耳たぶを触ってみると、硬いカケラの感触がしたが、耳には違和感は無い。自分からは見えないし、貼られたのを忘れてしまいそうだ。
「あの、名波先輩。どうして‥‥‥私だけに?」
淡い期待がミアの心に灯る。
「ミアに迷惑をかけたお詫びかな? 確かにミアが僕を『知りたいって』言ったからだけれど、それでも無理矢理見せてしまった感は否めない。さあ、ミアはもう行った方がいい。風邪を引いてしまうよ」
ミアを急かしてから、朔は去って行く。
「待っ‥‥‥‥」
ミアは続きを飲み込む。
──これはただのお詫びの印。私の期待してることなんて何も起こらない。
それに私は心の奥にしまった筈よ。名波先輩への想いは。
ミアはキュッときびすを返した。
ミアは生物室のロッカーまで戻り、落ち着きを取り戻すと、思わず逃げ出してしまった美術室の様子が気になって来た。
──甲斐先輩と久瀬先輩はどうなったの? もう帰ったかな?
今日3年生はあの二人しかいなくて、仲裁出来る人がいなかった。
だからってまさか、いくらなんでもまだケンカしてるってことはないわよね?
久瀬先輩が私のことを好きだなんて‥‥‥全然気づかなかった。
あんなに素敵な絵を描ける人。
きっと敏感な心の目を持っているのね‥‥‥本質を見透かすような。
久瀬先輩は私の弱い心が見えていますか? 私のどこを好きになったのですか? 久瀬先輩が見ている私なら、それは本当の私に近いのかしら?
人が人を好きになるって‥‥‥‥?
不思議よね。
相手のことなんてよくわからないうちから惹かれてしまうんだもん。
私が名波先輩を好きになったのは‥‥‥‥甲斐先輩の誘いや、私を気まぐれで誘って来る嫌な男達から私を護ってくれたから。
あの時、肩を抱かれてドキドキしたわ。一緒に歩いていただけで胸がキュンとした。
今だって本当は好き。でもこれは私の初の恋にて、速攻あっけなく撃沈‥‥‥
そして私は甲斐先輩と友だちから始めてみることを決心したばかり。順調な滑り出しで、甲斐先輩のお陰で私は毎日が楽しくなって来ていたのは事実。
このまま行けば付き合うことになるって予感がしていた。
それなのにからかわれていただけかもしれないなんて‥‥‥
階段をゆっくり下りながら、ミアの考え事が止まらない。
踊り場を過ぎて美術室が視界に入ると、胸が苦しくなって進む足が躊躇した。
──誰かいる? 甲斐先輩と久瀬先輩はどうなったの?
嫌なことからは顔を背けるいつもの癖。足が進まない。
──誰でもない自分のことなのに。しっかりして、私! キリルもミチルも助けてくれないよ?
こんなんじゃだめよ、ミア。
大きく深呼吸してから扉の前に進む。扉の覗き窓は、シートで塞がれている。
誰の声も聞こえない。気配もわからない。
ゴクリと喉が鳴った。
──行くよ?‥‥‥‥いっせーので!
ガラッ‥‥‥
ミアは思い切って美術室の戸を開けた。