ゼツガの仮告白
夜になって美術部の友だちのユリカとトーコからメッセージが来た。
《ミア、明日美術部に来れる? 明日、甲斐部長と久瀬副部長が引退宣言するよ。モデル役は終わったけど、来れたら来て。ミアとお喋りもしたいな。待ってるよ》
《って言うことで、よろ~! デッサンも教えてあげるね トーコより》
落ち込んでいたミアには嬉しい誘いだった。
《ありがとう。明日会えるの楽しみにしてるね》
──甲斐先輩には出来れば会いたくないけど、二人きりってわけでもないし、部活だし大丈夫よね。
雅秋からもメッセージは来ていたけれど、今は見たくはなかったので開かずに置いた。
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翌日の美術室。
コンクール出品用の絵を描いていた7月までの緊張感は消えている。
真面目に自主的な製作をしている人もちらほらいたが、来るのは友だちに会うのが目的の人がほとんどになっていた。
8月に入ってからは、部活に来る部員も大分減って来ていたが、今日だけは前部長と副部長の引退挨拶があるので1、2年生はほとんど来ていた。
朝、雅秋が近寄って来る素振りを見て、ミアはさっと避けた。
数回繰り返し、雅秋は一時、諦めたようだ。
それからはお互いシカトして過ごした。今はそっとしておいて欲しかった。
ミア、ユリカとトーコが教室の片隅で三人机を合わせて座っている。
トーコが真っ白の紙の隅っこに、慎重にきれいな丸を描いてミアに渡した。
「じゃあ、ミアは練習ね。全く同じようにいくつも描いてね。一筆書きでね」
早速、描き始めたミア。
「難しい‥‥‥。マルの最初と最後も合わないし大きさも違うし、第一マルが歪んじゃう! 線もゴニョゴニョになっちゃう‥‥‥」
「ふふふ‥‥‥じゃあ、真っ直ぐ線を描いて見ようか。縦横10本づつね」
「真っ直ぐ? はーい、トーコ先生」
「基礎は大切よ? ミア」
ユリカがシュルッと鉛筆回しをしてから一言。
「実際には、ものの輪郭には黒い線なんて存在しないじゃない? あるのは色の違いや明暗の影と遠近の差でしょ? それを線に現すって相当だと思わない?」
「本当ね。どんな絵にしろ絵描きさんってスゴすぎる。ううう‥‥‥自分の思い通りに線を描くというのは本当に難しいものね‥‥‥」
ゴニョゴニョ線が並んだ紙をつまんで二人にぴらっと見せるミア。
「最初はね、そんなものよ。ねえ、ミア。ミアも美術部に正式入部しなよー」
ミアの紙を手に取り、眺めながらトーコも頷く。
「うん、そうしよ~。私ミアが入ってくれたらうれしい」
「うん、私も考えていたの。でも‥‥‥私のこれを見てわかるでしょ?」
ミアは絵を描くのは昔から壊滅的だった。小学校の時は全員の絵が教室内に張り出されて当分そのままにされてしまうので、ずいぶんと恥ずかしい思いをした。
「いいのよ、私たちだって上手くはないもん」
「え‥‥‥あれで上手くないと言われると美術部敷居が高過ぎる‥‥‥」
「じゃあ、私たちはスペクタキュラ上手いってことにすればいいねっ」
トーコがニカッとして、ミアの肩をぽんっと叩く。
結局3人は手はお留守になって、おしゃべりしていると、ゼツガがミアに声をかけた。
「ごめん、真夏多さん。ちょっといいかな?」
ゼツガの顔を見て、ミアはハッとした。
そう言えばゼツガにアレの報告をしていなかった!
ゼツガが索を目撃した夜のことについて、連絡すると約束していたのに。
いろいろいっぺんに起こり過ぎてすっかり失念していた。
ゼツガはあれ以来ずっとどうなったのか黙って待ってくれていたけど、限界が来て話し掛けて来たに違いなかった。
「あっ、この間の話のことですよね? ごめんね、トーコ、ユリカ。私、久瀬先輩に連絡しておかないといけないことがあったの」
ミアは慌てて立ち上がる。
「ふーん、よきですよ。ごゆっくり」
トーコがニヤニヤ 二人を見る。
「えっ‥‥まさかの組み合わせっ! いつの間にっ? リアルビューティーアンドビーストじゃん‥‥‥」
ユリカの驚きの呟きの声が漏れた。
「ちっ、違うってば、もう! すみません、久瀬先輩」
ミアが苦笑いしながら席を立った。
二人は美術室を出て、渡り通路への出入口を越えた廊下の突き当たりまで移動した。
「ごめんなさい。久瀬先輩はあの事すごく気にしていたのに、すぐに報告しなくて」
ミアはすぐさま頭を下げた。
「いいんだよ。すぐ知れなきゃどうこうって問題でもないし。あれから真夏多さんがどうしたのかなと思って‥‥‥」
索が夜中に池から涌き出る光を集めていた理由については、ミアは司書教諭の島田からヒントを得ていたが、そんなことを言える訳はない。
それに索からは自身の秘密は知らされたが、ゼツガが見た光景については何か聞いたわけでもなかった。
「ええと、あの日 結局聞けなくって、それ以来名波先輩とは会うこともなかったのでそのままになってしまっていたんです。ごめんなさい」
「そうか。‥‥‥俺、モデルをしてくれた真夏多さんに一週間ぶりに会えたし、よかったな。今日で部活終わりにしようかと思ってたからさ。そしたらもう真夏多さんと会うこと無いし。だからさ、何かわかったら俺に個人的にメッセージ送って教えてもらえると俺、気がかりがなくなるんだけど。‥‥‥俺も何かわかったら送ってもいいかな?」
がたいの良いゼツガが遠慮がちに言うと、可愛らしいく見える。
「あっ‥‥‥もちろんいいですよ。私もわかったら、ちゃんと久瀬先輩に教えます。いつになるかわからないですけど」
実はゼツガはミアにプレゼントを用意していて、今日の帰りに渡そうとしていた。
それはミアを描いた一枚の素朴な鉛筆画だった。
丁寧にミアを描き、ゼツガの中では上々の出来映えだった。自分の想いを告白出来ない代替えでもあったが、決して見返りを求めたものではなかった。
「ありがとう、じゃ戻ろうか」
二人の様子を美術室の扉からそっと見ている人がいた。
雅秋だ。
何度かミアに話しかけようとしたが、徹底的に避られ、ミアは目を合わせるどころか、雅秋の方は見ようともしなかった。
幸い雅秋とミアのことは部員にはまだ知られてはいないらしいのは幸いだった。
そのまま昼頃になり、前部長雅秋と副部長のゼツガが引退の挨拶を述べ、後輩たちの拍手で終わった。
定時解散後、ミアは美術室の窓から中庭をしばしぼんやり眺めていた。
ユリカはクラスの友だちと、トーコは彼氏と約束があるとかでさっさと帰って行った。
一人になると、想うのはやはり索のことだった。
「真夏多さん」
ゼツガが 後ろからミアを呼び止め、一枚の紙を渡す。
「これ、君に」
ゼツガは右下に自分のサイン入りの、ミアを描いた鉛筆画を渡した。
「!」
ミアはビックリしてゼツガの顔を見上げる。
「今までありがとう。記念になるといいけど」
ゼツガは照れ笑いを浮かべた。
「‥‥‥頂いていいんですか? 素敵‥‥‥私、すごく嬉しいです。実は私、久瀬先輩の絵のファンだったんです。一生大切にします!」
ミアは感激でいっぱいになってゼツガに頭を下げた。
「ファンって本当に? お世辞だろうけどありがとう‥‥‥‥真夏多さん」
「お世辞では無いです。あの‥‥受験頑張ってくださいね」
「ありがとう」
ゼツガに微笑んでいたミアの顔が強ばった。
「ミア、ちょっと来い」
不機嫌をさらした雅秋が、ゼツガの肩を押し退けてミアの腕を掴んだ。