Physical and mental exhaustion 〈雅秋〉
俺は校舎裏で真夏多さんに俺の想いをコクった後、すぐに帰途についた。
朝から体調も思わしくなかった。夏バテなのか、体もダルく感じていたし。
酷暑の中、やっと駅に着いた時、兄貴からメッセージが届いていたのに気づいた。
『《緊急!》雅秋、助けてくれ! 俺の愛しのアシュリーが消えた! 早く帰って一緒に探してくれ!!!』
その下には、不在着信が5つも並んでいる。
気がついて出なくてよかった。
俺は見た途端、すべて消去した。そして家に帰るのはやめた。
"アシュリー" とは、俺の兄貴のペットのジャンガリアンハムスターだ。
また脱走して、押し入れとか、クローゼットとか、机の裏とか、どこかの隙間に隠れているんだろう。つきあってられっか!
ただでさえヤツは夜中になるとガラガラ滑車を回し、俺の部屋まで響いてうるさくて迷惑してんのに。
俺は駅前のコンビニで、冷えた炭酸水を買って昼飯の代わりにすることにした。あまり食欲もなかった。
店を出て、そのまま一気に飲み干しゴミ箱に放った。昼食終了。
──さて、学校に戻って、美術室に顔出すか。
きっと久瀬が残ってる。あいつのメッセージはスルーしたままだっけ? ちょうどいいじゃん。久瀬とは直接話したい。久瀬になら真夏多さんのことを相談出来る。ついでに置きっぱの自分の荷物をまとめて持って帰れる。
部長の仕事の実質的な引き継ぎはもうとっくに終わっているし、俺はいついなくなっても大丈夫だ。
兄貴のせいで、駅から学校まで往復30分も無駄にしてしまった。
ああ〰️、こんなに汗臭くなるのは俺の美学に反する。
ちょうど昼時ということもあり、生徒昇降口付近には生徒はほとんど見かけない。
俺は真っ先に昇降口の脇にある外水道で顔を洗った。
昇降口に入り、靴箱が並んだ向こう側の廊下の窓越しは中庭だ。
廊下の右へ行くと普通教室棟、左に行くと管理棟。美術室は管理棟の一番奥の中庭側。
上履きに履き替え、なにげに中庭に目が行く。だって、俺が4月から恋する真夏多さんの出没ポイントだから、つい。
ふと、校舎裏、俺の腕で捕らえた彼女の顔を思い出す。
俺の思いが全く真夏多さんに通じていないことが甦り、胸が締め付けられたように痛い。
──ん? あれは‥‥‥
向こう側のコンクリートの渡り通路から出て来た二人、真夏多さんと名波じゃん!
さっきの話じゃ真夏多さんの片思いだったはず。ただの錦鯉研究部の先輩後輩なんだろ? なんで真っ昼間からラブラブして中庭デートしてんの?
俺は廊下の窓から中庭の景色を眺めている風を装い、二人の動向を監視する。
二人は木陰になってる池の縁に並んで座った。
真夏多さんと名波は何か話しているようだ。こんなところからは声は全く聞こえな‥‥‥
──げッ! 嘘だろ?! 池の中に落ちた!!
今の、名波が真夏多さんに抱きついて、一緒に落ちたように見えた! なにやってんだ、名波ッ!
俺は保健室と美術室の前の廊下を突き抜け、右に曲がり、向こう側の渡り通路から中庭へ走り出た。
「真夏多さんっ! どうなってんだっ!」
──どういうことだ? 池は静まってるし、二人の姿が無い。
ええッ!! まさか沈んでる? 底の方は緑に濁ってハッキリは見えないけど、鯉の背中もぼんやり見える。そんなに深い訳じゃない。
蓮の葉っぱの下とかに? まさか気を失って沈んでる?
咄嗟に縁に飛び乗り、そこから池に飛び降りる。
池の鯉たちが一斉に俺を避けて散ってゆく。
こんな深くもないコンクリートの池に落ちただけなのに、二人の姿がどこにも見当たらない!
睡蓮の華と葉をかきわけて探ったけど、二人の姿は無い!
──何で?!
その間、ほんの数分だと思う。
真夏多さんが、さっきいた所から座ったまま振り返り、俺を呼んだ。
「甲斐‥‥‥先輩‥‥‥何してるんですか? いくら暑いからって鯉の池に入るなんて‥‥‥」
「ま、真夏多さんッ!?」
「いつからそこに?! 俺、お前が名波と池に落ちたと思って‥‥‥」
「えっ?」
「‥‥‥真夏多さんが無事ならそれで‥‥‥」
「私を‥‥‥‥私を探してくれていたのですか? 甲斐先輩‥‥‥‥制服のままびしょ濡れになって‥‥‥‥」
俺は相当ホッとした。池の中から縁に腰掛け、彼女を抱きしめた。
キツネにつままれたかのようだったが、とにかく俺は泣きたくなるほど安堵した。
その時、彼女の髪が全く濡れていないことに気がついた。それどころか制服すら。
真夏多さんと名波は池に落ちていなかったのか? 俺の見間違いだったのか?
なぜ? 彼女は泣いてる。
「‥‥‥甲斐先輩。ごめんなさい、私のためにこんなこと‥‥‥それに私‥‥‥‥名波先輩に‥‥‥振られてしまったみたい‥‥‥‥」
それで、この顔してんの?
「‥‥‥俺がいるだろ。真夏多さん。名波より俺にしろってさっき言ったよな?」
「‥‥‥そうですね‥‥‥だって、あの人は‥‥‥」
もう、言質はこれで十分。ミアは俺を選んだってことで。
ミアはそのまま目眩を起こしたようで、俺はミアを抱えて保健室に運んで休ませた。
彼女はこんなにほっそりしているのに以外と大変で。俺は相当の体力消耗。
保健室の芝田には、俺が縁でふざけてて池に落ちて、側に座ってたミアが驚いて急に立ち上がった時、貧血を起こして倒れたということにしておいた。
俺は借り物のジャージに着替えた後、ミアの起きるのを待った。
本気で寝てしまったようだった。俺が顔の前に手をかざしてもそのままスースーしてる。ミアの寝顔はかわいすぎて俺は‥‥‥‥
小一時間ほどでミアは目覚め、俺はミアを家まで送り届けることにした。
名波の姿は見えないし、またどこからか現れ、ミアに抱きついたりするかもしれない。
もしかしてさっきはミアから好意を寄せられているのをいいことに、ミアに抱きついてキスを迫ったが拒絶され、思い通りにならないミアを振ったのかもしれない。
見かけだけ爽やかイケメンが、とんだ尻尾を出したとかじゃね?
俺はミアを自宅近くまで送り届ける途中でさらに具合が悪くなって来た。それでも俺が頑張ったのは、名波がまたミアを襲う可能性があるからだ。
顔色の悪い俺を気遣ってミアは俺を自宅に連れて行った。
ミアを家に入れてしまえば俺もう安心だから、好都合っちゃ好都合だったんだけど‥‥‥
いきなり、彼女になったばかりの女の子の家に上がるなんて緊張する。もし家族の誰かに会うのなら、こんな格好は最悪だし。
なのに家には誰もいなくて、ミアは一人だという。まあ、誰も迎えに来れない時点でその可能性は高い。
でも、どういうこと? 誰もいない家に俺を招くなんて。俺を信用してる?
それとも相性見るための俺の身体検査? まさか。ミアはそんなタイプとは正反対。
だが、こともあろうに白いワンピース姿で俺の前に再登場したミア。
絵のモデルの時、俺らが頼んだらめっちゃ嫌な顔してたよな?
なぜ、今? 俺は自制心を試されているのか?
ミアは男の心理を、余りというか、ほぼわかっていないようだ。
だめだ、ミア。
俺はミアがここまで天然ボケだとは思わなかった。無防備すぎるだろ。
少し身をもって教えてやんなきゃいけない。でなきゃこれからも用心しないだろ!
男の力は強いって教えとかないと。
ミアは俺と付き合うわけだから、他の男には絶対触らせない。そのために。
あの時の返事は、どさくさに紛れた曖昧という感は否めないが、それでも俺がそう受け取ったんだから間違いなく言質だ。
ミアは俺を取った。
今さら俺の聞き違いだったとは言わせない。
純真で全く擦れてないミアを俺色に染めたいけど、今はその時じゃない。
俺たちは今日から始まるんだ。
本音とは反するけど、俺はここにいてはいけない。これ以上ここにいるのはヤバい。だから早々に帰ることにした。
いくら調子悪いからって、俺は高3男子。家にはたどり着けるくらいの体力はぜんぜんあるって。