名波索の疑惑
ミアには思い当たることがあるようだった。
「‥‥‥‥不思議な話ですね。でも‥‥‥それってたぶん、錦鯉研究部の実験か何かではないかと思います。研究部では鯉の飼育以外にもそれぞれが自主的に好きな研究をすることを許可されてるんです。生態系の研究観察をしてる人もいれば、生物室の大きな机を利用して、オリジナルのピタゴラ装置を作って放課後の暇をつぶしてる人もいます」
「へぇ‥‥‥知らなかったな。鯉の研究観察だけしてるのかと思ってた」
「名波先輩は私よりも幽霊部員なんですけど、もう3年生は部活も引退の時期ですし、きっと最後にやり残した実験をしていたのではないでしょうか?」
「はっ? あれは実験だったって?!」
「はい、光を集めていたのなら、夜にしか出来なかった実験ではないですか? 危険なので、誰もいない時間帯に行ったのではないでしょうか? 屋外だと、天気とか、風とか、気象条件を考慮して、待機している内に遅い時間の実験になってしまったとか考えられると思いますけど? そうだ! 私、名波先輩に聞いてみます! 図書室にいるかも知れません」
ミアは立ち上がった。思っていたような悪い噂ではないことにもホッとしていたし、索に話しかける大義名分を得たことをラッキーにさえ思った。
「久瀬先輩が目撃したことは絶対に言いませんから。うふふ、どんな悪い噂があるのかと思ってびくびくしてました。なーんだ‥‥‥」
ミアの考察は、ゼツガにはどうにも腑に落ちるものではなかったが、反論するつもりは無かった。
「‥‥‥完全には納得は行かないけど、‥‥‥そうか。そういう可能性もあるんだな」
「じゃあ、早速行ってきます! 後で結果を知らせますね。個人的にメッセージ送ってもいいですか?」
「おう! もちろん。えっと、名波本人になら、俺が見ていたことは告げていいから」
「‥‥‥やっぱりそうですね? それって久瀬先輩の話は嘘じゃない証拠! 久瀬先輩はいい人だって私、知ってました。お話して下さってありがとうございました」
ミアは早速図書室に向かった。
図書室の扉を開くと、数人の生徒がテーブルで勉強したり、本を読んでいる。
見渡した感じでは、索は見当たらない。
ミアは本棚の間を順に歩いて回った。
──ここにはいないのかしら?
「名波先輩‥‥‥」
ミアはくちびるだけで呟く。心あてが外れてしょんぼりだった。
「おや、僕を探していたの?」
ミアの後ろで不意に声がした。
「きゃっ!」
ミアは思わず声が出てしまい、口を押さえた。
索は、しーっと口元に人差し指を立てた。そして出口を指差す。
ミアは無言でうなずいた。
*******
ミアと索は、中庭の木陰が降りた鯉の池の縁に座っている。
索は、左側に座るミアに問いかけるような微笑みを向けた。
「真夏多さん、僕に何の用だったの?」
「あ‥‥‥はい。もしかしたら名波先輩は図書室で勉強しているんじゃないかと思って。お邪魔してすみませんでした。あの、少し伺いたい事があるのですが」
「なんだろ? 言ってみて」
「はい、実は真夜中に、ちょうどここの場所で名波先輩を見たという噂を聞いて。先輩は何かの実験をしていたのですか? ホタルのような光が池から次々生まれていたそうなんです」
「それはどこからの噂なんだろう? どれくらい広まっているの?」
索がいつになく、きつい物言いだったのでミアはびくりとした。
「あの‥‥‥実は美術部の先輩の一人が名波先輩を偶然見かけたそうなんです。その人と私しか知らないことなんです」
「そうか。そういうことか。それで、君は僕の何を知りたいんだい?」
「‥‥何って言われても。わ、私、名波先輩のことならなんでも知りたいです!」
ミアは思い切って言った。
「僕の事を‥‥‥‥? 何で?」
索は不思議そうな顔を向ける。
「‥‥‥‥そ、それは」
ミアはうつむいた。心臓が大きく鳴っている。外まで音が漏れているんじゃないかと思うくらい。
「私、名波先輩のこと‥‥‥‥好きなんです!」
ミアは自分でも予期せず、涙が浮かんできた。
「僕のことが‥‥‥‥好き‥‥‥」
索は考え込む難しい顔になった。
「ご、ごめんなさい! ご迷惑でしたよね。急にこんなこと言われたら」
ミアは指先で涙を拭いながら言った。
「‥‥‥‥いや、そうじゃなくて。真夏多さんは僕に命をかけるほど好きってわけではないだろ? 僕よりも大切な人や物がたくさんあるはずだ」
「‥‥‥‥‥命?」
「この僕がキミを好きになっても許されるのか、僕にもわからない」
「許される‥‥‥?」
「‥‥‥‥いいよ? ミアに僕を見せようか」
「え?」
索は不意にミアを抱きしめ、そのまま後ろの池の中に倒れこんだ。
「きゃーっ!」
くぐもった水中のゴボゴボとした泡の音に包まれながら、ミアは自分の名を叫ぶ雅秋の声が遠くで響いたような気がした。
──『真夏多さんっ! これってどうなってんだっ?!』