I happened to witness a scene of wonder 〈ゼツガ〉
次の日。
甲斐は部活には来なかった。美術部のグループSNSに欠席のメッセージが来ていた。まさか、昨日のダメージでってことはないと思うけど。
個人的にメッセージを送ってみたけど、既読になるも返事は無し。
その日俺は一人最後まで残って絵を描いた。
真夏多さんの姿を思い出しては、俺の秘密のスケッチブックを埋めて行く。
ピピピピ‥‥‥
スマホにセットしてあるアラームが不意に4時50分を告げた。もうじきタイムリミットの午後5時になる。
当番が書き入れて前の机に置いてある日誌の、今日のクローズの欄に "久瀬" と書き入れた。
俺は窓を閉め、電気を消して美術室を出る。
クローズになった俺は美術室の戸に鍵をかけなくてはいけない。
美術室の鍵は部員用に密かに合いカギがある。美術室の前のロッカーの一番左下のお菓子の小さな空き缶の中に。
ロッカーの扉にも番号を3つ揃える南京錠がついていて、部員はみんな解錠ナンバーは知っている。まあ、中には忘れちゃってる人もいて、そんときゃ誰かに聞くしかない。
いちいち職員室まで行くのは面倒だし、顧問の今田先生だって手間なんだろうな。先生も暗黙の了解だ。何も問題は起きてはいない。
俺はカンからカギを取り出し戸締まりし、きっちり戻してからまっすぐに家に帰った。
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それは既に夜11時を過ぎていた。
俺は例のスケッチブックが無いことに気がついた!
真夏多さんでいっぱいのスケッチブック。美術室に置き忘れて来たらしい。他に置き忘れるところなんて無い!
あれを誰かに見られたら、俺の真夏多さんへの気持ちがバレバレになってしまうじゃないか!
明日朝イチで行こうか? だめだ! 今、取りに行かないと俺は気になっておちおち寝られやしない。
「あのさ、シャー芯切れたから駅前のコンビニまで行ってくるわ」
玄関で一応、誰にともなく家の中に声をかけた。
風呂上がりの妹のリトが髪を乾かしているドライヤーの音が止まった。
リトが洗面所からひょっこり顔だけ出した。
「めんどくない? あたしの分けてあげよっか?」
「いや、俺はBしか使わない。ついでに夜食も買って来る。カギ、閉めといて」
俺は玄関のドアを開けながら頼んだ。
「あっそう。オケーイ! ついでにアイスよろ~。ゼツ、人相わりぃから職質されないようにねぇー」
後ろからさらっと失礼な言葉を投げつける我が妹。もれなくサバサバ系。
チャリを走らせる。まばらに仕事帰りやら、浴衣を来た女たちやらとすれ違う。
今日からどっかの神社で祭りだったな。そういえば。
俺は学校の敷地のフェンスの脇にチャリを止めた。
学校の左脇は雑木林で、仕切りには背の高い金網のフェンスがあるだけだ。この辺は裏は畑や空地だし、車の通りも人通りはほとんど無い。
有刺鉄線も何のその。俺は一部歪んで低くなっている場所を乗り越え、スマホのライトで照らしながら雑木林を抜ける。
突き当たったもう一方の金網のフェンスの、知る人は知る、実は押すとめくれて出入り自由の金網の箇所から学校側に入る。
松の石垣の脇を走り抜け、管理棟二階の美術室目指す。
──まさか、誰もいないよな? こんな夜に。
めっちゃドキドキするこの背徳感。
辺りをはばかりながら、自然と背を丸めて足音に注意し、早足で進む。
美術室へは簡単に入れるからって、校舎へはどうやって入るか全然考えて無かった。窓を割るなんて無謀は出来ないし。
カギを掛け忘れた窓の一つ二つ探せばあるんじゃね? こんなにたくさん窓があるんだから。
普通教室棟が見える。
夜の校舎は不気味だ。真っ黒な窓から何かが俺を見てるんじゃないかって、ちらりと何かがよぎるんじゃないかって、子どもじみた恐怖が地味にわき起こる。
ドッキン、ドッキン、ドッキン‥‥‥
ガサッ、ジジジッ‥‥‥すぐ近くから寝ぼけたセミの声。
校舎の壁にたまに止まってるあれだ。
──んっ?!
よく判らない小動物が俺の前方を駆け抜けて行った。ネコとは違う。夜に出るって言うハクビシンってやつかな?
茂みからは、リーン、リーン‥‥‥頼りなさげな虫の声。時折さざめく葉擦れの音。
一人肝試しの様相。黒くそびえる木のシルエットが不気味に思える。下の植え込みの陰からも、なにか出て来そうな‥‥‥
ゴゴゴゴゴゴゴー
空からは夜間飛行の音。見上げれば翼のライトがピコピコ光ってる。
機械的な音を聞いて、妙な高ぶりから現実に戻る俺。
──ふふっ‥‥‥ガキじゃあるまいし。俺ときたら、人も空を飛ぶこの現代に。幽霊なんているわけないだろ! アホらしい‥‥‥
俺は無事、普通教室棟と管理棟の間にある渡り通路に差し掛かった。
ひとまずコンクリートの太い柱の陰で、気持ちと息を整える。
すぐそこには暗い中庭。
もう、すっかり俺の目は暗さに馴れている。今日は朔の暗い夜だったけど、常夜灯も所々あるし、なんとか周りは見えている。
カサッ‥‥‥ポキッ‥‥‥
響く音。
これは風の葉擦れの音じゃない。足音だ!
だれかが落ち葉と小枝を踏んだような音。中庭からだ‥‥‥
誰かが池の前に立っている!!
やばい! 見つかるッ!!
柱の回りを向こう側陰にそっと移動。こういう時は体がでかいと不利だな。
こんな時間に誰だ? 見回りの先生か? 見つかったらなんて言い訳すればいいんだ? こんな時刻に忘れ物を取りに来たなんて信じてはくれないだろう。
絶対に見つかる訳にはいかない。今の俺は不審者以外の何者でもない。
俺は固まってそのままじっとしていたけど、あちらからは何の気配も感じられない。
‥‥‥そっと柱の陰からさっきの人影がいた辺りを覗いて見た。
──やばっっっ! まだいるじゃん。
黒い影はさっきの場所に立ったまま。
暗くてよく見えないけど、その人物は池に向かって手を合わせ祈っているようにも見える。
不意に、フワリと池の上に一匹のホタルが現れた。
光の粒がその誰かに向かって飛んで行く? 光に手を伸ばしてる謎の人物。
それに続くように次々と金色の光が、池の表面から湧き上がって来た。なんて幻想的で美しい光景。
なんなんだ? ホタルが学校の池にいるわけないよな?
光の粒はその人物の体に次々と吸い込まれるように消えてゆく。
いくつもの光が集まってその人物の顔をうっすらと照らした。
──あ? あれは‥‥‥‥! いったい何が起きている?!
次第に池から生まれてくる光が減って来て、最後の一つがその人物に吸い込まれるように消えた。
辺りはまるで何事もなかったのかのように暗闇に戻った。
数匹の虫たちの声だけが響いている。
──俺は見た!
あの後ろ結びのちょんまげの髪型は‥‥‥‥見間違いようはない。
あれは名波索! 昨日美術室に来た男子。真夏多さんの彼氏とおぼしき男子!
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俺は結局、スケッチブックを取りには行かなかった。というか、行けなかった。
次の日の金曜日は、いつもより30分早く家を出て美術室に行った。当番より早い。ロッカーからカギを取って一番に美術室に入室した。
机の上に置き忘れたと思われたスケッチブックはやはりそこにあった。
俺はすぐに回収。ホッとしたのはいいけれど‥‥‥
これのせいで、謎の現象を目撃した俺は、夕べは眠れなくなっちまった。
あの幻想的な光景が頭から離れない。
名波は一体何をしていたんだ?
真夏多さんは本当に名波と付き合っているのか? あいつのこと、なんか知ってんのか?
俺は彼女が心配だ。どうして妙なヤツばかり彼女につきまとう?
ここはさりげなく真夏多さんに確かめてみないと、だな。