忘れられない夜〈ミア〉
神社の鳥居に近づくにつれて、ポツポツ露店が並び始めた。
お面にりんご飴、綿菓子にベビーカステラ。カラフルなフラッペ。
提灯で飾られた神社へと続く道。
お父さんの手を引っ張って、先へと急かす子どもが追い越して行く。
わいわいと、友だち同士のグループ、かわいらしい赤ちゃんを抱っこした若い夫婦。お孫さんを連れた甘々おばあちゃん。
うふふ、きょうだいたちを仕切るしっかりもののお姉ちゃんも。
色んな人が行き交っている。
「‥‥‥戦がなければ刀もお飾り。下級武士はいくら腕を磨けど功名を為す機会も無く、結局は出自がすべて。焦れる昔日もあった‥‥が。だが今はこの町が平穏であることに僕は感謝してる」
「‥‥‥名波先輩?」
名波先輩はとにかく古風が好きなのだわ。
ここの思いっきり和風の雰囲気の中で、歴史を肌で感じているのね?
この日本の神社のお祭りという、大昔からの庶民に根差した風習をこうして催すことが出来る現在の平和に思いを馳せているのよ。
そうね。グローバルな視点から見れば地球上で戦争が絶えたことなど無いんだもの。今ここが平穏なことは当たり前ではないのよね。
さすが名波先輩だわ。
縁日で楽しもうとしてるだけの私みたいな人とは、考え方が大人で違うの。
「では今は、この平穏を楽しく過ごしませんか? 今夜は私と」
「‥‥‥そうだね。昔はいくら願おうと叶わなかったことが、今日はこうして疑似体験出来てる。不思議な気持ちにさせられてる」
「疑似体験?」
「うん、僕はこの縁日をこうして二人歩くことを夢見ていた。今日は真夏多さんのお陰で‥‥‥僕にとっていい思い出が出来そうだ」
──意外。名波先輩みたいな素敵な人でも片思いしていたことがあるってこと?
先輩も、私との縁日を楽しんでくれてるみたい。
今なら、さりげなく言えそう。
「わっ、私にも忘れられない良い思い出になると思います。あの、記念に写真撮りませんか?」
「あ、ごめんね。僕はいいよ。僕はとても写真映りが悪くて」
──さらりとかわされてしまったわ。先輩が優しいからちょっと調子に乗ってしまったの‥‥‥図々しかったよね。私‥‥‥
ちょっと落ち込む。言わなきゃ良かった。
鳥居に着いた。
真っ直ぐに伸びた参道には、露店がびっしり。
たくさんの赤い提灯の明かりは、私たちを日常から離れた空間に誘っている。
「じゃ、ここで解散よ。みんな、楽しんでね。ユリカ、ミア。明日また部活でね! 二人とも今夜遅くなって寝坊しないでよ?」
「また明日ね、トーコ。花火楽しかったね! バイバーイ」
「今日は誘ってくれてありがとう、トーコ。すごく楽しかった」
トーコは彼氏と二人、私たちに手を振りながら人波に紛れて行った。
ユリカはトーコに手を振り終えると私に向き直った。
「ミア? 今日は私、ミアと仲良くなれて嬉しかったよ。ミアが美術部に来た時から仲良くなりたいと思ってた。ミアって美人だし、話かけづらい雰囲気だし、孤高な感じじゃない? 実は私も前はそういうタイプだったの。でも、それって学校では辛い時もあるでしょ?」
「‥‥‥あの?」
「いいから聞いて。私はトーコと出会って変わった。あの子の優しさと明るさはきっとミアを助けてくれると思う。だから私、適当な理由を作ってミアを誘うことをトーコに提案したの。ほんとはミアの彼氏を見たかったからじゃないよ? これからは必要な時は私やトーコを頼っていいからね」
「‥‥‥ユリカ」
「なーんて、ふっふ~、彼氏見たかったのもあるけどね~! じゃ、また明日ね」
「うん、ありがとう、ユリカ」
私のことをそんな目で見てくれてる人がいたなんて。
ユリカが楽しげに彼氏と会話しながら歩く横顔が人波に紛れて消えるまで、彼女を目で追った。
ちょっとにじんで見える。指で目尻を押さえた。
──今日は忘れられない夜になりそう。
自分でもなぜかわからないまま勝手に体が動いて返事して、不本意にも引き受けた人物画のモデル。
あれがなければこんな素敵な夜は私に訪れてはいないの。
あの時は怖かったけれど、これでは学校の七不思議に触れたことに感謝だね。
「真夏多さん、僕といると疲れるんじゃない? 気分は大丈夫?」
「え? お気遣いは大丈夫です。私、出だしはつまずいたけれど、優しい友だちが二人も出来て、名波先輩ともお話出来て、嘘みたいに幸せな夜です。気分がふわふわしてます」
「ふわふわか‥‥‥。それってどうなんだろう? 疲れて休みたいとかじゃないならいいと思うんだけど」
名波先輩は不意に私のおでこに手を当てた。
──冷たっ! ひんやりして気持ちいい‥‥‥
写真を断られて落ち込んだけど、やはり先輩は優しくて、私のことを気遣ってくれて。
先輩は写真を撮るのが好きでは無いのかも知れない。こんなに素敵な人だもの。一緒に撮った写真を自慢げに勝手にストーリーにさらす人が出ても不思議じゃないの。
ああ、だからかな? 被害にあって、スマホ嫌いになっちゃって人前では使わないとかかも。
「うん‥‥‥特に問題はなさそうだ。でも、明日もあるんなら、早めに帰った方がいいね。お参りして、露店は3つまでね!」
「ええー! そんなの親に言い聞かされる小学生みたいです。じゃあ、5つで!」
「ふふっ‥‥‥わかった。じゃあ、特別に4つで」
「はい!」
私は、制限つきながらも、縁日を十分楽しんだ。
お参りの後は、ヨーヨー釣りに射的。かき氷とたこ焼き。約束通り4つ。
縁日のこの雰囲気は独特ね。普段は子どもたちは、家や塾で過ごす時間。
年に一度の公認の夜遊び。
そして、帰り際になって思い出した! 巾着袋の中には。
──すっかり忘れてた。預かった扇子を先輩に返さなきゃ!
‥‥‥待って、これはこの夜の約束の証。少しでもこの時間を長引かせたい私。
名波先輩との約束終了のリミットは、後わずか‥‥‥
これが終われば、普通の先輩と後輩。
落花生駅に着いたら、返そう。
今度は反対向きに大きな鳥居をくぐる。
往来には、帰る人たちの まばらな後ろ姿。
向かう時とは違う。漂うさざめきも落ち着いた雰囲気に変わってる。
夜空には星が瞬く。
一歩一歩近づく終了の瞬間。いっそ立ち止まりたいけど、それは無理。
そっと見る、名波先輩の横顔。
夢の終わりはいつも切ない。