そう思われても構わない〈ミア〉
「あっちにクルマ停めてあっからさー、行きたいとこある?」
「はっ、放して下さい! 私に触らないでっ」
にやけた困り顔を私に向ける緑色の髪の男。
「んー、だって、放したら逃げちゃうんでしょ?」
──当たり前だわ! こうなったらここで大声で叫ぶ?
でも‥‥‥こんなに大勢の人が行き交っている所で大声を?
それっていざとなると勇気がいるの。
‥‥‥私には駅構内で騒ぎを起こすなんて無理‥‥‥怖い‥‥‥どうすればいいの? 名波先輩‥‥‥
連れられて、いよいよ駅の構内から出てしまった。
──そうだ! 思いっきり足を踏んで、その隙に逃げよう!
私は抵抗してグッと立ち止まった時、目の前に影があってハッとした。
「名波先輩!」
いつの間にか目の前に名波先輩が立っていた。
先輩は、学校で会う時とは別人みたい。粋に浴衣を着こなしているその姿は、写真から抜け出したモデルさんみたい。
恐ろしく似合っていて、見た人は皆、息を飲んでしまうほどりりしい‥‥‥
側を通る人が、先輩に視線を残しながら通り過ぎてく。
「お待たせ。‥‥‥‥ええと‥‥この方たちは?」
先輩は、不思議そうに私の両脇の男たちにそれぞれ視線を送る。
「ゲッ! コイツかよ? 来ちまった‥‥」
「遅れて彼氏さん登場かよ~?」
一目見ただけで名波先輩はすべてに置いてこの人たちより上回っているわ。
その凛とした気品。
威厳を感じさせるオーラ。
「知り合い?」
名波先輩が私と目を合わせた。
私はブンブン首を横に振る。
「知らない人?」
無言で思いっきりうなずく私。
「‥‥‥‥へぇー」
先輩の周りは、急に張りつめた。冷ややかな空気。
先輩は、私の両脇の男たちを、値踏みするようにそれぞれ上から下まで見た。
その視線は、わざとなの? あからさまで屈辱を感じさせる視線。
「じゃ、真夏多さん、行こうか」
微笑みを浮かべながらもその目は笑っていない。
悪者たちは、先輩の放つ静かなる殺気に怯んでる。私の腕を放した。
──チャンス!
私は名波先輩の胸に飛び込む! なんという安心感なの? 先輩の冷たい体が熱くなったおでこに気持ちいい‥‥‥
先輩は私の肩を抱いてそのまま歩き出した。少し歩いて、駅から離れてから先輩は後ろを確かめた。
「大丈夫、もうあいつらはいない。まったく‥‥‥いつの時代も変わらないものだね」
先輩は私の肩から腕を外した。そして私の顔を見て、苦笑いの表情。
騒ぎも起こさず時間もかけずに、その纏うオーラだけで悪者を撃退してくれた名波先輩。カッコ良すぎ。
「あ、あの、名波先輩?」
「‥‥‥ごめんね。怖かったよね。僕がもっと早く来ればよかった。女の子を待たせてしまうなんて」
「違うんです。私がすごく早く来てしまったんです。‥‥‥今日のこと楽しみにしていたから。でも、無用心だったみたい。名波先輩、ありがとうございました」
私はホッとしたらちょっと涙がにじんでしまって。でもこれから楽しい時間が始まるのに名波先輩にそんな顔を見せたくない!
私は涙をごまかすために慌てて言った。
「せ、先輩、浴衣とても似合ってますね! 制服姿と全然違って見えます。大人っぽいです」
「ああ、君が浴衣だって言っていたから、僕も。やはり和服の方が落ち着くんだ。普段はこれで馴れていて」
「え? 家でも和服をいつも? 作務衣とか甚平みたいな?」
「‥‥‥‥まあ、そんなところかな」
柔らかな微笑み。辺りはだんだん暗くなって来た。
「真夏多さんも‥‥その睡蓮の華の浴衣とても似合っているよ‥‥‥やはり君は似ている‥‥‥」
名波先輩は私を、なぜか遠い目をして見てる?
「あの?‥‥‥私が先輩の知り合いの人と似ているんですか?」
「‥‥あ、うん‥‥‥何でもない。ごめん」
──気になるわ。もしかすると、私は先輩の元カノに似てたりなんかして‥‥‥?
というか、彼女がいるの? ううん。彼女がいたらここに来てくれてはいないわよね?
私はものすごく気になってしまっていたけど、さすがに聞けはしない。
私のスマホで見ながら、星野さんとの待ち合わせの畑辺りまでたどり着いた。
花火を始めるにはちょうどいいくらい、辺りは薄暗くなっていた。
「あそこに人影が。星野さんたちかしら?」
私がメッセージ送信すると、
「きゃー! こっちこっちー、待ってたよ!!」
星野さんと辻さんの声。手を振っているシルエットが見える。
私は名波先輩と顔を見合わせた。
「無事、目的地到着だね。ナビ、ありがとう」
「いえ、初めての場所だけど迷わず来れて良かったです」
それに、私しかルート検索見れないよね。先輩は今、スマホは使えない設定にしているんだもん。
「こんばんは。星野さん、辻さん、今日は誘ってくれてありがとう」
星野さんと、辻さんはそれぞれの彼氏を紹介してくれた。
星野さんの彼氏は何となく見たことがあるような気がしてたら、星野さんと同じクラスの男子だった。私たちの同級生ね。入学直後からラブラブになったらしい。
辻さんの彼氏は、中学の時の同級生で、最近告白されて付き合い始めたばかりだとか。
「はじめまして、私、真夏多ミアです」
私も挨拶すると、名波先輩も続いた。
「こんばんは、皆さん。僕は3年の名波索です。今晩は、お招き頂きありがとう」
名波先輩が挨拶すると、星野さんが、
「きゃー、真夏多さんの彼氏超かっこいい! さっすがぁー!」
と、騒ぐから顔から火が出そうになった。
私は慌てて名波先輩の顔色を窺ってから二人に弁明した。
「えっ‥‥と、ちっ、違うのよ。彼氏とか、そう言うのじゃなくて、私が入ってる錦鯉研究部の先輩なの」
名波先輩の顔色を見ながらしどろもどろ。先輩は興味深そうに私たちを見て、ただ微笑んでいる。
「ほーら、甲斐部長みたいなチャラ男に引っ掛かる真夏多さんじゃなかったよ?」
辻さんが、星野さんの脇腹を肘でつつく。
「あは。言っちゃうね! 実はさー、今日は、真夏多さんの彼氏を見たくて誘ったの。えへへ。ごめんね。でも、私たちも彼氏紹介したし、おあいこってことで!」
星野さんはいたずらが見つかった子どもみたいに、ベロをちらりと見せて笑った。白地に毬と撫子模様の浴衣がよく似合っている。
まさか、甲斐部長と私が付き合っているかどうか知りたくて誘ったの!?
「でもこれを機会にこれからも仲良くしてね。私たちはもう友だちでいいよね?」
辻さんが私の顔を窺いながらニコリとした。
紺地に桔梗の花があしらわれた浴衣は、儚げな雰囲気の細面の美人の彼女を引き立てている。
「辻さんと星野さん、こちらこそよろしくね」
私は新しい友だちに、なんだか照れてしまう。
さっきから顔が赤くなってしまうことばかり起こるから、暗くて助かる。
「私のことはユリカでいいよ!」
「なら、私はトーコでよろ!」
「えっと、私のことはミアって呼んでね。えっとユリカ、トーコ」
ユリカとトーコが顔を見合わせてから言った。
「おっけー、ミア!」
「ミアと仲良くなれたお祝い花火、早く始めようよ!」
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みんなで花火を数本ずつ楽しんだ後、縁日に行くことになった。
少し風が出て来たし、早めに終わらせたの。
星野さんは彼と手をつなぎ、楽しそうにおしゃべりしながら先頭を歩く。
辻さんと彼氏の腕を軽く掴んで睦まじく私の前を歩いてる。
私はといえば‥‥‥
さきほど、名波先輩が私にこそっと言った。
「今夜は僕は真夏多さんの彼氏だと思われてる?」
「あの‥‥‥そう思われてしまったみたい‥‥‥ごめんなさい」
わざとじゃないの。迷惑に思われているかも。
「‥‥‥こんな風に普通に‥‥‥彼女と町を歩けてたなら、どんなに幸せだっただろうな‥‥‥」
いきなり私の肩を左腕で抱き寄せて歩き出した。
どうして? 彼氏の振りを演じてくれてるの? でも全然嫌じゃない。
私は頬がほてるのを感じながら先輩の顔を見上げた。
名波先輩は私に、にこりと笑って見せてから正面を向いた。その横顔がとてもきれい過ぎて、正視するのは1秒が限界よ。
私と名波先輩がくっついて歩いているのに気がついた星野さんと辻さんは、揃って、
《隠してもわかってるわよ》
‥‥という顔で、にやっと目配せを送って来た。
《ち、違うから‥‥‥》
私は声を出さずにエアーで言ったけど、あの様子では無駄だったみたい。
勘違いされても、それでも構わないと思っている私がいるの。