夏休みが始まった〈ミア〉
ミアの語りで。
夏休みに入って最初の火曜日。
私は美術部の絵のモデルを引き受けているから学校に行かなくてはならない。朝6時に起きた。今日も暑くなりそう。
家には私しかいない。
唯一の家族のお母さんは今は仕事で忙しい。叔父さんが起業した空調設備の会社が海外にあって、好調を維持しているとかで。母も手伝うようになった。昨日からバンコクに出張で、後1ヶ月は帰らない。
だから私はこの夏はひとりぼっち。
私には父親はいるけどいない。両親は離婚してる。
でも不思議。別れてからの方がお父さんとお母さんは仲良しっぽい。
私が一番信頼している幼なじみのミチルも、今年の夏休みの間のほとんどを家族でハワイで過ごしているからいない。
ミチルがいなくて寂しい。
ミチルのことは昔から大好き。だけど、それは友だちとして。
‥‥だと思うのだけど、それだけじゃ無いような気もしている。だって、私はミチルが他の男子と仲良さげにしているだけで、イラついたこともあるし、ミチルには私のことを一番に気にして欲しいと思っている。
自分でも良く分からない。
私は気弱な女の子。
小さな頃からだった。
さほど話したこともないような人から一方的に敵意を向けられることが何度もあって、いつのまにか貝になっていた私。
でもこのままではダメだって気がついた。
私は変わりたい‥‥‥強い心が欲しいの。
私は今まで誰かに助けられてばかりだったけど、これからはミチルのことも、親友のキリルのことも助けてあげられるくらい強くなりたい。まあ、キリルはとてもしっかりした人だから私の助ける隙なんてないかもだけど‥‥‥
私はトーストとヨーグルトの簡単な朝食を取って、身支度を手早く済ませると学校に向かった。
廊下を進んで行くと美術室からワイキャイ話し声が聞こえる。
私と同じ1年の子、誰か来てるといいけど。
「おはようございます」
私は頑張って大きな声で言いながら美術室の扉をくぐる。未だに緊張する。
「あ! 真夏多さん、おはよう~」
「おはよう! 今日も来てくれてありがとね」
もう半分くらいの部員が来ていた。10人以上はいそう。1年の女子も来てる。良かった。いてくれると緊張が和らぐ。
総勢二十数人の美術部の人たちは、皆真剣に絵の制作に取り組んでいる。
みんなスゴい。
こんなに絵が上手だなんて同じ高校生とは思えない。
絵が描けるなんてとても素敵なことね。
意外なのは3年の久瀬ゼツガ先輩。
見かけはすごくごつくてがっちりしていて、まるでラグビー選手みたいな人なのに、あの太い指からとても繊細な線が生まれて来る。
あの人のタッチ、好きだわ。
私は人物画のモデルになるため、髪をいつもと同じように手ぐしで整えた。
いつもと同じ場所で同じ角度で椅子を用意し座って、始まる時間まで待つことにした。
「おっはよー! 真夏多さん。あのさ、ちょっと聞いてもいい?」
同じ1年の女子の星野塔子さんが話しかけて来た。
彼女は明るくて、かわいくて、親切で、私もこんな性格だったら良かったのにって思う。
星野さんは、あさっての夜に花火をするから一緒にやろうと誘ってくれた。お天気も良さそうだしって。星野さんの親友の辻さんも来る予定で、二人の彼氏も来るらしい。
辻さんが向こうから私に手を振ってる。私も振り返す。
なんでも、星野さんの自宅はこの近くで、家の周りには広い落花生畑があって彼女の家の畑だと言う。だからそこなら花火をしても差し支えないらしい。
今までの私だったら即刻断っていたのだけれど、私は今までしなかったことをしてみると決めていた。
星野さんと辻さんと友だちになれるかもしれない。誘う彼氏もいないのに行く約束をしてしまった。
──どうしよう‥‥‥
いもしない彼氏のことで頭がいっぱいになりながら、モデル役で待機している私の所に、部長の甲斐雅秋先輩が来た。
とりとめのない話を部活開始時間までずっと続けられた。
私は適当にあいずちをうって聞いていたけど、何を話していたかはよくわからない。ちょっと苦手。こういう圧を感じさせる人。
部活開始時刻になった、、私はいつもと全く同じポーズをして本を読んで過ごす。同じ姿勢をし続けるのは結構きついけれど、部員さんたちの真剣な視線を感じて私もがんばろうと思う。
夏休み中で仕事も終わる。ちょっと寂しい気持ちもある。
お昼の12時過ぎ。部活終了時刻。
まだ5時まで残って作業する人も何人かいる。夏休み中に募集されている啓発ポスターや、作品展に応募する作品をここで制作してる生徒もいるし。
こういう、創造して生み出す能力がある人たちって心から尊敬するわ。
だって、私自身にはそういうの見い出だせないから。
さて、私は錦鯉研究部の当番だからそっちへ行かなくては。
私は美術部に来る日は、ほとんど当番を引き受けている。
だって、特に活動らしき活動も無き錦鯉研究部。鯉の餌やりだけのために学校に来るなんて大変でしょう。私が美術部で登校するなら私が多くやるのは当然だわ。
夏休みに入ってからは一度、池中さんと中村くんが、ビオトープのヤゴ大量発生の件で口論しているのを見かけたけど、池中さんはともかく中村くんは自分の当番の日にしか来ないかも。
部室に使ってる生物室は、誰かが先生にカギを借りてこないと入れない。
だから、生物室の前にあるロッカーの一番左上に、錦鯉研究部の日誌と鯉の餌が入っている。
そこから決められた量の餌を量って中庭の鯉たちにあげるのよ。季節によって餌の量は変わるの。
私が帰りの支度をしていたら、部長の甲斐先輩が声をかけて来た。
私はこの人は苦手。自然と目線が下を向いてしまう。落ち着かないの。こういう人と話すのは。
なのに。
甲斐先輩は、私に一緒に帰ろうと誘って来た。
──どうして? どうして私を誘うの? どうせいつもの冷やかし半分の誘いね。周りの人が聞いてるわ。
こういう目立つ人にあからさまに構われると、意地悪な女子からまた‥‥‥‥
お願い。やめて、無理!
でも私は今日は錦鯉研究部の当番だから断る口実は簡単だわ。だからそう言ったのに。
‥‥‥‥なのに先輩は私のことを待っていると強引に言って離れて行った。
私は憂鬱を抱えて生物室前のロッカーから鯉の餌を器に入れ、中庭に出た。
そこには見たことない男子が鯉を眺めていた。というか、鯉に話しかけていた。