仄かなる恋心?
黄金の鯉‥‥‥
ミチルは父から幼き頃、父の膝で聞いた話を思い返していた。
ミアとの待ち合わせまでまだ1時間余りあったので、中庭で鯉をぼんやり眺めながら考え事をしていた。ミアにはここで待っているとメッセージを送ってある。
黄金の鯉は霊界からの使者だという、この地に伝わる伝説。
------ミチル、この地に伝わるお話だよ。
三途の川には黄金の鯉の一族が住んでいるんだよ。彼らは彼岸と此岸を自由に行き来できる。だから報酬次第では、死後の世界とこちらを跨ぐ使いをしてくれる。もし、いつか黄金の鯉を見かけることがあったのなら、それはあの世から何かの使いで来たのだろうね。
ぱぱ、それはどこで見られるの?
どこに現れるかわらないよ。誰かの家の池かもしれないし、川の中かもしれないし、はたまた井戸の中かもしれない。彼らは清水があるところならどこにいてもおかしくはないんだ‥‥‥
ーーーそんなことを聞かされたことがあったから、僕は入学したての頃、こんな風にひとりで中庭の池の錦鯉を眺めていた。その時、部長の名波先輩から声をかけられたんだっけ‥‥‥
時計を見た。まだ40分もある。
ミチルは木陰になっている池の縁に座って本を読んだ。
数ページ読み進んだ時、開いたページの上を瞬く光がちらちらと走るのが気になり出した。
ーーーこれは木漏れ日?
頭上にかかるの木の枝を見たが、その木の葉の隙間からこぼれる光とは動きが違う。
ーーー池水面の反射かな?
振り返って水面を見た。
「!!」
水の色がそこだけ違っている。
もう太陽の日差しは傾いて来たとはいえ、まだ十分明るい時間だというのに、その輝きは日差しを上回りさらに強い。キラキラと虹色を帯びた水面の光は徐々に強まって来る。
その水底に、小さく光源が見えていた。
ーーーこれはなんの現象?
水の底の方に見えた光のシルエットは段々上昇して来て、ついに水面すれすれまでやって来た。
ーーー錦鯉?‥‥‥にしては大きい! この池にこんな大きな鯉はいないよ!
ついに1メートルは裕にありそうな、キラキラ眩い鯉がミチルの前に現れた。
水面から顔をひょっこり出してこちらを見ている。
ーーー嘘だろ? 暗い井戸の底を照らし出すという伝説の‥‥?
学校のコンクリート造りの池に現れるなんて!
これが伝説の黄金の鯉?
昔、おとぎ話として父が語ってくれた。
ひと月ほど前、那津姫の事を父に尋ねたのをきっかけとし、その後の島田先生との話で、黄泉の世界と三途の川、賽の河原は本当の話だったと知った。未だに実感は無いけれど。
あれからずっと心から離れなかった黄金の鯉の出現に、ミチルは言葉を失ってしまった。
《これ、馬白の子とはお前か?》
「えっ?」
《お前は馬白の子かと聞いたのだ》
「ええっ!!」
突然、頭のなかに響いてくる低い声にミチルは固まってしまった。
固まったミチルと金色に輝く鯉は、そのままお互いを見つめ合ったまま止まっていた。
ふいに女の子の声がした。
「妾 は知っておるぞ! こやつは馬白の子じゃと島田と話しておったのを、妾は聞いていたぞ」
いつの間にかミチルの前には、着物の裾を捲し上げて帯に挟み、クリクリした目を輝かせた長い黒髪のかわいらしい女の子が立っていた。
ミチルの同級生の女の子たちより少し年下の中学生くらいに見える。
《おお、那津 ! 良いところに来てくれたな。こやつがフリーズしおって困っておったのだ。私の姿が美しすぎて感動しておる。そうだろうな。この美麗かつ最強と言われるこの私のこの輝きの前では、たかが人間の子どもが戸惑うのも仕方があるまいが‥‥‥どうしたものか。それより那津、キザシからの伝言だ》
「それは要らんのじゃ! お小言はもういらんのじゃ!」
《キザシより預かりし霊樹の実も持っておるのだが‥‥‥》
「そういうことは早く云わんか! 成瀬 っ。わーいっ!」
その女の子は、池のレンガ張りの縁に、えいやっと飛び乗り池の中にジャンプすると、水面に接する直前に スっと消えた。
ミチルは何も言えぬまま茫然とし、されど目は水面に奪われている。
水面の乱反射の収まりに従い、黄金の鯉の姿も水底に消えた。
「う‥‥ん‥」
「ミチル? 起きた?」
「‥‥‥‥‥あれ? 黄金の鯉は‥‥‥」
ミチルはミアに膝枕されている。
「ミチル、こんな池の縁で座ったまま寝てしまうなんて、危ないじゃない! 寝たまま池に落ちてしまうかもしれないのよ?」
ーーーあ‥‥れ? こんな角度からミアちゃんを見たこと無いな‥‥‥
ミチルは頭がまだよく働かない。
ーーー僕の耳に柔らかく温かい感触。
「‥‥‥僕?」
ミチルはレンガの縁に座ったまま上半身が横に倒れた姿勢で、座ったミアに頭を預けていた。
薄ぼんやりしていたミチルは少し怒った顔をしたミアの顔を見上げた。
「ごめん、ミアちゃん‥‥」
「ミアよ」
「ごめん、ミア‥‥‥」
ミアの表情が柔らかくなった。ミチルの髪を撫でなから言った。
「もう、起きられる?」
ミチルはふっと我に返った。
ーーーひざまくら?‥‥‥僕、今のこのシチュエーションはとっても恥ずかしくない?
ガバッと起き上がったミチルは隣に座るミアを見た。
「大丈夫?」
ミアは急に起き上がったミチルを気遣わしげに見た。
「僕、本を読んでいたら寝てしまったみたいで‥‥‥変な夢まで見ちゃって‥‥‥気がついたらこんな状態で‥‥‥ごめんね。迷惑かけてしまって」
ーーーまさかひざまくらされてるなんて。温もりの感触はミアちゃんのものだった!
「いいのよ。迷惑じゃないよ? ミチルだもん‥‥‥さあ、もう帰ろ?」
ミアが立ち上がった。続いて立ち上がったミチルはよろけてしまった。
「大丈夫?」
「あ‥‥うん。急に立ち上がったから目眩がしただけ」
「じゃ、もう少しここに座って休んでから帰ろうか」
「うん‥‥‥‥」
暫しの沈黙が流れる。
「‥‥‥ねぇ? ミチルはどんな夢を見ていたの?」
ミアは好奇心を秘めた目をミチルに向けた。
「‥‥‥コイが突然僕のもとに来たんだ‥‥キラキラして‥‥まぶしかった‥‥。あんな体験は二度と出来ないと思った。そんな夢」
あまりにリアルな夢だったので、思い出すと今もドキドキする。
「恋が? ミチルに‥‥‥? その夢に私は出て来たの?」
ミアは頬を少し赤らませる。
もしかして相手は自分かも?と思ったりした。もしそうだとしたら?
ミアにとってミチルが大切な人であることは幼き頃から当然だったのだけれど、それが恋なのかというと、疑問でもあった。
ただ、ミチルには誰よりも一番に自分を気をかけて貰いたいと思う。
それゆえ今日は、新しいミチルの友だちの中村ヒトミにジェラシーを感じて、心ばかり意地悪してしまった。対抗して、自分もミア、ミチルと呼び合うことを提案した。
ーーー私はずいぶん勝手な人。なぜかミッくんにはわがまま過ぎ。
「え? ミアもコイに興味があるの?」
ミアはミチルの問いかけに、ビクッとした。
「も、もちろん無いことは無いよ。私だって15才の女の子なんだもん。憧れはあるに決まってるでしょ? 他の女子もよくそういう話をしてるよ」
「ふうん? そうなんだ? 確かにミアは当番で世話してるしね。でも僕、知らなかったよ。意外だなぁ。女子がコイの話をそんなに話題にするなんて。そのわりに僕たちの会は人気無いけど‥‥‥」
「‥‥‥?」
彼らの背後では、池の鯉たちが相変わらず優美に澄ました姿で泳いでいた。
次回で第1部終わりです。
せっかく全面改稿してるので前回と変えてみます。
元小説の第2部は別タイトル『金の鱗と不老の姫』で別に連載します。全50話くらいの予定。
完結後、こちらの続きをUPします。なので、こちらは全70話くらいになる予定です。次章は美少女ミア主人公の夏休みの美術部でのラブストーリーです。