6.幸せの行方
――ザワッ
パーティー会場に、大きなざわめきが起こった。
『ふう。このように表に出るのは久しぶりじゃ』
そこには、一人の女性がいた。
いや、確かに形状は女性だ。
長い髪。
丸みを帯びた体つき。
長いスカートのようなものが、裾まで広がっている。
だが、その体はどこまでも暗い。私の目と、同じ色。
そして、その足は、地についてはいなかった。
「初めまして、でよろしいでしょうか」
そんな彼女を、私は見上げて挨拶する。
ずっと私の中にいた、彼女。
でも、こうして会うのは初めてだ。
『ふむ。確かに顔を合わすのは初めてであろうが、妾はずっとそなたを見ておった。あまり初めましてという気分ではないな』
「では改めまして、よろしくお願い申し上げます、という所で」
『うむ、良かろう』
鷹揚な返事をもらい、そして国王陛下やクアントリル殿下を見れば、愕然とした顔をしていた。
「これが、婚約の理由ですよ。バレー伯爵家には、水の加護が宿っているんです。そして、その加護の証として、時折水の精霊王をその身に宿す者も現れる。目は、その証です」
暗い目。灰色にも、紺にも見える目。
深い深い海を写し取った目の色。
水の精霊王が住処とする場所に、最も近いと言われる、深い海の色だ。
「かつて、この地は不毛の砂漠でした。それを、バレー伯爵家が水の精霊王と契約し、その力でこの地を緑にした。王家がその力を宿す者を取り入れるのは、その水の力が、国全体に行き渡るように」
私は目を瞑る。
そして、と続けた。
「精霊王にとって、その身に宿った人間は、何よりも大切なんです。だから、国を挙げて、その人間を大切に愛おしむんです。国全体で大切にすることで、精霊の恩恵が国全体に行き渡るように」
国が、その人間を大切にすることで、大切な人間を大切にする国を、精霊王自身が守りたいと思えるように。
「残念でしたね。もう遅いみたいです。私ももう無理だと諦めました。この地から、精霊王の力が離れます」
私がそう宣言した瞬間、空気が変わった。
カラッとした風が吹いた。
『何、心配するでない。長く妾の加護があったのじゃ。今すぐ不毛の地に戻りはせぬ。数ヶ月程度は、猶予があるだろうて』
「数ヶ月っ!?」
誰かが叫び、叫んだことで、その場は阿鼻叫喚の場となった。
数ヶ月なんて、猶予であって猶予じゃない。
わずか数ヶ月で、この地から水の力がなくなるのだ。
それを泰然と構えて受け止めるなんて、不可能だろう。
「ま、待てっ、マイヤ! 俺の間違いだ! 婚約の破棄など、するはずなかろう!」
「そうじゃ、儂も間違っておった! そなた以上にクアントリルに相応しい婚約者などおらぬ!」
慌てて叫ぶクアントリル殿下と国王陛下に、私は笑みを向けた。
「もう遅いです、と言ったじゃないですか」
真っ青な顔になったお二人をそれ以上見ることなく、私は踵を返す。
そのままパーティー会場を出ると、誰かが後を付いてきていた。
「オスリック殿下、イアン……」
「これからどうするんだ、マイヤ」
最初にコソッと声を掛けてくれて以降も、何かと私を気にしてくれていたオスリック殿下だ。
イアンもだけど、私の目の色の秘密を知っていた二人は、何も態度が変わらない。
「オスリック殿下は、なぜ国王陛下方に私の目について説明されなかったんですか?」
「あの人たちが、僕の言う事を聞くと思うかい?」
黙って苦笑した。
そうだろうな。
母君の身分が低いからってだけで、ずいぶん馬鹿にされていたみたいだから。
「イアンは、どうしたい?」
今も昔も懐いてくれる弟に聞く。
この弟がいたから、私は救われていた。
「領地に行きたいです。姉上が育った地に」
「そっか。じゃ、行こうか」
幸せだった幼少期が、思い浮かぶ。
「僕も一緒に行っていいかな、マイヤ」
「構いませんが……」
「ええー、殿下も来るんですか!?」
オスリック殿下の申し出を受ければ、イアンが不満を表した。
「イアンは、嫌なの?」
「嫌です」
首を傾げて問えば、ズバッと返事が返ってくる。
仲悪いのかな、と思えば、オスリック殿下が笑っている。
「マイヤ、イアン殿が僕を嫌いな理由はね、僕がマイヤを好きだからだよ」
「あっ、ちょっと!」
オスリック殿下の言葉に、イアンが慌てたように言葉を被せる。
――好き?
「マイヤ嬢、あなたを愛しています。僕と結婚して下さい」
「お断りしますっ!」
――ええっと……?
「イアン殿、君には言ってないんだけど?」
「姉上の内心を、代弁しているだけです!」
――ええー……。
『おやおや、これは面白そうであるな。良い、妾は何でも構わぬ。そなたが、大切にされるのであればな』
内側から聞こえた水の精霊王の声に、私はゲンナリした。
私は、何も面白くない。
でも、悪くない。
そう思えた。
*****
その年から、雨が降らなくなった。
川も湖も干上がった。
作物は育たず、枯れていった。
草原が砂地になり、森も消えた。
真っ先に国を逃げようとした王家の人間は、捕らえられた。
そして、民衆の手によって、その命を落とした。
たった一つ、バレー伯爵家の領地だけは、緑が生い茂っていた。
その地を求め、人が集まり、領地は栄えた。
だが不思議なことに、その地に悪さをもたらそうとする者は、決して中に入れなかったという。
それは、バレー伯爵夫妻も同様だった。
領地に入れず、渇きの中で命を落とした。
一方、その後のマイヤはというと。
「ねぇマイヤ。そろそろ僕との結婚、頷いてくれない?」
「姉上。こんな勘違い男、ズバッとフッちゃって下さいよ!」
相変わらず、オスリックとイアンの言い争いの間に挟まっていた。
いつもであれば疲れた笑いを見せるのだが、この時のマイヤは少し笑って覚悟を決めた目をしていた。
「ごめんね、イアン」
「え?」
「オスリック様。結婚の申し出、有り難く受けさせて頂きます」
「……え?」
「ええっ!?」
ポカンとしたオスリックと、抗議するように叫ぶ弟に、マイヤは自らの気持ちを口にした。
「初めてオスリック様にお会いしたときから、境遇が似ているなって勝手に思っていました。それからも何かと気にかけて下さることが、とても嬉しかった。私、オスリック様の事が好きなんです」
「マイヤっ!」
最後、言い終わるか終わらないかでオスリックはマイヤを抱きしめた。
そんな二人を見るイアンは、諦めるようにため息をついたのだった。
それからのマイヤやオスリック、イアンがどうなったのかは伝わっていない。
ただ一つ確かなことは、バレー伯爵領以外が完全に不毛の地となったとき、水の力が再び国に向けられた、と言うことだ。
そして、暗い目の色を持つ人は、国を支える神聖な存在として、長く大切にされたという。
これにて完結となります。
お読み下さり、ありがとうございました。