5.婚約破棄からの……
疲れ果てた学校生活三年を過ごして、やっと卒業を迎えたときには心の底からホッとした。
事件が起こったのは、その卒業パーティーだった。
国王陛下を始め、卒業生の家族・親族まで集まったパーティーで、事件はクアントリル殿下の叫びから始まった。
「マイヤ! 俺は、お前との婚約を破棄する!」
「……はい?」
突然、叫んで私を指さしたのだ。
何のことだと、首を傾げる。
殿下は、一人の女性の肩を抱いている。
最近の殿下のお気に入りの女性。男爵家のご令嬢だ。
「お前、このアンネをいじめたらしいな!?」
「……いじめた?」
はて、何のことだとやはり首を傾げる。
「男爵家の令嬢が俺に近づくなとか、口を開くなとか言ったらしいな!? 可哀相に、アンネは泣いていたんだぞ!?」
「……はあ」
気のない返事が出た。
「なんだ、その返事は! 人を泣かせておいて、何とも思わないのか!」
「そう言われましても」
確かに、言葉の一部を切り取られれば、そんな事は言った。
お昼休みに食堂に来て、自分がクアントリル殿下の恋人になった、殿下の妃は私だと宣言してきたから、よく覚えてる。
でも残念だけど、私とクアントリル殿下の婚約は揺るがない。妃と言っても、側室になれるかどうか。
あの王家が、側室とは言え男爵という位の低い地位の娘を、妃に迎えるとは思えない。
だから、クアントリル殿下とは学校に通っている間の関係だと割り切れ。割り切れないなら近づかない方がいい、とは言った。
ついでに言えば、そこは周囲に沢山の人がいる食堂だった。そんな場所で大声で宣言されれば、静かにしろ、くらいは言うだろう。
――とまあ、こういった事情はあるわけだけど、果たして言った所で、どれだけ意味があるのか。
この学園生活も、諦めの連続だった。
誰もが私の目を見て怖がって、遠巻きにしていたから。
私の言葉を信じてくれる人は、どれだけいるんだろうか。
「普通に考えましたら、自分の婚約者に他の女性が近づけば、気分を害して文句の一つや二つ言うくらい、当然ではないですか?」
だから、一応誰もが納得できそうなことを言っておく。
別に、私が殿下を好いているわけじゃないし、まったく気分を害してはいないけど、一般的に考えれば、内容自体は決して間違ってはいないはずだ。
「だからひどいことを言って、泣かせても当然だとでも言うか! やはり、不気味女は人の心が分からないのか!」
残念ながら、殿下には通じなかった。
殿下の言い方の方がよほどひどいですよ、と言った方が良いだろうか。
「やはり、破棄だ! 貴様との婚約は、破棄する!」
もう一度言われて、私は目を閉じる。
ドクン、と私の中にいるモノが、波打った。
「よろしいのですか? なぜ私と婚約したのか、その理由だってご存じなのでしょう?」
「昔から、貴様のような目をした者が現れたら王家に取り込め、と言い伝えられているだけだ! 何の意味もない昔からの言い伝えに、従う必要などない!」
「――ああ、なるほど。理由をご存じだったわけじゃ、ないんですね」
我が家の歴史といっても、それはこの国の成り立ちに大きく影響している。だというのに、国の歴史を勉強しても、一切合切その話が出てこないのが疑問だった。
つまりは、国も王家も、その歴史を伝えてこなかったのか。
ドクンドクン、とさらに鳴動が増える。
それを感じながら、視線を向けたのは、この騒ぎにも興味なさそうにしている、上座にいらっしゃる国王陛下だ。
「国王陛下。クアントリル殿下はこのように仰っていますが、婚約はどうなりますでしょうか?」
伺えば、ひどく冷たい目を向けられた。
「クアントリルの言うとおりだな。何の意味もない言い伝えに、従う必要などなかろう。婚約破棄を認める」
「そうですか。承知致しました」
逆らわずに頷く。
だったら、もういいか。
何の意味もなく、言い伝えられているはずがない。
疑問をもって調べようと思えばできたはずだ。第二王子のオスリック殿下がご存じなのだから。
ドクンドクンドクン
さらに音が大きくなった。
「何をやっておるのだ、マイヤ!」
叫んだのは、父だった。
「せっかく貴様を引き取り、教育をしてやったというのに! 殿下のご不興を買うとは、何を考えている! 恩を仇で返しおって!」
「……………………」
私は父を冷たい目で見た。
引き取って欲しかったわけじゃない。
それに、教育してやった? 冗談じゃない。休む暇さえ与えられない教育が、教育であるものか。
一度も恩など感じたことはない。
「殿下から婚約を破棄されるような娘など、もう知らぬ! 我が一族から、貴様は追放だ! 今からお前は、我が娘でも何でもない!」
「父上! 待って下さい! それは……!」
「黙れ、イアン! これは決定事項だ! このような娘に情けは不要!」
弟のイアンが慌てて反論しかけたけど、父がバッサリ切って捨てる。
イアンは、何か言いたげに口を開きかけたけど、結局は何も言わなかった。
「マイヤ、どうするんだい?」
「オスリック殿下……」
この局面で、オスリック殿下はとても楽しそうだ。
私が睨んでも、表情が崩れない。
「どうしたら良いでしょうね。もういいかなって思っていますが」
試しにそう聞いてみる。
すると、オスリック殿下の笑みは、深まった。
「君の好きにすれば良い。それが、深い海の色をその目に宿した者が持つ権利だ」
その言葉に、私の口元が弧を描いた。
自然と笑みがこぼれる。
「では、そうさせて頂きましょうか」
ドクン
ドクン
ドクン
音が、響く。
その響く音を、解放した。