2-4話 異世界ゾダールハイム
裏の屋上。
クラリスと呼ばれた少女が落ち着いたようだったので、莉子と柚希は掴んでいた腕を放した。
「自己紹介が遅れたの。ワシはキマロという。こやつはクラリス。騒がしくしてすまなかった」
「どうして逃げ回っていたの?」
生物が名乗り、莉子がみんなの疑問を代表して聞いた。
「ほれクラリス、自分で説明せんか」
キマロはそう言ったが、クラリスは泣きそうな顔でキマロを睨み返すだけだった。
「んー、もしかして……○▲□※?」
「●●□△」
キマロとクラリスが未知の言葉で話している。一通り話すと、キマロは拓海たちに振り返って言った。
「ふーむ、この世界はどういう世界なのじゃ? どうやらマナが無いからクラリスは翻訳術を使えぬようじゃぞ」
「いや、翻訳術とかマナとか意味不明だから」
「ほお、根本的に違う世界なんじゃの、面白い、気に入った!」
「あのゲートの向こうの世界にはあるの? そのマナというのが」
「あらゆるところに満ちておる。大気の中にもな。世界から生き物にも流れ込む。ワシらはそのマナで魔術を使うんじゃよ」
「魔術? うへー、また凄い言葉が出てきたな」
「ノートに追加だね、拓海」
「ワシは竜神族だからマナを身体に蓄えておけるが、クラリスは人間じゃ。こっちの世界に来た後に、体内のマナが出ていってしまったようじゃの」
「あー、君たちの世界の話はこの際どうでもいい。それで、キマロとクラリス。君たちは向こうに帰るのかい? それならこちらは何の問題もない」
剣持が切り出した。
「いーや、ワシはこの世界にとどまる! コウタと契約してしまったからの」
「け、契約!? 何の話だ!」
「さっきワシと目を合わせたじゃろ? 今、コウタとワシは霊的な契約状態にある。ワシもコウタも遠くへ離れることはできん」
「聞いてないぞ、そんなこと!」
「説明しなかったからな」
キマロと浩太が言い争う。
「キマロ、こっちの世界にとどまるというのはダメだ。君も分かるだろう? 異なる世界同士のバランスが崩れてしまうぞ」
「なぁに、ワシ一人いたところで問題あるまい。マナがないというなら、ワシを含む向こうの世界の者はこの世界で何の脅威にもならん」
剣持とキマロの話も平行線になっていた。
「まあ、ひとまず事情を聞きましょうよ」
「ほら、クラリスさんもあんなだし……」
拓海と莉子が言った。クラリスはずっと泣きそうな顔をしているのだ。
「ふむ、確かにそうじゃの。いくら何でもこのままではクラリスがかわいそうか。よし、すまぬが誰か、向こうの世界へ来てくれぬか?」
「「「ええー!?」」」
キマロの主張は、翻訳術を使うには、対象となる言語を使う者が目の前にいる必要があり、クラリスは向こうの世界に戻らないと翻訳術が使えないから、ということだった。
「いや、それは許可できない」
剣持は頑なに主張した。
「なんじゃ頭の硬い男じゃのう。なら、こうじゃ、ついて来るが良い、コウタ!」
そう言うと、キマロはゲートの方に飛び去り、ゲートに入っていった。
「え、うおあ!?」
浩太の身体が引きずられるように動き出し、ゲートの中に飛んでいってしまった。それを追うようにクラリスも入っていった。
「あ、浩太!?」
「ちょっと!!」
それを見た拓海は思わず莉子と共にゲートに飛び込み、キマロたちを追いかけた。
ゲートの中は地面が無いようで在る、不思議な空間だった。だが、向こう側のゲートの出口はハッキリ見える。拓海と莉子はそこを目指して走っていった。ゲートの出口を抜けると、そこは森の中だった。
「うわ、これは……」
「凄い森だねぇ……」
はぐれたりしないよう、とっさに拓海と莉子は手を繋いだ。
「お、タクミとリコじゃったか。お主らも来たのか。こっちじゃ」
キマロが拓海たちを呼んだ方向を見ると、多少整備された様子が伺える空間があった。
「ね、拓海? ヒナとちゃんと繋がってる?」
「ああ、問題ないよ」
「良かった、世界をまたいでも大丈夫なんだね」
「今、剣持先生もゲートに飛び込んだよ」
片方が異世界に来ても拓海と日菜菊には影響がなかった。日菜菊の目を通して、剣持がゲートに飛び込んだのを拓海はしっかりと把握している。
やがて剣持がゲートから現れた。剣持は小言を言っていたが、浩太が連れ去られた以上、拓海にも莉子にも看過できなかったのだ。
「まあでも、成戸を残したのはいい判断だよ。向こうとの情報共有は大事だ」
剣持がそれだけ言うと、拓海たちはキマロたちのいるところまで移動した。
クラリスは拓海たちと向き合うと、何やら呪文を唱え始めた。クラリスの身体がうっすら緑色に発光する。光が消えると、クラリスは口を開いた。
「はじめまして、私はクラリス。この世界、ゾダールハイムの人間よ」
今の光が翻訳術というものだったのだろう。クラリスが立派に日本語を話し出した。
「へぇー、凄いね……」
「こんなのがあったら英語の授業とか要らないな……」
次に、拓海たちも自己紹介をした。
「ちなみにお主らの世界はなんという名前なのじゃ?」
「世界の名前? そんなのあったっけ?」
「宇宙……? いや、多分、『地球』が一番合ってるんじゃないかな」
「チキュウ? 変な名前じゃの」
「それで、キマロとクラリスさんはどうしてこっちの……地球に?」
「キマロが……私との契約から逃げようとしたからよ!」
クラリスが、キマロを追いかけていた理由を話し始めた。
「竜神族との契約を賜るのはとても名誉なことなのよ。ついにうちの家にもそんな大チャンスが来て、お父様もみんな大喜びだったのに、キマロが私とは契約できないって言い出して!」
「はっ! それでワシとクラリスはお前の家の繁栄のための道具か? そんなものに付き合うほどワシはお人好しではない! どうせ竜神族の力を悪用するつもりじゃろう、お主の父は!」
「だからって勝手に決めないでよ! 今まで、選ばれた者との契約を拒んだ竜神族はいなかったでしょう!」
「他の者のことはワシは知らん! ワシはワシじゃ!」
なるほど、このように揉めて、キマロが逃げ出した挙げ句、あのゲートに入ってしまったのだと拓海は思った。
「異世界に逃げ込んでしまえば探しようがないじゃろ? それなのに異世界まで追いかけてきおって……」
「でもどうして俺と、その契約というのをしたんだ?」
浩太がキマロに尋ねた。
「いっそチキュウの住人としてしまえば、利害関係も起きないからの。チキュウにマナがないのも好都合じゃった! 魔術を使える者でなければ竜神族の力を悪用することもできまいて」
「つまり、地球人なら誰でも良かったってことか……」
浩太がそう言うと、クラリスは浩太を睨んだ。
「だいたいあんた、どうしてキマロと目を合わせたのよ! やめてって言ったじゃない!」
「何語でだよ! 理解できるわけないだろう!!」
「なによ! このままじゃお父様に合わせる顔がない!! どうにかしてよ!」
「俺にじゃなく、キマロに言え!!」
クラリスが浩太に言いがかりをつけ、浩太もそれに応戦している。
「弱ったな……。我々としては天知をこっちの世界にいさせるわけにはいかない。さっきのように天知とキマロが離れることができないというなら、キマロに地球に来てもらうしかないな」
剣持が言った。
「そんなの横暴よ!!」
クラリスは抵抗しているが、剣持は恐らく浩太を優先するだろうと拓海は思った。優先順位の高い順に非情にもなれるのが剣持なのだから。
「領主様に相談させて! 竜神族のことに一番詳しいから。それぐらいはいいでしょ?」
そう言うとクラリスは、小型のアイテムを取り出し、耳と口に近づけた。
「あれは何?」
莉子がキマロに聞いた。
「魔術を使った音声通信じゃよ。便利じゃろ?」
キマロが得意気に言う。それは、魔術のない地球には音声通信をする方法などないだろう、と高をくくっているように拓海には思えた。
「しかし、これはまた大事になったなぁ。収集つくのか……?」
拓海のその呟きに、地球側の誰もが頷いた。